第40話 熱狂の函館
夏。私はスタートダッシュと共に、函館に遠征した。
次のレースを、函館記念に定めていたが、実はこの函館とスタートダッシュは相性が良く、昨年の6月に行われた、函館スプリントステークス(GⅢ)でも2着に入っていた。
そして、この日、この函館競馬場には、歴代の入場人員の最高記録を更新する、31000人を超える大観衆が集まっていた。
地方の競馬場で、これだけの人数が集まることがそもそも珍しい。
その観衆の目当ての大半が、このスタートダッシュになっていた。
いつの間にか、そんな人気馬になったことに私は驚いていた。実を言うと、スタートダッシュはデビュー以来、そんなにレースを勝っていなかったからだ。
せいぜいデビュー戦と、その次の3歳1勝クラスくらいだ。
だが、その極端な大逃げっぷりと、反対にバテて、玉砕して最下位に沈むような、何ともギャンブル性の高い、不思議な人間臭さが人気になっており、その日、函館には全国から多数の競馬ファンが集まってきていた。
普段は、観光客が多いが、競馬場はさほど賑わうことがない、函館という街自体がスタートダッシュへの期待感で、妙に熱くなっているように感じていた。
2039年7月17日(日)、函館競馬場、11R、芝2000メートル、函館記念(GⅢ)。
天候は晴れ、馬場は「良」。
このレースには、さほど有名な馬は出ていなかったが、それでもスタートダッシュは3番人気で、単勝8.1倍。8枠16番での出走。
一方、同期のライバルたちも出走していた。
1番人気の馬は単勝2.6倍で、スーパードライバー(牡・4歳)だった。鞍上は山ノ内昇太騎手。5枠10番での出走。
2番人気の馬は単勝4.6倍で、ファントムワールド(牡・4歳)だった。鞍上は川本海騎手。1枠1番での出走。
16頭立てのレースだ。
函館競馬場、芝2000メートルは、欧州で使われる緑が鮮やかな洋芝が使われているのが大きな特徴。芝の根付きの関係で野芝より馬場が柔らかく、非常に時計が掛かる。そのため、欧州血統やパワータイプの馬が活躍する傾向にある。
同じ洋芝が使われている札幌競馬場が、勾配の殆ど無い平坦コースなのに対し、函館競馬場は緩やかながらも最大高低差3.5メートルのアップダウンがある。加えて、約260メートルで中央競馬所属の10競馬場の中で最も短い最後の直線の部分はほぼ平坦。好走には豊富なスタミナと、先行力が求められる。
また、スタートから最初のコーナーまではかなり長く、先手争いはそれほど激しくならない。
そして、そんな中、パドックから、派手な横断幕が掲げられていた。
いずれもスタートダッシュを応援する物で、彼への期待値を示していた。
私にとっても、かつてピリカライラックで勝って以来、久しぶりにして、中央競馬での地元・北海道の重賞では初の勝利を目指す舞台になる。
そして、運命のレースが始まる。
ゲート入りを嫌がるところがある彼は、その日もいつものようにゲート入りを嫌っていたが、そのためにつけたメンコと、訓練の成果もあり、枠入りは何とか収まっていた。
そして。
最初から、彼は「飛び出した」。
まずは並んで出走したが、やはり彼が前に出る。スタートダッシュだ。相変わらず鞭など使わなくても勝手に前に出る馬だった。
だが、この日は違っていた。
とにかく突っ走る。あっという間に2着以下に3馬身以上も差をつけて、ハイペースでかっ飛ばし、1000メートル通過タイムが57秒4という驚異的なスピードだった。
そのあまりのハイペースに引きずられるようにして、他の馬が途中でバテバテになっていたくらいだ。
そして、その勢いを保ったまま、彼は3~4コーナー辺りに入ると、2番手のファントムワールドとの差が7~8馬身は広がっていた。
かなり飛ばしている。
観客からはどよめきにも似た歓声が上がっていた。
こんなハイペースの大逃げは、なかなか見れるものではなかった。
最終コーナーを回り、最後の短い直線に入る。
ここで私が鞭を打って、さらに加速。
追われてもまだ2番手のファントムワールドとは4馬身も差が開いていた。
圧勝だった。
余裕の1着がスタートダッシュ、2着に4馬身差でファントムワールド、3着に2馬身差でスーパードライバー。
勝ちタイムは1分58秒4。上がり3ハロンが37秒6。
スタンド前で大歓声に迎えられて、私は右手を挙げて応えていた。
ついに、その「大逃げ」が大レースで成功した瞬間だった。
レース後に、大熱狂に包まれる函館競馬場。
場所は日高ではないが、ここも北海道という故郷だ。
「スタートダッシュ、最高!」
「驚異の逃げっぷり!」
「マジでハンパねえ!」
「エグい!」
それらは私にとっては、ありがたい歓声だった。自然と笑顔で手を振っていた。
そんな中、レース後のインタビューを終えて、刈屋調教師の元に向かう。
彼はさすがに、嬉しそうにニコニコしていた。
「次は、中央のオールカマーを目指しましょう」
と言ってきたが、さすがに私は否定的な見解を示す。
「オールカマーですか? いくら何でも早いのでは? 中央の、それも強豪が集まるレースですよね。秋天(天皇賞秋)の前哨戦ですよ」
「わかってます。ただ、今日の走り方をすれば、きっと勝てます」
この、調教師にしては若い刈屋調教師も、私にはスタートダッシュ同様に不思議な性格の人に見えていた。
馬の気持ちがわかる、というか、スタートダッシュにとって、最適なレースを常に選択しているのだ。
人馬一体という言葉は、私よりこの人の方がふさわしいのかもしれない。
さらに、ジョッキールームでは、2人の同期に声をかけられていた。
もちろん、山ノ内昇太騎手と川本海騎手だ。
「マジで信じられねえ大逃げやな」
山ノ内くんが、珍しく嘆息して、暗い表情をしていた。
「すごい馬ですね。GⅢとは言え、伝説を作りましたよ」
海ちゃんは、他人事とは思えないくらい、自分のことのように喜んでいて、いつものクールさがないくらい笑顔だった。
「ありがとう。こんなに気持ちよく走れたのは初めてかも」
2人は、私に「羨望」の眼差しを向けているようにも見えた。
騎手は、レース中には実況をほとんど聞くことができない為、私は後から実況中継を改めて映像として見直してみると。
「かなり飛ばしているぞ、スタートダッシュ。大丈夫か?」
最初こそ心配しているようなアナウンサーの声が、途中から興奮気味に変わっていた。
そして、最後のゴール前では、
「突き抜けろ、スタートダッシュ!」
もう完全にこの実況の人まで巻き込んで、ファンにしているかのような走りだった。
とにかく、スタートダッシュの活躍により、私は久しぶりの重賞を制し、函館で初めて重賞を勝った。




