3-10.
撮影が終わった映像はつなぎ合わされ、加工や音が加えられて映画へと仕上がっていく。その過程で、揃えたはずのパーツに不足が出ることもある。
その日、編集室でつなぎ終わったシーンを流して確認していた水島と編集、音響スタッフの間に微妙な空気が流れていた。
「いけないってほどじゃないですよ」
編集担当が言うのを、水島は難しい顔で聞いて唸った。
「分かる。それは分かるんだけど、でも、良くもねえよな」
「それは、まあ……ベストかって言われると。でも、手持ちの音源、これ以上ないんでしょ?」
編集が音響担当に確認すると、音響は申し訳なさそうに頷いた。
問題になっているのは作中で流れる音の一部が微妙に映像と合わないということだった。音を別撮りしてあったのだが、合わせてみるとほんの少し、違和感がある。
「もしダメなら加工するか、撮り直すかですけど……外注するコストを保科さんが許してくれるかは……」
一応の対応策を提示しながら音響が言葉を濁す。追加コストをかけるほどの致命的なズレではない。ただ言われてみれば確かに気になる。そして一度気が付いてしまうと素通りできないのがプロだ。問題はその音がずれている個所が出演者が弾いているはずのピアノや、遠景とともに流れる下校の音楽など、ぱっと揃えにくいものであることだった。ちょっとした効果音なら音響担当がすぐに撮り直して音を作り足せるが、音楽はそうはいかない。
黙り込む編集と音響の前で水島はパラパラと資料をめくり、自分が問題を指摘したシーンを拾い上げていく。
「三か所か。一つならともかく、三つ見逃すのは……さすがにねえな」
「撮り直し、間に合いますかね」
編集が不安げに声をかけると、水島は「うーん」と宙を睨んでから「あ」と声を上げた。
「心当たりあった。ちょっと待って」
「え?」
水島はテーブルに出したままだったスマホをとると電話を掛けだした。心当たりとは何なのか、ただその動きを見守るスタッフに説明が与えられる前に、電話は無事につながったらしい。
「もしもし? ちょっと頼みたいことがあって。うん。今。契約外で悪いんだけどさあ……」
気安い様子で話す内容からすると、どうやらピアノを弾ける知り合いに掛け合っているらしい。
「え? 風呂入ってたのかよ。早く言えよ。いったん切るからちゃんと服着てからかけ直して……駄目。湯冷めするだろ」
気安さの極まったやりとりに編集と音響は思わず目を見合わせた。困惑する二人をよそに電話を切った水島はあっさりと「やってくれるって」と報告してきた。
「え……あ、え?」
水島がそれ以上説明せずに依頼すべき音源の秒数などを確認し始めたので、二人は水島の心当たりについて追及するチャンスを逃した。
十分もした頃にスマホに着信があり、水島はまとめておいた要望を伝える。「そうそう。ブルグミュラーのやつ、一回目は練習始めてすぐ。二回目は一か月後くらいの感じで。完成しないでいい。下手な方が。あとは……」などと端的ではあるが、無茶と言えば無茶な要求である。さっきまでお風呂にいた人がこれを引き受けてくれるというのはどういう関係なのかと音響担当は以前にチラッと聞いたことがある水島の妹を想像した。水島の遠慮のなさは完全に家族の距離感だ。
「ちょっと弾いてもらうから聞いてみて」
言いたいことを言い終わったらしい水島がスマホをスピーカーモードに切り替えた。そのスピーカーからポーン、ポーンと音を確かめるように弾くピアノの音が鳴り、それから唐突に「じゃあ、遠き山に日は落ちてから行きますねー」とのんびりした声が聞こえてきた。音響の予想に反して男性の、しかも、どこかで聞いたような声だ。
この声は誰だったかと考える間もなくメロディが流れ出す。適度に拙く、でも不快ではない程度にちゃんと音楽として成立している。一通り聞き終わった水島は「もうちょっとゆっくり」「もう一回やって」「左手弱く」など遠慮のない注文を付けている。電話の向こうは苛立った様子もなく「こんな感じでいいですか?」「二パターンやるから、どっち寄りか教えてください」と極めてスムーズに進めていく。水島の指示に慣れた様子は家族ではなくて、音楽のプロなのかもしれないと音響は考えを改めた。あるいは水島の親しい友人にピアノの素養のある音響担当がいるのかもしれない。
「よし、オッケー。じゃ、全部送っといて。サンキュー、じゃ、またな」
突然の電話で散々振り回した挙句に「サンキュー」だけであっさり電話を切った水島に、思わず「え」と編集の声が漏れる。何をどう聞いていいのか。戸惑いながら顔を見合わせた編集と音響の間に沈黙が落ちる。視線で、お互いに「お前が聞けよ」と押し付けあいをした末に、編集がおずおずと水島に問いかけた。
「監督……今の人って」
「あ? 星野」
「はあ⁈ え、あの、制作の星野さん?」
「おお、そうだけど……」
二人の驚きぶりに驚いたらしい水島が目を丸くして、全員が驚き顔のまま顔を見合う妙な空間が生まれた。耐えられないというように音響が叫ぶ。
「あの人、一体全体どうなってんすか!」
「え、どうって……ピアノ下手だからちょうどいい、あ、来た。さすが早えな。音源来たぞ」
「もう⁈」
編集と音響の開いた口がふさがる暇もなく水島から音源データが二人に連携され、それを早速映像に重ねる作業に移る。
「いや、星野さん、そもそも制作だし、しかも鬼制作だったし、でも演出めっちゃ詳しかったし、その上、音響とかスペックが異常……あ、完璧っすね、これ」
ぶつぶつと呟いていた音響担当が処理を終えたデータを再生してぽかんと顔を上げた。
「できちゃった」
水島も改めて確認し、納得の顔で「うん、こっちのがいいな。ここはこれで行こう」とGOを出した。
それから次のシーンへ作業が移ったため、二人のスタッフの星野について感じた様々な疑問は解消される前にかき消されてしまった。




