表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/10

10 あんまり好きじゃないけど一緒に行ってあげる


「海外留学、ですか?」

「すごい、リナリアと一言一句同じ反応だ」

 照れ隠しに茶化すと、アトラは半目になった。


「リナリアが海外に行ったから、私の姿がある程度人目に触れても大丈夫だって言いたいの?」

「まあ、そうかな」

 頷くと、アトラは頬に指先を当てた。しばらく思案するように斜め下を見る。物思いに耽っているらしい。



「それでさ、本題なんだけど」


 アトラは、日の当たるカフェでケーキを食べるのは初めてだという。パラソルの下の円形の影の中で、彼女は眩しそうに目を細めていた。


「君のお義父さんから、君のことは好きにして良いって言われてるんだよね」


 頬杖をついたまま言うと、アトラは眉をひそめる。フォークを下ろして、訝しむように首を傾げた。


「……一体、どうやって説得したんです?」

「国ひとつ人質に持ってって、脅した」

 さらりと答え、ルカは二本指を立てて得意顔になる。

 アトラは心なしか怯んだように見えた。


「それで、私のことをどうするっていうんですか」

 警戒を示した彼女の言葉に、ルカはあっけらかんと「どうもしないよ」と答えた。


「僕は莫大な金を支払ったりとか、何かを失ったりだとか、そういう代償は特になかったよ。……だから、君が気に病むようなことは何もない」


 とはいえ、やり方を一歩間違えていれば、口封じをされていたか、あるいは社会的に殺されていたか……。公爵の『ご寛大さ』には感謝しきりである。


 理由も分からず外出を禁じられ鬱屈していたリナリアは、今は異国の地で溌剌と暮らしているという。ほとんど日記のような手紙が届いたのは、数日ほど前のことだ。楽しい生活を送っているようで安心した。



 片手で頬杖をついたまま、ルカは柔らかい口調で告げた。

「これからは、お互い、ただの二人の人間として仲良くなれないかな。僕、君みたいに――ちょっと変わった女の子に会ったのは初めてなんだ」


 不思議なものを見るような眼差しで、彼女は凜と背筋を伸ばしてこちらを見ていた。

「……私のこと、『ちょっと変わった人間』に収めていいんですか?」

「うん、良い」

 頷くと、アトラはきゅっと唇を引き結んだ。



 黄色に染まった街路樹が続く並木道には、時折、心地よい涼しさの風が吹き抜ける。アトラの柔らかい赤毛がそよそよと揺れるのを眺めながら、ルカは頬杖から顔を上げた。


 アトラは途方に暮れたような顔で、呆然と黙り込んでいる。


「……どうして、そこまでしてくれるの?」

 唇が薄く開いて、独り言のような呟きが漏れた。アトラの表情は心細そうだった。

「だって私たち、ほとんど面識もないし、私、いつだって酷い態度を取っていたでしょう」

 酷い態度の自覚はあったらしい。内心で苦笑しながら、ルカは頬を掻く。


「ラチェタライトと、僕の母のことを教えてくれたでしょ。そのお礼ってだけ」

「それだけのことじゃない」

「一方の『それだけ』が、他方にとっては『そこまで』だったってことだよ」


 アトラは文句ありげに口を開きかけたが、結局また口を閉じた。どうせ言いくるめられると諦めたらしい。


「分かりました。……私も、今まで友人を作るのは極力控えていましたから、状況が変わったのなら、友人を作るのはやぶさかではありません」

 諦めたようなため息一つ、彼女はおずおずと微笑む。


「……仲良くしてくださいね」


 にこ、と頬を緩めたアトラが思ったより可愛かったので、咄嗟に返事ができなかった。

 三秒ほど絶句していたら、珍しいアトラの微笑みが一気に苦る。

「仲良くしたくなかったんですか?」

「まさか! する! するよ」

 低い声で睨みつけられて、ルカは大慌てで首を振った。



 アトラはしばらく唇を尖らせていたが、ふんと鼻を鳴らすと残りのケーキを大きな一口で食べ終えた。

 頬をいっぱいにして、慣れない様子でもごもごと咀嚼している姿は、公爵令嬢のそれではない。


 ぎこちなく口の端の生クリームを舌で舐めて、彼女は癖のある髪を耳にかけた。不慣れな仕草で足を組んで胸を反らす。


「公爵家や本物のリナリアに迷惑をかけたくないので、私はただの『酒場のアトラ』で、生まれも育ちも不確かな平民です。そんな私と交友があることで、あなたには迷惑をかけるかもしれません。……それでも良いのですか?」

「うん」


 今度は迷いなく頷くと、アトラは頬杖をついた。「お馬鹿なひと」と聞こえよがしに呟いて、ふと思い出したように眉を上げる。



「そういえば、今度またラチェタライトが競売にかけられますよ」

「え、もう?」

 つい数ヶ月前に、例のオークションで競り落とされた品のはずだ。再び売りに出されるには、随分と早くないか?


「前回ラチェタライトを購入されたお客様が、『もう自分は十分望みが叶ったので、一秒でも早く手放したい』と、店の方にいらして」

「な……何があったの?」

「お客様の個人的な事情を言い触らしたりなんてできませんよ」

「友達のよしみで教えてくれたって良いじゃないか」

 哀れがましく弱った声を出すと、アトラはひょいと肩を竦めた。



 ちょいちょい、と小さく手招きをされて身を乗り出す。アトラは口の脇に手を立てると、「どうやらね」と切り出した。


「あのお客様、何年も前に旦那さんと仲違いをしたきり、敷地内にある別邸で暮らしていたそうなんです」

「え、あの人が?」

 さる貴婦人が家庭でそんな問題を抱えていたとは知らなかった。社交界で会ったときはごくごく普通の夫婦に見えたのに。


「当時の言動を反省して仲直りをしたくて、でもすっかり機会を失って勇気が出なかったので、ラチェタライトを購入したんだそうです。それで、その力の手助けを受けようと思ったら、――何でも、大きな庭木が倒れてきてお屋敷が半壊になったんですって」

「半壊!?」

 思わず大きな声を出すと、アトラが鋭く歯擦音を発する。慌てて手で口を塞いで、ルカは目顔で続きを促した。


「まあそれで、別邸が見事に潰れてしまったから奥様は本邸に戻られて、そのついでに長年のわだかまりもある程度解消された――ということらしいです」


 以上、と言いたげに席に座り直したアトラに、ルカは「うーん」と眉間に皺を寄せて腕を組んだ。

「それは……良い話なのか悪い話なのか……」

「微妙ですよね」

 アトラも中々ぞっとしないような表情で、複雑そうである。



「とにかく、これ以上家を壊されたら堪らないということで、あの石は売りに出したいという風にお話を頂いたんです。まだ詳細な日時は決まっていませんが、オークションの日程が確定したら、どこからともなく情報が来ると思います」


 なるほど、と頷いて、ルカは腕を組んだまま唸る。

「どうするかな、もう一回くらい挑戦してみようかなぁ」

「まあ、止め立てはしませんけど」

 意味深に言葉を切って、アトラは聞こえよがしに呟いた。


「一度しかない人生に、魔石はひとつで十分じゃないですか?」


 頬杖をついて、横を見ながらそう言って、数秒おいて、反応を窺うように目線だけがちらりとこちらを向く。絶句しているルカを見つけて、アトラの耳がゆっくりと赤くなる。




 顔ごと背けて黙り込んでしまったアトラは、ごく普通の少女に見えた。

 どこにでもいる、平和な生活をしている人間である。


 道行く人が見かけたって、何とも思わず日常のワンシーンとして消えていくような、何の変哲もないような顔をして。




 ルカはふと思い出してアトラを見た。

「一応確認しとくんだけどさ、雪山はお好き?」

 アトラは少し虚を衝かれたような顔をして、それからゆっくりと微笑んだ。言わなくても分かるでしょう、と言うような顔だった。


「じゃあさ、僕が北の方で城を継いだあと、もし良かったらおいでよ。一人じゃ寂しいからさ、僕が」

「そこまで仰るなら、考えておきますよ」

 勿体ぶった口調で、アトラはつんと鼻先を上げて答えた。その口元には面映ゆいような笑みが浮かんでいる。



 可愛らしい大きさの円テーブルに向かい合わせに座って、人目を憚るように顔を寄せ合って、小さな声で囁き合う。


「私より長生きして、私のこと、壊してくれますか」

「君となら一緒に火口に飛び込んでも良いよ」

「まあ、口の上手いこと。火山があるの?」

「ここ百年は噴火してないけどね。――鉱山もある」

 きらりとアトラの目が光る。


 日常の中に一粒落とされた痛烈なスパイスが、背筋を痺れさせるようだった。

 自分たちが、何食わぬ顔でこんな会話をしているだなんて、背後をゆくウェイターも、通り過ぎていった家族連れも、隣の席の老紳士も、誰も知らない。

 そうした、悪戯めいた非日常的な紐帯が、どうにも楽しくて仕方ないのである。



「ほんと、癖になるよなぁ」

「何ですか?」

「いや、こっちの話」




 と、アトラはふと思い出したような顔をして指を立てた。

「ちなみに、私には常に警備がつけられていて、私の身に危険が及ぶと報告が行くように魔術がかかっている、と先日オークション側から聞いたのですが、」

「うん?」

 いきなり何の話だろう、とルカは身を乗り出した。


「その金額が、ざっと一ヶ月あたり――これくらいかかるそうでして」

 そう言ってアトラが指で示した数字が、しばらく信じられなかった。絶句するルカに、アトラがやや申し訳なさそうな顔になる。


「もしそちらにお世話になるなら、警備は打ち切った方が良いかしら?」

「い、いや……警備はつけておいた方が良いよ、絶対」


 ルカがアトラをただの女の子として扱ったとしても、皆が皆同じ考えを持つわけではない。

 彼女の正体が何かの拍子で知れたときのことを考えれば、用心に用心を重ねて守るべきなのは当然だ。


 いやしかし、別に払えないわけじゃないけど、無理って訳じゃないけど……。


 ルカは腕を組んでしみじみと呟いた。

「君ってやっぱり、世界で一番くらいに高くつく女の子だね」

「嫌になった?」

「嫌だったらもっと早く手を引いてるよ」


 アトラはちょっと眉をひそめて、ルカをまじまじと見た。

「やっぱり、変なひと」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
面白かったです 鏡に関するエピソードが一気に解放された点が、やや 駆け足に感じました 正体だけでもびっくりするのに、国に関する陰謀と歴史までセットでドカドカと…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ