第一夜-前編
こんな世界に、誰がした?
問うたところで答えはない。
答えがあるなら、こうはならない。
「ひ、ひいッッ!! お、俺が悪かった!
飯はくれてやるから、命は……!」
自分より遥かに弱い相手から、力を振るって奪うこと。
人の命を踏みつけにしてでも、自分が生きることを優先すること。
何もかも、気持ち悪い。
でもその気持ち悪さも、慣れてしまっていた。
今、目の端で倒れている巨大なトロルの男がそれを納得させる。
この店主と共謀して俺を害そうとした、この男が。
「……」
くだらん戦いだった。
この小さな店主ごと殺してやってもよかったと思ったが。
虚しさばかりが浮かび上がってきて、やめた。
とりあえず、会計を頼んでいた――
眼の前のパン一つだけを手にとって、振り返る。
「迷惑料だ。貰っていくぞ」
誇りも希望も、今はもう何もない。
考えないようにすることだけが、俺の救いだった。
――
ガーゴイル。
鎧を象った鋼鉄の身体と大きな翼を持つ、人ならざる存在の一族だ。
彼らは、使命と共に生み出された存在である。
それははただ一つの種族として確立されていく上で、
しかし使命は誇り高さとして、彼らの中に根付いていくことになった。
「……」
それは今。
空を飛ぶこのガーゴイルの青年、ベイルの心を苛んでいた。
――かつて、世界の覇権は人類が握っていた。
彼らが栄華を極める傍ら、追いやられていた人ならざる者達。
人類は彼らを、魔物と呼んだ。
彼らは野に伏す中でも、待ち望んでいた。
いつか来たる復讐の時、そして世界の玉座の簒奪を。
そしてその時は、思わぬ形でやってくることとなった。
栄華と文明を極めた人類達同士の、諍いと争いという形で。
余りに進みすぎた文明と技術は、
もはや自分たちすらも容易に滅ぼしてしまえるほどになっていたのだ。
歴史としては一瞬と言える間に、人類は死に体となった。
その恐るべき力は、魔物たちにも甚大な被害を生み出したものの、
何よりも弱った人類という絶好の機会を逃すわけにはいかなかった。
そして、限界まで互いを削り合う戦いの後。
遂に彼らは、世界の玉座から人類を叩き落した。
だがそこに、待ち望んだ栄光は無かった。
急激な崩壊が故に、扱う力を失った文明の利器。
地を覆い尽くす、無数の瓦礫と死骸。
穴だらけになった不毛の山や大地、汚れきった空気。
最後に残った彼らに残されたのは、それだけだった。
もうこの世界は、壊れてしまっていた。
(――我々は、人類共に勝ったわけではない。
同時に滅びているだけに過ぎん)
使命を抱いて生まれ出ずる、誇り高き戦士の一族。
それに相応しい戦いなど、もうこの世界にはありはしない。
その日を行きていくためだけの、浅ましい諍いと暴力だけだ。
そしてその生活は、死ぬ時まで変わることはないだろうとも。
(……くだらん世界だ)
昼間に想起した言葉を、ベイルは繰り返し思い出す。
幸い、彼は戦う事に優れてはいたが――
それが救いでないことは、言うまでもなかった。
ベイルは、重苦しい感情をずっと抱えたまま生きていた。
誇りに相応しくない戦いを繰り返すことも。
この生の先に、何の希望も見えないことも。
――
汚れた空気に遮られ、星も見えない暗い夜の中。
辺りを照らすランタンを手に、彼は瓦礫の山を、
しかし明確な意志を持って進んでいく。
惰性と失望だけで生きる今の彼としては珍しく、その足取りは軽かった。
(相変わらず、命の気配のしない場所だ。
俺にとっては好都合だがな)
どこを見ても同じように見えるその景色だが、ベイルに迷う様子はない。
それが出来るほどに親しみのある場所、という意味でもあった。
そして、目的としていた場所にたどり着く。
とはいえ、多少片付けられているとはいえ瓦礫の山の上であるのには変わらない。
だがベイルはさらに踏み込んで、足元にある小さな瓦礫を取り除く。
「……まだ、あるな」
瓦礫は、欺瞞のためのものであるようだった。
その下にあるものを見て、彼は安堵したような声を吐く。
それは、両開きの明け口が付いている大きな箱だった。
瓦礫の中にあるだけあって、外面は数多く傷ついている。
だが高い文明により作り出されたのだろう、機械的な外見は、
この場でも特別目を引くものだった。
(……浅ましいが。
今の俺にとっては、これが唯一の喜びだな)
そしてベイルは屈み込んで、その箱を開いた。
同時に、箱の内部がひとりでに光る。内部を見やすくするための機能だ。
そう。文明というものが消滅してなお、この機械はまだ生きているようだった。
だが、そんなことはどうでも良かった。
その、内部。並ぶのは、大量の酒瓶だ。
由来は知らない。
彼が見つけた時点で、瓦礫の中に埋もれていたものだ。
そして。これこそが、彼の唯一の救いだった。
「これにするか」
ベイルはその一本を手に取る。銘柄など気にしたことは無かった。
どれであってもこの世と比べれば。
余程不味かろうと、幸せだった。
そして、箱の傍らに入れていたグラスを手に取って。
「……ん?」
そこで一つ、違和感に気づいた。
自分のグラスの隣に、見慣れないジョッキが並んでいたからだ。
「何……?」
それをきっかけに、違和感は拡大していく。
確かに彼は銘柄に気を配ってはいない。
だがよくよく酒瓶の並びをを見れば。
こちらにもまた、昨日までは無かったように思う柄が新しく並んでいた。
それは、一つのことを示唆していた。
ベイルはそれを理解すると、急激に緊張感を強めていく。
弱肉強食。今の世界を表す言葉だ。
餌場は共有するものではない。奪い合うものだ。
そしてこれが示唆するのは。
これを狙う者が、存在しているということ。
「……っ!」
そして。
その緊張の中、ベイルは背後の物音を聞き逃さなかった。
両手に握った酒やグラスもそのままに、彼は一気に振り返る。
「何者だっ!」
その、先には。
「お、お……?」
緑色の肌に、大柄な身体、獣のような顔。
オークと呼ばれる種族の男が、そこに立っていた。
――あるいは、彼と同じように。その両手に、酒瓶を握って。
「せ、先客かあ……わ、わりいな、邪魔するつもりは無かったんだ」
緊張の中。先に声を発したのは、オークの方からだった。
風貌に反しての穏やかな声色。
そして言葉の内容も、争いを避ける意志を見せるものであった。
「ただ、俺のジョッキだけそこに入れっぱなしでよ。
他の酒はいらねえから、それだけ取らせてくんねえか?」
あるいは。戦士の一族たるガーゴイルへの畏れか。
いずれにせよ、この場の選択権は圧倒的にベイルにある状況となった。
そして、この世界のやり方を思えば。
このオークが持つその酒瓶さえも、ベイルのものとすることはできるだろう。
緊張感が抜けない中。ベイルは初めて、言葉を返した。
「……新しい酒を入れてたのは、あんたか?」
「あ、ああ。なんか頑丈そうだしよ、その箱」
しかし。ベイルの心はもう決まっていた。
質問は、大した意味をなすものでも無かった。
唾棄したくなるような、この世の摂理。潰れていく一方の誇り。
それが、彼をそうさせた。
「別に俺のものという訳じゃない。
中のものも、好きにしたらいい」
生き残るためだけの、浅ましい争い。
それを、こんな所までやりたくなかった。
ただでさえ、一時の酩酊を求めてここに来ているのに。
「そ、そうか! わりいな、お前さん……!」
「俺もそうさせてもらう。
俺は俺で、酒が飲めればそれでいい」
感謝を返す彼を尻目に、ベイルは近くの瓦礫に腰掛ける。
いつも飲む際に使っている席だ。
ここで酩酊する時間だけが、この世界での救いだった。
そんな彼とすれ違い、酒倉庫へと向かって、その後で。
「なあ、お前さん」
その姿に、何かを感じたのだろうか。
自分のジョッキを手に戻ってきたオークの彼が、再び声を掛ける。
先程の畏れの混じったそれよりも、少し明るい声だった。
「このビールよ、近くの川で冷やしてきてんだ。
汚染の影響が少ないとこがあってよ。
折角だ、一緒に飲まねえか?」
「……何? いいのか?」
「勿論だぁ! 酒ってのは、皆で飲んだほうが美味えしな!」
思わぬ誘いに、思わず困惑するベイル。
しかしその中でも返された許諾に、オークの彼は大きな喜びを見せた。
その体躯通りの剛力で、抱えた瓶の蓋を剥ぎ取ると、
彼もまた、ベイルの近くの瓦礫に座った。
「オレ、ジーンってんだ。お前さん、名前は?」
「ベイルだ……ありがとう。俺も注ごう」
「お、ありがとよ。 酌してやるなんて、いつぶりかわかんねえな」
名前を交わしながら、互いの杯へと酒を注いでいく二人。
その中でジーンが口にした言葉に、ベイルも思いを馳せていく。
他の存在が全て敵になって、摩耗していくだけの日々。
他人のために何かをしてやるという事自体に、懐かしささえ覚えていた。
それは。
久しくなかった、酩酊以外による穏やかな気持ちだった。
「……そうだな」
「ま、次がいつになるかもわかんねえし……楽しむとしようぜ、ベイル」
そして。
この日を境に、その救いは形を変えることになる。
「乾杯!」
「乾杯ぃっ!」
行き先の見えない暗すぎる夜も。
浅ましく生きるしかないくだらない世も。
全てを笑い飛ばす、瓦礫の酒席。
その、最初の夜の始まりだった。
「……ふーん。なんか面白そうなことやってんじゃん、あいつら」
そして、この三人の腐れ縁も。




