第一夜-後編
ベイルの纏う防具を象った鋼鉄は、そのまま彼の身体だ。
兜のような出で立ちの顔、そのマスク部分が開いて、
そこにベイルはグラスの中の酒を流し込んでいく。
それを、物珍しそうにジーンは眺めていた。
「へえ……そこが口ってことは、兜自体が顔なのかい。ガーゴイルってのは」
「よく言われた。だが……久々に、聞いたな」
「ガーゴイルなんて、今はもう全然見かけねえもんなぁ。
オークが言えた話じゃねえけどよ」
「どの種族も似たようなものだ。
眼の前の滅びに、誰から飛び込むかの違いでしかない」
話の内容は、決して明るくはならない。
このどん詰まりの世界で、明るくなるはずもない。
だが、不思議と初対面を相手に会話は弾んでいっていた。
「だが……警戒しなかったなあ、ベイル」
「何?」
「こんな世界だ。オレが毒を盛ってるとは思わなかったのか?」
その最中。やや物騒な話題を切り出すジーン。
無論そうではない事は、随分量の減った彼のジョッキが示している。
だが、この世界で生きるものであれば当然の問いだった。
問われて、ベイルもそう思った。いや、昼間であればどうしただろうか。
沈黙の中で、自分に改めて問いかけて。その答えを、そのまま口に出した。
「……これが毒で死ぬなら、それまでだ。それでいいと思った」
それは自分の命の軽視か、あるいは世界への絶望か。
もしくは、この時間に感じた価値が故か。
「……やってられねえよなあ」
「……ああ」
しかしジーンも、そのほの暗い自棄に同意する。
誰もが、哀しさや虚しさを抱えて生きざるを得ない。
きっと彼も、そうなのだ。ベイルはそれを、グラスを通して感じていた。
「……ガーゴイルは、既に滅んだようなものだ。
携えるべき使命も、誇りを賭けて挑む戦いもありはしない。
俺だけが、死ぬ理由がないというだけで生き延びている」
「オレも似たようなもんだ。
何より大事だった群れは、殆どは戦で死んじまった。
戦が終わったと思ったら、こんな瓦礫だらけの世界だ。残りも弱い奴から死んでった。
残りはオレだけだ。もう、群れの名前も覚えられちゃいない」
ベイルは、かつて聞いた逸話を思い出した。
オークという種族は、その数の多さもあって仲間との繋がりを重んじ、
強い帰属意識を持つ群れを作って生活する。
その仲間も、コロニーも失ったジーン。その姿は、どこか自分と重なった。
「……似たようなものか、俺達は」
「そうだなあ」
大事なものを失って、こんな瓦礫の隅で酩酊の中に逃げ込む夜。
彼もきっと、似たような形で生きてきたのだろうと。
それが、この退廃的でも穏やかな時間を作り出していた。
そんな、最中。
ランタンの照らす方向、その反対側の闇から。
「あのー、お兄さんたち?」
新たな、声が聞こえた。
二人の低い声とは対照的な、明るく高い少女のような声だった。
声の方へと振り返る二人。それに迎えられながら、その主が姿を現していく。
人に似た風貌。
だが青い肌に背や腰、頭から伸びる翼がそうでない事を教える。
小さな体躯と幼い印象を与える顔。あまり長くない銀髪に、黒い目。
そして彼女は、文字通りの悪魔的な笑みを向けた。
「せっかくのお酒なのに、
そんな辛気臭い話ばっかりしてどーすんのさっ!
ここは一つ、このミスティ様が楽しませてあげよっか?」
そして彼女は声を更に高くして、彼らに一気に踏み込んだ。
その風貌とは裏腹な、扇情的な印象のある装いが顕になって、
そして彼女自身も、それをアピールするようにポーズを決めていた。
インモラルな印象さえ与えるそれは、言うまでもない。
文字通りに、彼らを誘うためのものだった。勿論、対価を要求して。
「その代わり、そこにたんまりあるお酒をちょーとあたしにも……」
「……もう空か。そちらも開けるか?」
「ああ、そうだなぁ」
「ちょっと!?」
だが、それが二人に響くことはなかった。
その言葉ごと彼女を無視して、彼らは再び杯へと酒を注いでいく。
そして再び杯を交わす前。
それは優しさだろうか。ジーンは、彼女へと言葉を投げかけた。
「嬢ちゃん、そういうのはもっとでかくなってからやるもんだ」
「は……はあ!?」
しかし掛けられた言葉に、ミスティと名乗った少女は不服を顕にする。
ともかく、この輪に入れる形となったその少女に、ベイルも目を向ける。
改めて彼女を認識して、一つ、思い当たった。
「……似た気配を、昔過ごした館で感じた事がある。
サキュバスか、貴様」
「サキュバス? サキュバスって言や、もっとぼーん、ばーんとっ……」
「悪かったな、サキュバスのくせにちんまくてっ!
でもね……これでも大人だっての、立派にね!」
その予感に反発しながらも、ミスティはそれを肯定する。
れっきとした、悪魔と呼ばれる者たちの種族の一つ。
それはベイルだけでなく、ジーンも知っているほどに有名だった。
妖艶な魅力によって、他者の欲望を喰らう者たちとして。
「拐かす人間も、悪魔も死に体の今だ。
そいつらの欲望から生命力を得る種族が、よく生きていたな」
「あたしは半分、氷魔の血が入ってるからね。
純血共と比べても、それなりに荒事もやれるのさ。
それで飯にはありつけて、なんとかやってきたわけ」
だが、あらゆる種族が滅んでいく真っ只中の今。
他者に依存した生き方が通用するはずもない。
言葉を証明するように、ミスティは手のひらの上に氷を生み出して見せた。
「……言われるまでさ。
自分がサキュバスなこと自体、ちょっと忘れてたよ。
元から籠絡すんのは苦手だったけど、世界がこうなってからはもうさっぱりだし」
あるいは、宿命たる生き方への個人的な愛憎も含んでいるような言い回し。
それも含めて。ジーンは続けた言葉のように彼女をまとめる。
「ハハ、じゃあお前さんもオレたちと同じかあ。
みんな、死に損ないだな」
「嫌な言い方すんな、おっさん!」
それは、当然ながら悪口のような言い回しではあった。
だがこの場においては、それが意味するものは違う。
そのまま彼女に笑いかけて、ジーンはその真意を切り出した。
「オレ、ジーンってんだ。
ミスティって言ったか、お前さん、グラスはあるかい?」
「えっ……いいの!?」
明らかに失敗だった状況から、
突然迎え入れる姿勢を見せられたことに、逆に驚くミスティ。
そんな彼女を解すように、ジーンは続けてベイルにも尋ねる。
「いいよな、ベイル」
「さっきも言った通りだ。
酒は俺のものじゃない、好きにしたらいい」
「ま、そういうことだ。遠慮すんなよ」
「そ、そう……?」
そしてどこか聞かずとも分かっていた、彼からの快諾と共に。
再び彼女へ、迎え入れる姿勢を大きく見せるジーン。
それは、ミスティの動揺を解きほぐしていった。
「……それじゃあ、これに」
やがて彼女は、手のひらに再び氷を作り出す。
それは、ワイングラスを模した形へと成形された。
文字通りの、お手製の盃という訳だ。
「へえ、便利だなあ!」
「でしょ!」
素直な称賛に、それを誇るミスティ。
どこまで行っても、あまり妖艶という様子は見られない。
それが要らない世界と強い力は、果たして彼女の救いに成り得たのだろうか。
それとも。ベイルやジーンのように、宿命を亡くした空虚さだけか。
「それじゃ面子も増えたわけだし、改めて……」
いや、きっと後者だ。
擦り切れて、心に空いた空虚な穴。
それがあるからこそ、こんな瓦礫の酒席に惹かれたのだ。
「……乾杯っ!」
「乾杯ぃっ!」
「かんぱーいっっ!」
滅びかけの生物しか居ないが故の、とても静かな夜に響く声。
暗すぎる夜に、小さなランタンだけが照らす瓦礫に腰掛けて、盃を交わして。
あるいはただの現実逃避にしか過ぎないこの場。
話す言葉はどれも後ろ向きだ。明るい話などあるはずもなかった。
「館でサキュバス見たってことはさ、
結構いいとこ住んでたの? ベイル」
「そりゃあそうだ。
御伽噺があるような戦士の一族で宮仕えだろ、ガーゴイルってのは」
「一族の縁で悪魔の侯爵に挨拶した時の話だ。
俺は実際に仕えることはなかった」
しかし、彼らの口数が減ることはなかった。
くだらない世界を嘲ることを肴に、星の光すら届かないこの夜を超えていく。
いつぶりかも分からない笑い話も、思い出話もした。
壊れた世界で、宿命を亡くした魔物が三体。
何も与えられないこの世界で、彼らは与えられることなく救いを得ていた。
夜は、深まっていく。
――
だが。逃げられはしない。
夜をどれだけ越えようと。先にあるのは、また空虚な一日の始まりたる朝だ。
「あはははっ……! あのさ!」
あと、どれぐらいで朝が来るだろうか。
いつぶりかも分からないほどに笑いながらも、
その不安が、心を苛んでいた。
この夜の終わり。それが、なによりも恐ろしくて。
だからこそ、そのミスティはそれを酔いに任せて切り出した。
「ねえ、あたし達で組まない!?
こんなに楽しいこと、ずっと無かったしさ!
あたし達なら、きっとうまく……!」
「駄目だ」
その繋がりを、この夜以外に持ち出そうとした彼女を。
しかし、ベイルは言葉短く否定する。
「うぇえ!? なんでえ!?」
酩酊もあるのだろうが、強い失意を顕にするミスティ。
信じていたのだろう。彼らもまた、同じ気持ちであることを。
この夜が、何よりも楽しくて。
その終わりが、何よりも惜しいことを。
だが。
「朝が来れば、俺達はまたこの世界に囚われる。
自分以外が全て敵、生きるためだけに力を振るうくだらん世界だ」
ベイルが拒んだのは、それと違えているからではない。
むしろ、この場で一番という程に救われている思いでいた。
だからこそ。この場が。
「……そこで、お前達と会いたくはない。
この夜を、あの世界に繋げたくない」
この場が、くだらないと唾棄する世界に侵される事を拒んでいた。
世界に擦り切れた心は、それを何よりもずっと恐ろしく感じていた。
「そ、そんな事言っても……!?」
「……気持ちは、わかるなぁ」
「ジーンっ!?」
そして、ジーンもまたそれに同調する。
世界に絶望し、摩耗しきった心で生きていたのは彼も同じだったから。
「……本当に大切だってもの、もう失うのはイヤなんだ。
オレだって、今日は本当に楽しかった……だから。
ここはここで離していてえのは、わかるんだ」
この場を、聖域にしたいという思い。
ベイルのその思いを、ジーンも理解できていた。
「わかったよ……でもさ」
いや。ミスティだってそうだ。
その思いが、分からないわけでもなかった。
だからこそ、こんな瓦礫の酒席が救いになったのだから。
「じゃあ、朝が来るまではここに居てもいいよね」
震える手。それは、酔いからのものではないだろう。
それでも願いを繋げたくて、ミスティは重ねて提案した。
「……そしてさ。
夜が来たら、また、ここに来ようよ。また皆で飲もうよ。
こんなに楽しい事、他のどこにも無いじゃん。
それなら、いいでしょ?」
それは願いであり、約束だ。
空虚な世界を超えて、またこの夜に戻ってこようという誓いだった。
それは、あるいは。ベイルやジーンが抱いた恐れの裏返しでもあった。
「……そうだな」
「ちょっとは、生きる理由になるかもなあ」
どうか、この夜を終わらせないようにと。
その思いもまたこの場に共通したものだった。
小さな約束を胸に、彼らは再び空虚な朝を迎えていく。
――
汚れた大気に掠れた、鈍い太陽の光が差し込む。
くだらない世界の、いつもの朝の訪れだ。
もはや憂鬱さすら感じないほどの空虚さと共に、ベイルは目を覚ました。
「……夢、だったのか?」
自分の意識がいつ落ちたのか、覚えていない。
だが辺りには、共に夜を超えた二人の姿は見えなかった。
言葉通りに去ったのか、それとも全てが幻だったのか。
(……また、くだらん世界に戻るのか)
胸に残る、楽しかった熱い思い。だがそれも名残でしかない。
世界の空虚さが、再び彼を包み込む。
それが、昨夜の記憶を疑わせていって、そして。
『またね ミスティより』
転がった空き瓶。
それを削って書かれた文字に、目が留まった。
感情が身体を凌駕して、動けなくなるベイル。
その眼の前で、空き瓶が転がる。
『次は肴も持ってくる ジーン』
それは。
瓦礫の酒席が、幻でなかったことを示す何よりのものだった。
「……っ!」
ベイルは、拳を握りしめる。
何時ぶりかわからないほどの、胸の熱さと共に。
そして、やがてベイルは振り返る。
胸の熱が、このくだらない世界へと歩ませていく。
ただ死ぬ理由がないだけで付き合っていたこの世界。
そこに初めて、戦う理由を見出していた。
次の夜に。
またこの瓦礫の酒席で、盃を交わせるように。




