第2話 部活見学
翌日
放課後のチャイムが鳴ると、教室はざわめきと共に解放感に満たされた。机に頬杖をついていた緋奈が、ぱっと顔を上げる。
「三波、行こう」
「行くって、どこに」
「部活見学。今日から仮入部期間でしょ」
そう言われて思い出した。昇降口の掲示板に、各部活の見学スケジュールが貼られていたはずだ。
「とりあえず文化部から見ていかない? 運動部は緋奈、絶対続かないと思う」
「失礼な。でもまあ、それもそうかも」
昇降口で掲示板を確認すると、写真部の文字が目に入った。部室は三階の奥、と矢印が書かれている。
「写真部からにしよっか」
「写真? 三波、興味あるの」
「ないけど、人少なそうだし、落ち着いて見られるかなって」
三階の奥にある部室の引き戸を開けると、薄暗い室内に大きなプリンターと、壁一面に貼られた写真が目に入った。
「いらっしゃい。新入生?」
声をかけてきたのは、眼鏡をかけた三年生の先輩だった。名札には「写真部部長」とある。
「見学に来ました」
「ゆっくり見てって」
壁の写真を眺めながら、私はふと足を止めた。一枚の写真に目が釘付けになる。緑の山々を背景に、曲がりくねった一本道が写っている写真だった。空は高く、雲がいくつか流れている。
「これ、どこですか?」
「ああ、それ。日光の方だね。いろは坂」
「日光って、栃木の」
「そう。先輩が原付で行ったときの写真」
「原付で日光まで行ったんですか」
「結構距離あったらしいけど、楽しかったって言ってたよ」
隣で写真を見ていた緋奈が、私の肩をぐいっと引いた。
「三波、見て見て、これもすごい」
緋奈が指さした写真には、海沿いの道路と灯台が写っていた。茨城か、千葉のどこかだろうか。空と海の青が、写真の中で鮮やかに広がっている。
「すごいね……こんな景色、太田にはないもんね」
「これ全部、バイクで行ったんですか」
「うちの部員でバイク乗ってる先輩がいて、撮ってきたのを部の展示に使わせてもらってるんだ。本人は写真部じゃないんだけどね」
部長の先輩は、少し笑いながら答えた。
写真部の見学を終えて部室を出ると、緋奈は妙に静かだった。いつもなら「次どこ行く?」とすぐに言い出すのに、今日は黙って廊下を歩いている。
「緋奈、どうしたの」
「ねえ、三波。あの写真、見た?」
「見たよ。すごく綺麗だった」
「あれ、原付で行ったんだって。原付だよ。125ccとか、そのくらいでしょ」
「うん」
「それでも、あんな景色見れるんだ」
廊下の窓から、夕方に差し掛かった空が見える。まだ明るいけれど、少しオレンジ色が混ざり始めていた。
「私たち、免許取れる歳になったらバイク乗れるんだよね」
「そうだね、二人とも誕生日早いし」
「ねえ三波。これかも」
緋奈が立ち止まって、私の方を向いた。その目には、いつもの思いつきとは違う、もう少し本気の色があった。
「これって?」
「面白いこと。私たちが探してたやつ」
「バイクで旅行する、ってこと?」
「そう! 写真部の先輩みたいに、いろんなところ行って、写真撮って」
緋奈の勢いに、私は少し戸惑いながらも、頭の中ではあの写真の景色が浮かんでいた。いろは坂の緑、海沿いの青。太田の街並みとは全然違う、知らない場所の空気。
「でも、写真部に入るわけじゃないよね」
「写真部はあくまで写真撮るのが目的の部活でしょ。私たちがやりたいのは、旅行する方がメインっていうか」
「そういう部活、あるのかな」
二人で昇降口まで戻りながら、もう一度掲示板を確認した。文化部の一覧を上から下まで目を通す。茶道部、軽音部、美術部、写真部、書道部、囲碁将棋部……バイクや旅行に関係する部活は、どこにも見当たらなかった。
「ないね」
「うん」
しばらく二人で掲示板を見つめたまま、無言の時間が続いた。
「無いなら作ればよくない?」
緋奈が、ごく自然にそう言った。まるで、今日の晩御飯は何にする、くらいの軽さで。
「作るって、部活を?」
「そう。旅二、みたいな」
「旅二って何」
「今思いついた。旅する二輪、みたいな感じ。語感良くない?」
「いや、思いつきすぎでしょ」
そう言いながらも、私は不思議と否定しきれなかった。さっき見た写真の景色が、まだ頭の中に残っている。あの一本道を、自分が走ってみたら、どんな気持ちになるんだろう。
「とりあえず、部活作るのって、どうやればいいんだろうね」
「先生に聞けばいいんじゃない? 顧問になってくれる先生見つけて、部員集めて、なんか申請するんでしょ、多分」
「緋奈、適当すぎる」
「でも、やってみないとわからないし」
昇降口を出ると、自転車置き場の向こうに、夕陽が沈みかけていた。空はオレンジと紫が混ざった色をしていて、その下を、何人かの生徒が部活へと向かっていく。
「ねえ三波」
「なに」
「一緒にやろうよ。私だけじゃ多分、すぐ飽きて終わっちゃうから」
緋奈らしくない、少し弱気な言い方だった。いつも先に走り出す緋奈が、振り返って手を伸ばしている。そんな感じがした。
「飽きたら困るから、私が見てるよ」
「それじゃ、決まりね」
緋奈が笑った。その笑顔を見て、私もなんだか、胸の奥が温かくなるのを感じた。
まだ何も始まっていない。免許もない、バイクもない、部員もあと一人もいない、顧問の先生もいない。
それでも、帰り道の空の色が、今日はいつもより鮮やかに見えた。




