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蝶遊苑国香魔伝 -後宮に隠れ住む魔女-  作者: ヴィルヘルミナ
第三章 後宮に咲く魔性の華

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第三話 神廟の岩戸

 後宮では大浴場の利用日が部屋ごとに決められていて、三日に一度の入浴になる。薬草を育てる〝薬園の乙女〟と、蚕を育て布を織る〝糸織の乙女〟だけは毎日の利用が許されていて、好きな日に入浴が出来る。


「暑くなってきたから、汗びっしょりだよ」

「私も」

「汗が止められたら良いのですけれどねえ」

 汗を止める薬茶を作ることは可能でも、汗は体温を下げる為だから、無理に止めない方が良い。私たち三人は、こまめに水を口にして、ごく少量の岩塩を舐めることを徹底している。


 茶色の作業着のまま、着替えや香油を入れた竹かごを持ち、私とシュンレイ、ホンファは大浴場へ向かっていた。


「お風呂あがったら、すぐご飯に行こ。お腹すいたー」

「あら。先に行けばよかったかしら?」

「土を落としてからの方がいいんじゃないかな。私たちの作業着を嫌ってる人っているし」


 嫌味を言われるのは私だけだと思っていたのに、作業着姿だと三人でいても嫌味を言われることを最近知った。気分が悪くなる言葉や態度を気にするより、綺麗にして深衣で安心して食事を楽しみたいと思う。


「あ、あれ……」

 小声のシュンレイの視線の先、大浴場からの廊下を独りで歩いて来るのは、銀色の長い髪に翡翠色の瞳のランレイ。煌びやかな刺繍が施された特製の深衣ではなく、私たちと同じ桃色の深衣を着用し、絹の団扇の替わりに着替えや化粧品を入れる竹かごを抱えている。


(今まで大浴場を使うことがなかったのに……)

 ランレイは公主と同じ個室の風呂を特別に使っていると聞いている。大浴場を使うのは、何か意味があるのだろうか。


「良い夜を」

 緊張する私たちとすれ違う直前、ランレイはにこやかに微笑んで夜の挨拶を口にする。風呂上りで銀色の髪が湿っていて、いつもの薔薇の香りがしない。それどころか、甘い百合の香りが漂う。


「よ、良い夜を」

 驚く私たちの中でシュンレイが真っ先に挨拶を返すと、ランレイは微笑みながら会釈して、軽い足取りで通り過ぎて行った。


「……ランレイ……だよね?」

「聞き間違いかしら。声が違うような気がしたのだけれど」

 ホンファの一言で、私も違うと思った。

「香りがいつもと違ってた……雪百合かな?」

 雪百合の香りは華やかな甘さが強すぎて、単独で使われることは珍しい。香油にするにしても、他の花や果実の香りと混ぜて和らげることがこの国では一般的。


「あ、そうなんだ。何か、カリンの匂いとちょっと似てた」

「私? 香りは何も使ってないのに?」

「カリンって、いつも良い匂いですのよ? 自分の体臭だと分からないものなのねえ」

 体臭と言われてどきりとした。香魔の一族は、それぞれが独特の体臭を持っている。自分自身の体臭をこれまでは気にしたことが無かった。


「いつもって……そんなに匂う?」

 雪百合の香りは甘くて重い。常に強い香りを漂わせているとしたら、香りを和らげる措置を考えないと。

「隣にいても普段はわかんないけど、抱き着いたりすると、ふわっと、って感じかな。すっごく良い匂いだよ」

「そうそう。とても近い距離でしか香らないのよ。不思議なのよねえ」

 ふと、私の体臭を咲き誇る花と言っていた第一皇子リュウゼンを思い出し、背筋がぞくりと冷えた。


「カリン、顔色悪いよ? 大丈夫?」

「あ、ごめん。大丈夫。……ランレイに似た侍女って、後宮にいた?」

「いなかったと思う。でも、新入り……にしては、堂々としてたもんね」

「そうねえ。慣れているとしか思えないわねえ」

 大浴場の更衣室へと入ると、十数名の湯着姿の侍女たちがいた。これから湯に入る者と湯から上がって来た者が、雑談をしながら笑い合っている。


「あ、ねえねえ、ちょーっと教えてもらっていいかな?」

 シュンレイが近くにいた同年代の侍女へと気軽に話しかけていく。どうやら顔見知りのようで、相手は髪を身拭い(タオル)で拭きながら笑顔で応じてくれた。

「何? 何でも聞いてよ」

「さっき、ランレイって、ここにいた?」

「ランレイ? ああ、それって沙梨(サリ)じゃない? あの子が魔法の薬飲んだって子よ」

 魔法の薬。その言葉で一気に緊張感が高まった。顔に出さないようにと、心を落ち着けながら、棚へ荷物を置く。


「そうなんだ! 本人かと思っちゃった」

「いやー、なんかね、ランレイと同じ顔だから、同室の子たちが気を使っちゃうんだって。……あとね……薬を一緒に飲もうっていう勧誘やり過ぎて、距離置かれてるみたい。一度も話したことない私も、さっき誘われちゃったもの」

 私たちが誘われなかったのは、通りすがりだったからだろうか。作業着を脱いで脱衣籠へと放り込みながら、考える。脱衣籠に入れた服は、湯番の下女に回収されて洗濯場へと向かう。作業着や深衣、下着に至るまで、名前が刺繍されており、洗濯後には部屋へと届けられる。


「薬を飲む人数が多くなったら、割引があるんですって。二人なら半額、三人なら三分の一。どんどん安くなるからって」

「そんなに安くなるの?」

 人数で割ると安くなるのなら、一度に大量の薬が出来るのか、魔力の代償がある薬か。香魔の薬にも、材料の都合で一度に大人が一人はいる鍋一杯になるものがある。魔力を使うなら、一度に沢山作ることも出来る。


「らしいわよ。でも、そんなアヤシイ薬、いくら安くても飲むの嫌じゃない? そりゃあ自分の顔に不満が無いっていえば嘘になるけどさあ。だからって、誰かとそっくりな顔になんてなりたくないもの」

「それはそうですわよねえ。生まれつき双子ならまだしも」

 ホンファの言葉に思わず頷いてしまった。双子の姉とは少しずつ顔が違ってきていると言われていたけれど、同じ顔であることが嫌と感じる瞬間もあった。双子は生まれつきだから仕方ないと受け入れられても、今更、誰かと同じ顔になるのは双方に不快感を残すと思う。


「サリは理想の顔になれて嬉しいだろうけど、ランレイは可哀想よね。皆が魔法の薬飲んで、同じ顔が増えたりして!」

「うわ、想像したら怖いんだけどー!」

 シュンレイの叫びで、後宮の大広間に同じ顔が並ぶ光景が想像出来て恐ろしくなった。


「怖い薬よねえ」

「そうね。怖い薬だと思う」

 理想の顔になる魔法の薬。飲もうとは思わないけれど、どんな薬なのか興味が沸いてきた。どうにかして手に入らないかと、考える自分に気が付いて、私は苦笑するしかなかった。


      ◆


 翌朝、医局に採れたての薬草を届けた後にルーアンの執務室の扉を叩くと、開けてくれたのはハオだった。

「カリン、おはよー」

「おはようございます。お忙しい所、申し訳ありません。失礼しま……」

 諦めて帰ろうとした私を、ハオは中へと招き入れた。ハオは黒塗りの書類箱を脇に抱えている。


「俺はすぐに出てくからさ、ゆっくりしていきなよ。あ、ルーアン、そっちの書類も俺が届けるよ」

「ありがとうございます。ですが、ハオに使いの仕事をさせる訳には……」

「いいっていいって。ロウが俺の替わりに兵士の訓練してくれてるから、今日は時間余ってるんだ」

 ルーアンの机の上には、いくつもの書類箱と封書が積み上げられている。


「あいつ、凄いんだよ。普段は言う事聞かない兵士でも、一睨みで黙らせるんだ」

「一睨みで?」

「これ言ったらあいつが調子乗りそうだけど、あの綺麗な顔で睨まれるとすっごい怖いんだよ。俺も対戦した時、本気でやらなきゃ死ぬって思った」 

 それなら、ルーアンが睨むと同じ効果が得られるのだろうか。そう考えている間に、ハオは机の上の書類箱と封書を両手いっぱいに抱えて執務室から出て行った。


「ハオは宰相付きの護衛兵ですが、五日に一度は兵士の戦闘訓練に駆り出されています。ロウはまだ配属先が決まっていませんが、成果を上げているなら白虎省になるかもしれませんね」

 白虎省は軍事や国の防衛を司り、多くの武官と全国の兵士を束ねる宰相下の巨大組織。


「ロウが着ていた兵服ですが、特に意味はなく、配属先未定ということで他の兵と絶対に被らない色を選んだだけだそうです。忌み色指定も消えていました。わざわざ陛下が他の兵と区別するようにと指示されているので、陛下も期待されているのでしょう」

 墨絵のようなな色合いの兵服に意味が無くて良かったと思う。ルーアンの言葉は丁寧でも、少々の嫉妬が感じられる。


「……カリン……少しだけ、抱きしめてもいいですか?」

「……え……あ、はい」

 視界の端で赤い光が煌めいて、防音結界が発動したことに気が付いた。きっと何か監視に知られたくない話があるのだろう。


 近づいてきたルーアンが私を抱きしめて、窓の外へ背を向ける。爽やかな竹の香りと墨の香りに包まれると安心感が満ちてほっとする。ルーアンの背に腕を回すと、ルーアンがびくりと体を震わせた。


「……私、何か匂いますか?」

「……はい。甘さの中に清涼感がある花の香りでしょうか。何かはわかりませんが、とても良い香りですよ。……カリンに似合うと思います」

 耳元で囁かれると、恥ずかしくなってきた。


「……ルーアン、お話を中断させてごめんなさい。何でしょうか?」

 私がそう囁くと、私を抱きしめる腕が強まった。

「……近日、第一皇子リュウゼン様が帰還されます。当初予定の二ヶ月を過ぎていますが、予定していた視察の三分の一しか終えていません」

 その声には緊張感。


「三分の一? 天候不順ですか?」

「それもありますが……各地の神廟が開かず、皇族祭祀が行えなかったようです」

 この国では、各地の護りとして神廟という建物が設置されている。三年に一度、皇族男子が訪れて、岩で作られた重い扉を開いて祭祀を行う。扉は神力を持つ皇族男子にしか開けないことは広く知られている。


「視察と祭祀は、陛下の弟君が引き継がれて行われています。……最悪なのは、滞在地で女性問題を起こしたそうで……平民の女と言われて手を出したら、実は地方貴族の娘だった、と。捨てるつもりが、責任を取って月妃にしろと言われて逃げ帰ってくるようです」

 深い深い溜息一つ。大量の書簡も、その問題に関するものなのだろうか。お疲れ様という心を込めて、ルーアンの背中を撫でる。


 陛下の弟君は病弱で、帝都から離れた南の離宮で暮らし、政治からは距離を置いている。そんな方を地方視察と祭祀に従事させることは気の毒だと思う。

「他の皇子は?」

「弟君に引き継がれたのは陛下のご指示です。他の皇子に代行させることで、第一皇子の地位が揺らぐことを懸念されたのでしょう」

 特に第三皇子ケイゼンは昔から国民の人気が高い。幼い頃に老人や女性を助けたという様々な話が物語になり、外国へ留学してからも人気が衰えることはなく、想像で描かれた絵姿が売られている程。


「何故、扉が開かなかったのでしょうか」

「……神の怒りを受けているのかもしれません」

「神の怒り?」

「リュウゼン様では何をしても扉が開かなかったのに、陛下の弟君が近づくと自然に扉が開いたという報告があります。神に拒絶されたと見るのが普通でしょう」


「何となく、神がお怒りになるのもわかる気がします」

 甘い言葉で平民女性を騙し、利用して捨てて行く。人の心や道理を理解していない者が民の上に立つことを、神は許さないと伝えているような気がする。


「これから、気を付けて下さい。リュウゼン様と絶対に二人きりになってはいけませんよ。私たちが婚約していると知っても、何をしてくるかわかりませんから」

「そうですね。気を付けます」

 ルーアンの温かい腕の中、安堵と不安を抱えながら、私は答えた。

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