第14.5話 帰ってきたら
#第14.5話 帰ってきたら
いつもの朝。
キッチンには、コーヒーとトーストの香りが漂っていた。
「……なぁ。」
ルカが椅子にだらしなく座り、マグカップを揺らす。
中身よりも、揺らすことが目的のように。
「あっち着いたら、今日のあいさつ、何にする?」
「……またしょうもない企みか。」
ナオはトーストをくわえたまま、端末をいじる手を止めずに返す。
「お前が“おはようございます。本日もよろしくお願いします”って言うだけで、クラウンは固まる。そのくらいでいいだろ。」
「それじゃ普通すぎるって。違ぇよ。
“ダーリン、今日も頑張ろうな”って詰め寄るか、
“言うこと聞けよ、ハニー?”って迫るかって話。」
「……どっちも死ぬほど嫌だ。乗らねぇ。」
「えー?もっと上げてこうぜ?
なんならナオから俺に“ハニー、今日も可愛いな”って言ってくれてもいいって…あ、それいいな。」
ナオはあからさまにため息を吐くが、ルカにはまるで効果がない。
「今日はナオの“ダーリンムーブ”で行こう、な?」
「しねぇよ。」
「えぇー、今日俺、一日ハニーの気分だったのに。」
呆れを通り越して沈黙したナオに、ルカはわざと肩を落とす。
「……じゃあ妥協案。
ここで“今日も頑張って、ダーリン♡”って言ってくれたら、
あっちでは絡み薄めで許してやる。」
「鏡に向かって自分で言ってろ。」
「ひっでぇ。」
ふたりの間に、ゆるやかな間が落ちる。
それは、気まずさでも緊張でもない――いつも通りの、呼吸の隙間だった。
「……じゃあさ」
ルカがふいに立ち上がって、ナオの背後へまわる。
肩越しに、いたずらっぽい声音でささやく。
「合わせてくれたら、夜、ご褒美やるよ。な?」
「……は?」
ナオの手がぴたりと止まる。
顔は見えない。
でも、こいつは――絶対、にやけてる。
「そうだな。心から、“今日もありがと、ダーリン”って言ってやるよ。
……帰ってきたら、な。」
その一言に、ナオの肩が――ほんのわずか、揺れた。
「……バカだな」
ナオは画面に目を戻す。
けれど、その口元だけは、わずかに緩んでいた。
それは、どこにでもある、ただの朝だった。
けれど――あの言葉だけが、まだ返ってきていない。




