第30話 なかったことにすんな
#第30話 なかったことにすんな
湿気を孕んだ陽が差し込む、昼下がりの《ルクシオン》。
割れた窓が、今日も風を通していた。
傍らには、無造作に転がる缶コーヒー。
クラウンが、軋む椅子をくるりと回した。
「……入った。ルーレット台のバックドア、ばっちり。LANも突破。」
「どこまで入れた?」
ナオが静かに問い返す。
目線は資料に落ちたまま。
だが、ペンを握る指先がわずかに震えた。
『ベット履歴とか監視カメラの連動用かな。
ログから、カメラとか出入りの記録、それに管理サーバも、覗けた。』
天井のスピーカーから、ノイズ交じりの雪の声が響く。
ルカがふと顔を上げる。
「……せっちゃん、大変だったろ。悪ぃな。」
『……うん、大丈夫。このあと休めば、夜には動けるよ。』
少しだけ、言い淀んだ。
誰も触れなかった。
彼女の“いつもの軽口”が、ほんの少しだけ、震えていたからだ。
「……ルカ兄。俺も、これで倒れたら慰謝料っすよ。」
「ルカさん、な。わり、助かってる。」
そう言いながらも、クラウンの指だけはコードを叩く。
額には汗。
だけど唇の端は、ほんの少しだけ上がっている。
この緊張を、どこか楽しんでいる。
“やっと現場に届いた”という実感が、背筋を走る。
『それでね、“Room12_Terminal04”。
この端末だけ、夜間に大量アクセスが集中してるの。しかも、受信オンリー。』
クラウンが、手を止めた。
「……なにそれ。通信って、会話でしょ?返さないって、気持ち悪……」
『しかも、監視カメラログはブランク。
削除の痕跡も残ってる。──消されてる。意図的に。』
ナオがわずかに息を吸った。
「……何の部屋だ、そこ。」
『端末も別セグメントで隔離されてたから、
これ以上は、分からなかったの。』
クラウンが、モニターのひとつを指さす。
「OSごと弾かれた。現地で挿すしかないか……。」
その言葉に、空気が固まる。
しばしの沈黙のあと、ルカが低く呟いた。
「……“ルーム12”、か。
客用の見取り図にはなかったよな。バックヤードか。」
ナオも、顎に指を添えたまま黙り込む。
そして──
カシャン。
缶コーヒーのプルタブが開く音が、静けさを断ち切った。
「ルクシオンは、ハッカーも優秀なんだなぁ。」
部屋の隅。
臣が、缶を口に運びながら、視線をこちらに流す。
口元だけが、皮肉のように歪んでいた。
「……来てたんだったな、臣くん。」
「依頼主サマ、なもんで。」
ルカと臣の軽口の背で、
“Room12”の端末が、
静かにモニターに映り続けていた。
――室内には、クラウンが端末を叩く音だけが響いていた。
高速で切り替わるウィンドウの中、コードが走る。
『新しいUSB、もう少しで完成するよ。
前より小型で、遠隔操作もできるようにしてある。』
スピーカー越しの雪の声は、どこか楽しげだった。
クラウンはモニターを切り替え、接続図を睨みながら応じる。
「こっちでコード管理するから。
セキュリティも、これを挿せば俺らで制御できるはず。」
ルカが頷き、腕を組んだ。
「オッケー、退路の確保も頼む。」
『了解。もしもの時は、こっちから強制解除かけるから。』
窓際では、ナオが静かにグラスの水を口に含む。
そのまま、ぽつりと口を開いた。
「……今回は、手分けする必要があるな。どうする?」
「あぁ。ざっくりとは決めても、アドリブ多めになるだろうな。」
そんなやりとりの背後で──
臣は、無言のまま手にした缶を握りつぶした。
パキ、と乾いた音が室内に落ちる。
それを聞いたルカが、ふと視線を向けた。
だが、何も言わずに目を逸らす。
ただ、誰にも触れられぬまま、
缶の形だけが、ゆがんでいた。
――不意に、クラウンが端末を叩く手を止めた。
ぼそりと、呟く。
「……“IDログ”、昨日の23時以降。ごっそり消されてる。」
ルカが身を乗り出す。
「……削除、か?」
「いや、跡は残ってる。
アクセス履歴の連携ファイルが、時間ごとにピンポイントで抜かれてる。しかも複数箇所。」
『……これ、誰かが、証拠を消し始めてるみたい。』
スピーカー越しの雪の声が、かすかに震えた。
彼女の目にも、“何かの終わり”が映ったのだろう。
『Room12の端末、ログが数分おきに上書きされてた。
深夜に管理者IDが入ってたけど、7分で抜けてる。……短すぎ。』
ルカが目元を指で押さえ、ぐっと思考を閉じ込めた。
「……何かあったな。」
「逃げ支度か、証拠の整理か……どちらにせよ、動きが早すぎる。」
ナオが静かに継いだ。
少し間を置いて──
クラウンが、ぽつりと漏らす。
「……カジノ、畳む気かもな。」
重たい沈黙が、部屋を包んだ。
その中で、臣だけが、ふと目を細める。
「……これ、もしかして……」
ぽつりと漏れた声に、ルカが視線をやる。
「何か、心当たりあんのか。」
臣は、握った缶を指で撫でながら、低く答えた。
「……ヘリオスの“探り”。気づかれてたのかもしれねぇ。
カジノでも、雰囲気がおかしかった。」
ルカが眉をひそめる。
「お前ら、そんな派手に動いてたか?」
「いや、むしろ逆だ。
俺は潰せって言ってんのに、アニキは“まだ調査中”って。
慎重すぎるくらいだった。」
臣が目を伏せ、缶をゆっくりと握り潰す。
『それと……もう一つ。臣さんが話してた"消えた客"。
複数の利用者データが、“記録ごと”消えてるのも確認出来た。』
雪の声が、わずかに硬くなっていた。
『システム上、最初から“存在しなかったこと”になってる。
……顔のある“誰か”を消すように、作為的に。』
クラウンが手を止め、モニターを見つめる。
そこに映るデータが指し示すもの……その答えに、全員がたどり着いた。
『……人身売買の証拠、ね。
詳しくは、"ルーム12"に潜らないと、だけど。』
一瞬、誰もが言葉を失った。
画面に映るただの数字と記録。
けれどその向こうに、名も顔も、声もあった“誰か”の存在が、繋がっている。
その“重さ”を、最初に崩したのは、臣だった。
「……ふざけんなよ。」
ぽつりと落ちたその声に、全員が振り返る。
臣だった。
「──証拠がないから、動くな、だ?
……真っ黒じゃねぇか。」
その声は、震えていた。 けれど怒鳴りもせず、叫びもせず。
ただ、静かに胸の奥から滲み出た“怒り”だった。
「待ってたら、詰んでたな。逃げ得なんて……させねぇ。」
ルカが、黙って臣を見つめた。
その目の奥に、怒りでも呆れでもない、明確な確信がある。
「……何か、あったな。」
それは問いじゃない。引き出すための、確実な“引き金”だった。
臣はわずかに目線を逸らし、
潰れた缶の縁を、指先でそっとなぞるように撫でた。
その仕草だけが、どこまでも弱々しかった。
「……まぁ、この先も巻き込むなら、伏せんのも筋じゃねぇ……よなぁ。」
喉の奥で、何かがつっかえたような沈黙が落ちた。
誰も息を詰めたわけじゃない。
ただ、言葉にならない何かが、空気を重く染めていた。
「馴染みの店の、嬢がひとり──いつの間にか、消えてたんだよ。」
ナオがふと顔を上げる。
ルカも、じっと目を細めたまま、沈黙していた。
「聞いたんだ。
最後に足がついたのが、このカジノだったって。
……そっから、消息ゼロ。連絡も、履歴も、なにも。」
ルカは、言葉を飲んだ。
静かに息を吐き、ネクタイの結び目をきゅっと締め直す。
臣は続けた。
「……あぁ、助けたいとか、そんなんじゃねぇよ。
俺が知った時点で、もう一週間は経ってたしな。
何を今さら、だ。」
笑おうとした唇が、微かに震える。
でも笑えなかった。
「ただよ……あいつ、最後に見たとき、“なんでもない顔”で笑ってたんだよ。
クマ作って、痩せて、声も枯れて……でも、それでも“普通の顔”してた。」
缶が、握りつぶされる音を立てた。
指の骨が浮き、銀色のボディが鈍く歪む。
缶の縁で、皮膚がわずかに擦れていた。
「……俺、気づいてたんだよ。
気づいてたくせに、気づかねぇフリしてたんだ。」
臣の声は、誰かの後悔に似ていた。
そこへ、ぽつりとルカが呟く。
「……“罪悪感”は、止まるための言い訳だぞ。」
臣が顔を上げる。
「……あ?」
ルカは、目を逸らさず言い放つ。
「お前、見落としたくせに、
─カッコつけんなって言ってんだよ。
それ、綺麗な言い訳に変えただけだろうが。」
臣の目に、火が宿る。
「テメェ……」
「いいか、臣。
お前のその怒り、全部“後ろ向き”だ。
言葉も、動きも、決意すら、“今さら”で固めてんだよ。」
ルカの声音が、低く、張り詰めるように沈んだ。
そこには、苛立ちも怒りもなく、ただ“焚きつける火種”だけがあった。
「──だったらせめて、壊せ。叫べ。泣きわめいてみろよ。
“やり場がない”とか言って、黙って処理して終わらせてんじゃねぇ。
……お前が、それで済ませるタマかよ。」
室内が、凍りついた。
ナオが、ルカの背中をちらと見やった。
けれど、そのまま静かにネクタイを締めた。
止めなかった。
それが、正しい怒りだと理解していたから。
ルカはひとつ、息を吐いた。
「……俺は、なかったことにされるのが一番ムカつくんだよ。
泣いてるやつがいても、笑ってるやつがいても、
黙って全部消されるってのが、一番ムカつく。」
「テメェ……」
喉まで出かけた怒声を、歯を食いしばって呑み込んだ。
代わりに笑みだけが残った。
「……ずいぶんクソみてぇな煽り方するな。」
「残念。クソ野郎認定は、褒め言葉なんだわ。」
ふたりが笑う前に──
スピーカーから、雪の声がひょいと挟まった。
『……データは先に抜いてからにしてね。』
少しだけ、静かな間。
『壊すなら、それからでお願い。』
その声は、静かで、変わらなかった。
でも、そこに漂う覚悟の匂いを、誰もが感じ取っていた。
ルカが、ゆっくりと立ち上がる。
その視線は、夜を貫いていた。
「──今夜、出るぞ。」
ナオが水を飲み干し、グラスを置いた。
「……了解。」
臣は視線を落としたまま、
潰れた缶を指で弾きながら、呟いた。
「……頼むわ。」
掴み損ねた声の代わりに、ただ祈るように、こぼれた独り言だった。
ルカは、何も言わずにそれを聞いていた。
ただ一度だけ、ちらりと臣を見て──その目は、何かを“託すように”静かだった。




