第39話 伏龍と鳳雛
かの有名な中国の古典、「三国志」には、「伏龍と鳳雛」と呼ばれる二人の著名な軍師が出てくる。
伏龍とは、後に蜀の劉備の軍師となる諸葛(亮)孔明、鳳雛とは同じく劉備の軍師となるが、早死にする悲劇の男、龐統のことを指す。
伏龍、すなわち「伏した龍」。鳳雛、すなわち「鳳凰の雛」。
私にとって、彼らのどっちが「伏龍」か「鳳雛」かなんて、関係がないし、どっちでも良かったし、彼らはそもそもそこまでの天才ではなかったから、実際にはせいぜい「小伏龍」と「小鳳雛」かもしれない。
だが、まずはリングマイベルだ。彼女はもう6歳になっていた。
シルクロードステークス(GⅢ)では、不良馬場を物ともせずに勝っていたが、続く高松宮記念(GⅠ)では6着と惨敗し、マイラーズカップ(GⅡ)では11着だった。どうも成績が安定しない。
私は、熊倉調教師に、
「この馬は、ダートに向かうべきです。ダートなら勝てます」
と提案していたが、陣営はどうも芝を走らせたいようだった。
だが、クラスは落ちるが、試しにダートオープンの栗東ステークスを走らせてみることにしたようだった。
私は、確信に似た気持ちを抱いていた。
(ダートの短距離なら勝てる)
と。
そして、実際に、そのレースが、後の「伝説」の前哨戦となる。
2039年5月15日(日)、京都競馬場、11R、ダート1200メートル、栗東ステークス(4歳以上オープン)。
天候は雨、馬場状態は「重」。
芝で雨だと色々と不利になるが、ダートで雨だと、展開が早くなると言われている。
京都競馬場、ダート1200メートルは、3コーナー地点に高低差3メートルの坂があるが、最後の直線は完全な平坦。その為、前が止まりにくく逃げ・先行馬がかなり有利とされる。
パワーをそれほど必要としないので、ダート戦だがスピードが非常に重要なコースで、やや小回りなコースでの短距離戦だと、本来は内枠が有利になるはず。しかし、実際は成績にそれほど差はない。
そんな中、私とリングマイベルの前に、1頭の馬が立ちはだかる。
ランナーズハイ(牡・4歳)という馬で、鞍上は、競馬学校時代から因縁がある山ノ内昇太騎手だった。
実際、ランナーズハイは、当日2番人気で、単勝2.1倍。一方のリングマイベルは、単勝14.0倍の6番人気。
期待されていないレースだったが。
しかしながら、余裕の表情を浮かべて、見下しているような態度の山ノ内昇太騎手に対して、私は自分の担当馬に声をかけるのだった。
「驚かせてやろう」
と。
馬に人の言葉が通じるなんて思わないし、バカげていると思われるかもしれない。しかし、私は彼女の力を信じていた。
相変わらず、物静かで、人間ならまるで文学少女のような性格の彼女は、何事もないかのように泰然としていて、レース前とは思えないくらい、落ち着いていた。
全16頭のレースだが、そもそも重賞ですらないし、天候も雨だった為、このレース自体は世間の注目を浴びてはいなかった。
ただし、競馬関係者は、見ていた。
レースが始まると、予想通りに1番人気の馬が上がっていき、それにランナーズハイが続いていた。
一方で、リングマイベルは、16頭中の13番目。かなりの後方に位置していた。
だが、これこそが私の作戦だった。
この馬の脚質は、「差し」か、もしくは「追い込み」に近いと見ていた。
実際、シルクロードステークスも、後方からの追い込みで勝っていた。
しかし、ダートの短距離で、追い込みなんて戦法自体が、ある意味、バカげていて、常識はずれでもあった。普通はそんな不利な戦法をやろうと思わない。
しかし。
最後の4コーナーを回って、最後の直線に入っても、まだ1番人気の馬とランナーズハイが競っている、つまり叩き合いを演じていた。
一方で、後方に位置していたリングマイベルは、注目すら浴びていない。
そして、
(よし、今だ!)
最後の直線で、私は彼女に鞭を打って、一気に加速。
その加速が信じられないくらいのスピードだった。
後から、競馬中継を見ても、画面の端に映ってもいなかったはずのリングマイベルが、いつの間にか画面手前から現れ、強烈な加速で一気に他の馬をごぼう抜きにしていく様子が伺えた。
そのまま大外からランナーズハイと1番人気の馬をまとめて差し切ってゴールイン。
以下は、私が後で競馬中継映像を見た時に聞いた実況の声だ。
「すごい脚で上がってきたのは、リングマイベル!」
「ランナーズハイか、いやリングマイベルだ!」
「リングマイベル、1着でゴールイン! これはすごい!」
そう。デビュー直後の3歳以上1勝クラスと同じく、ダートの、しかも短距離で追い込みという、非常に特徴的な勝利を挙げた馬だった。
当然、終わった後で、私は熊倉調教師に勝利報告に言ったが、
「確かにすげえ脚だ。だが、しばらくは芝で使う」
と、やはり芝の短距離で使うことを譲らなかった。
だから、一応、これだけは主張しておいた。
「でしたら、せめてダートの短距離の時だけでいいので、私に乗らせて下さい」
熊倉調教師は、エージェントに伝えるとだけ言ってくれた。
そして、彼だ。
「ちっ。なんて脚してやがる」
ジョッキールームで、苦々しげな表情を浮かべていた山ノ内昇太騎手だ。
「すごいでしょ。ダートの短距離なら、無敵かもね」
得意げに主張する私に、対抗心を燃やしたのか。
「それは、ランナーズハイかて同じことや。見とれよ。次の対決こそ勝ったるからな」
負け惜しみのようなセリフを残して、去って行った。
私としては、同期の面倒臭い、彼に勝ったのは、純粋に嬉しかった。
そして、もう1頭の馬の方だ。
スタートダッシュ。もう5歳だが、ある意味、相変わらずだった。
彼については、まず「ゲート入りを嫌がる」ところから徹底して治すことにした。「ゲート入りを嫌がること」を逆手に取り、その嫌いなゲートで、ストレスを溜めて、レース開始と共に溜まったストレスを一気に発散させる。
そして、「息を入れる」ことだ。1000メートル代前半くらいの短距離なら、息を入れる必要がないが、この馬の適性は2000メートル前後と見ていた。
なので、せめて半ばの1000メートルくらいまで突っ切り、コーナーで息を入れることを覚えさせる。
ミラクルフライトのようなわがままで、かつ気まぐれな馬だから、調教自体に苦労を強いられていたが、徐々に彼は、力をつけてきた。
夏に向けて、調教が続く。
そんな中、やはり内心気になっていたレースがあった。
まずは5月に行われた天皇賞(春)だった。
このレースでは、ハイウェイスターが1番人気、イェーガータンクが2番人気、ヨルムンガンドが3番人気だった。
レースではいつものようにイェーガータンクが逃げに打って出て、4コーナー手前くらいまでは先頭だった。ヨルムンガンドは2番手につけていたが、伸びなかった。勝ったのは、ハイウェイスター。見事な差し切り勝ちだった。
さらに6月に行われた2つのレースが、やはり私には気になってしまった。
ミラクルフライトが出ていたからだ。鞍上は大林翔吾騎手。
前に聞いた時のように、確かに彼は「首を使った走り方」でミラクルフライトを扱っており、これらのレースでもそれは変わらなかった。
が、6月5日(日)に行われたマイルの安田記念(GⅠ)では10着。さらに6月26日(日)に行われた、宝塚記念(GⅠ)では、5番人気で出走。
長坂騎手が操るベルヴィが、昨年の有馬記念に続く、グランプリ連覇を成し遂げ、ハイウェイスターが2着。
ミラクルフライトは9着だった。
(やっぱり勝てないか)
もうこの時点で、ミラクルフライトはGⅠを7連敗だ。
一体この連敗記録はいつまで続くのか。
それでも私は密かに、ミラクルフライトを応援していたし、どんなに負けても熱心に応援してくれるファンがいたことも知っていた。




