36. 野田新町
14時01分、野田新町駅に到着。ここも刈谷市だ。
ここも周囲にこれと言ったものはなさそうだが、ブラジル輸入品店のような掘り出し物はあるだろうか。とりあえずすぐそばには、「Nursing Villa」と書かれた大きな建物がある。福祉施設だろうか。
改札は1つ、出口は南北。やっぱりこれが落ち着く。観光案内図があったが、隣駅も入るほどの広域なので参考にならない。その右後ろに、この駅の周辺地図あった。
近くにあるのは、野田八幡宮、加藤与五郎生家跡、南部生涯学習センター。学習センターには加藤与五郎展示室もあるらしい。
縮尺が分からないが、そばの大通りとの距離感からして、歩ける範囲にありそうだ。まずは一番近くにある、加藤与五郎生家跡を目指し、南口へ。
ナーシングヴィラは、正面に回ってみてもよく分からなかった。開いているようだが、入るのは気が引けたので敬遠。
突き当たりの美容院で左へ。その先の「野田町北屋敷」交差点で信号を渡り、右後ろにVターン。突き当たりを左へ進み、微妙なクランクで車両は通り抜けできないという道へ。
家庭菜園をしている家がある。「種の男さん」の園芸店、使っているのだろうか。結局軽自動車なら通れそうだった道を抜け、右へ。おぉ、高さが4メートルぐらいの立派なマツの木がある。こういう所に住むと、広い庭が持てるのがいい。
その先に、更に立派な和邸宅が姿を見せた。一角が瓦付きの塀で囲ってあり、塀自体は石のようだが一面に焦げ茶色の木材が貼られている。そして縦横2メートルほどの木の門構え。これが加藤与五郎生家なんじゃないかとも思えたが、普通に表札があり、一般家庭だった。
この交差点を左に進むと、地図にはない五差路が現れた。どうするか迷ったが、うち1本の先にこれまた立派な真っ黒の家があったので、行ってみる。
こちらも一般家庭のようだった。表札はないが、郵便受けがある。立派な木の門が開いており風にあおられていて、中に入れそうだったが、一般家庭だった場合は完全に通報されるのでやめておいた。そもそも目的地の生家は「跡地」だ。
完全に迷ってしまったのだが、運よく左の電柱に「加藤与五郎生誕の地 15m」の表示があり、進むとすぐに着いた。
ちょっとした広場になっている。奥の家のトタンの壁にある政党ポスターが入らないようにパシャリ。
看板があり、元々あった生家の間取りと加藤与五郎氏の説明文があった。与五郎氏は、発明家だったようだ。主な発明品は、フェライトコア、フェライト磁石、アルミナ(酸化アルミニウム)。
・・・・・・マジか。
どれも、現代技術に欠かせないもので、今でも広く使われており、技術に携わる身にとしてはかなり縁深いものだ。この人が、発明したのか。
偉大な功績を残した人物の生家跡の石碑の前で黙祷を捧げ、この場所を後にした。
完全に自分の居場所が分からなくなったので通りかかった人に野田八幡宮の場所を聞き、高い木が集まっている場所へ移動。
野田八幡宮にはすぐに到着した。広い敷地で、公園のようにもなっている。明日になれば、初詣の人で賑わうことだろう。既に、フランクフルトやチュロスの屋台が出待ちしている。
奥には野田史料館というものもあり、加藤与五郎氏の銅像もあることから、この時期でなければ与五郎氏に関するものを見ることができただろう。
生家跡と八幡宮の位置関係から大体の方角が分かった。史料館の左にも小さな出入口があるが、学習センターへは正門を出て左に行くのが良さそうだ。
こちらもすぐに着いた。中には加藤与五郎展示室もあるので、もし開いていればここでも何かしらの資料を見ることができただろう。時期が悪かったのが悔やまれる。
そろそろ駅へと戻ろう。学習センターを背に、八幡宮正門前の通りをひたすら真っ直ぐで、来た道とは微妙に違うルートにしよう。あの五差路や、最初に見かけた立派なお屋敷の前も通り、進む。立派な構えの一般家庭が他にもいくつかあり、最初の交差点名「野田町北屋敷」にも納得だ。
地図にない左直角カーブの登場で戸惑いながらも、大通りを走る車の音を頼りに、駅を目指した。




