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第20.5話 海の底から

#第20.5話 海の底から



微かな電子音が、深海のような静けさに溶けた。

“ふわん”――空間がたわむ音が、まるで水面を撫でる波紋のように広がる。

コンクリートの無機質な灰が、深い青に塗り替えられた世界。

壁も床も天井も、まるで“水中”のように、わずかに揺らいでいる。


――Abyss。

それは、雪の棲み処。情報の深海。


無数のウィンドウが、空中に浮かんでは、さざ波のように揺れていた。

その一枚に、瓦礫に覆われた路地裏の映像が映る。

カメラのアングルは定まらず、ノイズも多い。

けれど、その中に――確かに“彼ら”がいた。


画面の向こうで、ルカとナオが追い詰められていた。


「……バトルが始まっちゃったら、俺らにできることなんて、もう無いんだな……」



ぽつりと、クラウンが呟いた。

椅子に座ったまま、画面を見つめている。


「せいぜい中継、盗聴、ハッキング防御……でも、

最後の一手は、向こうだもんな。」


言葉を置くたびに、沈んだ空間に小さな“波紋”が広がるようだった。

返事は、すぐには来なかった。


雪は、横で静かに作業を続けていた。

淡い光を放つウィンドウを、手のひらでなぞるように開き、閉じる。

指が舞うたび、また“ふわん”と音が響く。


「……そうだね。」


静かな声が返ったのは、ひとつのタブを閉じた時だった。


「だからその前に、ルート潰したり、データ抜いたり、

やれることは、全部やっておかないと。」


そう言いながらも、その指は止まらない。

タップ、スワイプ、スキャン――その全てが、静かな“支援”のかたち。


「……でも、もどかしいよね。歯がゆいよね。」


雪の声が、ふっと細くなる。

たぶん、何度も繰り返してきた感情なのだろう。

どこか苦笑を滲ませながら、雪は続けた。


「私たちはさ、結局――“安全圏”の人間だよ。

ずるいな、って……思う時、ある。」


クラウンは、しばらく黙っていた。

けれど、ふっと息を吸って、口を開く。


「……俺、頑張るよ。」


その言葉は、派手でも、強くもなかった。

でも――まっすぐだった。


雪は、作業の手を一度止めて、クラウンの方を見た。

そして、ほんの少しだけ、微笑む。


「うん。頑張ろう。

……手の届くところから、ね。」


再び、空気に電子音が溶けていった。

静かで、確かにあたたかい。

深海の底で、ふわりと灯った、小さな火のような時間だった。

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