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ヘタレ退魔師・玖堂冬夜のあやかし奇譚  作者: 市瀬瑛理
第七章 決戦

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第58話 零れ落ちる雫

 古鬼(こき)が冬夜に向けて薙刀(なぎなた)を振り下ろそうとした時だった。


「――冬夜さまぁーっ!」


 コハクの悲鳴じみた声が聞こえてきたと思った次の瞬間、冬夜の身体は何かの力によって勢いよく押され、そのまま横倒しになる。


 床に左肩と腕を思い切り打ちつけたが、それはどうやら古鬼の攻撃のせいではないようだった。


 あまりにも突然のことに、まだ横になったままの冬夜が呆けたままで瞳を瞬かせると、


「コハくん!」


 志季の掠れた叫び声が体育館に響く。


(……コハク?)


 冬夜には今何が起こっているのか、さっぱりわからなかった。

 とにかく状況の確認をしなければと、身体をゆっくり起こそうとする。


(まだ、身体は動かない……?)


 冬夜は不安になりながらも、まずは指先から動かしてみることにした。


(あ、ちゃんと動く)


 倒れた時のショックか何かだろうか、どうにか動かすことができてほっとする。

 そのまま起きようとすると左腕は少々痛んだが、幸い大きな怪我もなく起き上がることができた。


 しかし、それからすぐ視界に捉えた光景に、冬夜は志季と同じように大声を上げることしかできなかった。


「コハクっ!」


 冬夜の(そば)、その足元には血にまみれたコハクの姿がある。


 うつ伏せになって倒れている人間姿のコハクを見て、冬夜は瞬時に状況を悟った。


 きっとコハクは、冬夜の危機に結界を破って飛び出してきたのだろう。あれほど『絶対に結界から出ないように』と言い聞かせていたのに。


 そして、冬夜と古鬼のいる方に向かいながら人間姿に変化(へんげ)すると、思い切り冬夜を突き飛ばしたのだ。


 結果が今の状況である。


 コハクの背中には大きな切り傷が見えた。おそらく古鬼の薙刀でやられたものだろう。


「あ、あ、コハク……っ」


 距離にして一メートルほど離れたコハクの元へと、冬夜は血だまりを避けることなく、なりふり構わず()っていく。

 今は自分がコハクの血で汚れるだとか、腕の痛みだとか、そんなことはどうでもよかった。


 コハクの前までやってくると、それに気づいたのか、コハクは薄く(まぶた)を持ち上げて冬夜を見てから、そっと微笑む。


「……とうや、さま……。ぶじ、で……、よかった、です……」

「コハク、コハク! しっかりして! 今治癒術で治すから……っ!」


 笑みと苦しげな表情が入り混じったまま、荒い呼吸を繰り返すコハクの様子に、冬夜は懸命になって名前を呼んだ。


「……ボクは……だいじょうぶ、です……。だから、とうやさま、は……ちからを、すこしでも、おんぞん、して……ください……」

「でも……っ!」


 コハクを見下ろす冬夜の瞳から、大粒の雫がいくつも零れ落ちる。落ちた雫はコハクの顔を覆う黒髪を伝い、その頬を静かに濡らしていった。


(コハクを助けなきゃ……! でもコハクは力を温存しろって……っ!)


 冬夜にはどうしていいかわからず、次から次へと溢れてくる涙を拭うこともできない。

 ただ小さく肩を震わせていると、志季の声が飛んできた。


「冬夜! あれ、持ってねーか!?」


 まだ苦しげな声音に、冬夜が思わず顔を上げる。


「あれ……?」

「征一郎さんからもらった薬!」


 さっき飲んだだろ、志季はそこまで言ってから、また顔を歪め、咳き込んだ。


「あ、多分まだある……っ」

「じゃあ、それをコハくんに飲ませろ!」


 ようやく志季の言葉の意味を理解した冬夜が、慌てて着ているシャツの胸ポケットを探し始める。


 手についた血でシャツが汚れるのも構わず必死になって探すと、一つだけポケットの中に残っていた。


「……あった!」


 落とさないように気をつけながらパッケージを開けて、出てきた錠剤をコハクの口元に運ぶ。


 水がないから少し飲みにくいかもしれないが、今はそんなことを言っている場合ではない。


「コハク、頑張って飲み込んで」


 血にまみれた指で、コハクの口の中に錠剤を押し込んだ。


 これを飲み込めれば、少しして治癒効果が現れるだろう。完全にとまではいかないまでも、そこそこの回復は見込める。


 コハクが喉を鳴らして飲み込むのを確認した冬夜は、ようやく一安心したように息を吐いたのだった。



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