第18.5話 カナリヤ
#第18.5話 カナリヤ
――路地の闇は深く、夜風は重たかった。
ひと気のない裏通りを、那智はゆらりと歩く。
どこまでも軽く、どこまでも虚ろな足取りで。
唇から、今にも消えそうな鼻歌が漏れる。
「♪……歌を…忘れた、カナリアは……」
口ずさみながら、那智はふと足元に目を落とした。
濡れたアスファルトに、赤黒い染み。誰のものだったかは、もう分からない。
――歌を忘れた、無能なカナリアは、どうするのか。
自分で呟きながら、どこか他人事のような響きが混じる。
その肩に、不意に――ぽん、と軽い手が置かれた。
「めずらしーじゃん。あんたが鼻歌なんて。機嫌いい……」
少し覗き込んで、茶化すように続ける。
「ああ、最悪な方ね。了解」
密着するような距離感で、すぐ横にカンナがいた。
肩を組むように馴れ馴れしいのに、笑みの奥に何を考えてるか分からない――
そんな女だった。
笑みを浮かべて覗き込む彼女に、那智はわずかに目を細める。
「……はあ」
ひとつ息を吐く。
けれど、それは拒絶ではなく――諦めに近い音。
「その歌、なに?」
「……無能なカナリアを、捨てる歌だよ」
カンナは眉を上げ、すぐにクスクスと笑った。
「わー、あんたにぴったりじゃん。趣味の悪さが。」
少しだけ間を置き、首を傾げながらさらりと問う。
「で、“使えないカナリア”は、どうだった?」
「……ダメだね、あれは。」
カンナの問いに、那智はぼそりと独り言のように答える。
何が“ダメ”だったのか――それは、誰にも言わない。
けれどその声は、どこか惜しむような、残念そうな響きだった。
「じゃあ、処分しないと…ね?」
ふと、立ち止まる。
そして、ゆっくりとカンナへと振り返る。
「――お喋りが過ぎるカナリアは……」
不意に、右手を持ち上げる。
人差し指と小指を立て、中指と薬指を親指で押さえた“犬”の形。
それをぱく、と小さく開く。
「……“ぶつ”、よ。」
にやりと笑う。だが、目は笑っていなかった。
一瞬だけ、カンナの笑みが消える。
瞳が細まり、温度が一度だけ下がる――
けれどまたすぐ、口元を緩めて寄り添う。
「……怖い怖い。」
カンナの肩が、寄り添うように触れたまま――
那智は、もう一度だけ深く、息を吐いた。




