46. 関ヶ原
21時17分、関ヶ原駅に到着。所在地は不破郡関ヶ原町。
ここに来ればもう迷うことはない、関ヶ原の戦いゆかりの地へ行こう。
改札前に案内板があったが、古戦場めぐりコースは全10キロなので、近場から「徳川家康最後の陣地」に決定。敵の首をさらした場所で、今でも土盛が残っているそう。「決戦地」も気になるが、あまり大々的に取り上げられていない上に少し遠いので、やめておく。
終電までは2時間以上あるが、この距離ならその1本前、1時間半後のものを狙おう。執筆はホテルですればいいので、その時間を考える必要はない。
幸いにも両足のマメ予備軍は悪化していないが、左足の甲が擦れたのか痛む。だがここまでくれば、体のダメージが増えていくことも調味料だ。まだ歩ける。
改札を出て右後ろに、パッフレットがあった。しっかりできており、これなら恐らくネット検索はなくても大丈夫だろう。裏面には各スポットの紹介。「決戦地」だけ写真がない・・・単純に決着が着いた場所ということだろうか。やはり無理に行かなくても良さそうだ。
駅内には他にも地図があり、一応、目に付いた地図は写真に撮っておいた。
さあ、古戦場の地を歩こう。
駅はしっかりしている一方で、街は暗い。「徳川家康最後の陣地」へは、まず駅を出て右の坂道。この坂道では線路沿いに、徳川家康コース、石田三成コースなど、各武将にちなんだルートの紹介がされている。ここでも念のため地図を取得。
続いて、青い横ラインが入った長いパネルがあった。下に「西軍布陣」、上に「東軍布陣」と書かれており、進んで行くと、徳川家康と石田三成の対峙に始まり、その後、誰と誰が戦ったかが年表のような形で書かれていた。
東軍が本格的に前進してからは、西軍武将が裏切りに裏切りを重ね、自害する者もおり、最後は石田三成の敗走により決着が着いたようだ。
この坂を上り終えたら、右へ曲がり線路を越える。その先ですぐに交差点だが・・・、パンフレットの地図と微妙に角度が違う。パッフレットでは左カーブの後でX字の交差点だが、実際には橋を渡った後はカーブもなく綺麗な十字の交差点となっている。
坂道にあった「徳川家康コース」のものを見ると実物に合っており、左に行けば良いことが分かった。パンフレットのはなぜ微妙に曲げたのだろうか。
この交差点のそばには「東首塚」と呼ばれるものがあり、暗いが、何かしらあるようだ。帰り道に時間があれば寄ってみよう。
左に曲がって「東首塚」に沿って進み、突き当たりを右へ。しばらくは住宅地のようだ。垂井同様に暗いが、見えないことはない。途中、徳川家の家紋と思われる幕を下げている家があり、凄いなと思ったら玄関の左上には「COFFEE」の文字。喫茶店のようだ。
住宅地を進んでいると、右手に広場が見えた。ここにも1つ何かあるようだが、パンフレットによると別の人の陣跡。徳川家康のものは道路沿いのまま先に進めばいいようだ。
進んだ先で、高い石碑があった。石碑というよりは、ここが古戦場であることを示すもののようだ。街灯が当たっており、「史跡 関ヶ原古戦場」の文字がしっかり分かる。
ここから広場内に入り、進むと、高さ1メートルほどの高台に立つ石碑があった。こちらには街灯が当たっておらず、字が書いてあるかどうかも分からない。奇妙な暗視機能を持つカメラに頼ってみたが、それでも分からなかった。
この高台の周囲は植物で門のようになっており、そこから入ったので正面を向いているとは思う。ここを、徳川家康が最後に陣地としたようだ。何百年も前からのものが今でもしっかり残されているのは、凄いことだ。この地に住む人たちがそれを守り続けてきた、賜物だろう。
写真にも撮っておきたいところだが、このままではほとんど見えず、高台の周囲を回りながら試行錯誤した結果、石碑の奥に一般家庭がある状態で石碑の影を目立たせ暗視のモードで撮るという結論に至った。石碑自体は真っ黒に映るが、奥の明かりでシルエットが浮かび上がった。
公園として結構な広さがあるので、散策してみる。芝生の広場の他、多くの樹木に、神社のようなものもいくつかある。
看板もあり、関ヶ原の戦いの模様が文章で書かれていたが、歴史に疎い身には難しかった。駅右の坂道にあったものの方が分かりやすかったと思う。
時間に余裕があったので、「東首塚」にも寄った。何かの門があるのと、社殿、お墓のようにも見える石碑、ロウソクと線香立てのビンがある大木、もう1つ石碑で、看板。
こちらの看板の文章は分かりやすく、戦争終了後は、家康の命により死者の埋葬や神社の修復が進められたそう。戦争後に敵味方の区別なく供養するのが昔からの風習と記述されていた。
関ヶ原の戦いでの死者は諸説あるものの15万人ほどとされており、命の取り合いを当然のようにやっていた時代にも、犠牲者を弔う心があることを知った。
現代では昔と比べてかなり平和になったが、それでもまだ戦争や殺人事件は起こる。自分自身も、死んでしまえば旅行など行けないし、仕事でやっている製品がどうなったって関係なくなる。命あっての物種なので、大切にしたいものだ。




