第1話 何か面白いこと
四月の風は、まだ少し冷たい。
太田第一高校の正門前で、私は深呼吸をした。新しい制服、まだ折り目がぱきっとしているブレザー。胸につけたばかりの一年生のバッジが、なんだか落ち着かない。
「三波!おっそーい!」
声のした方を向くと、緋奈が手を振りながら走ってくるところだった。長い髪が後ろでぴょこぴょこ跳ねている。
「緋奈、走ると危ないよ」
「平気平気。それより見て、このスカートの丈、ちょうどいい感じじゃない?」
幼なじみの浅霧緋奈は、昔からこういう人だった。心配される前に、もう次のことを考えている。
「ねえ、入学式終わったら何する?」
緋奈が私の隣に並んで歩き出す。
「何するって、特に決めてないけど」
「だめだよそれ。高校生活、もう始まってるんだから」
緋奈は手を広げて、校舎を見上げた。四階建ての、ごく普通の校舎。桜はもう散り始めていて、花びらが風に乗って数枚、私たちの前を横切っていく。
「私たちさ、中学の三年間、結局なんにもしなかったじゃん。文化祭はクラスの出し物見てるだけ、体育祭もただ応援するだけ」
「緋奈は応援団長やってたよ」
「あれは別。私が言いたいのは、なんていうか……自分から作る側に立ったことがないってこと」
緋奈の言葉に、私は少し考え込んだ。たしかに、私の中学時代は地味だった。目立つこともなく、目立たないこともなく、ただ毎日が過ぎていった。それが嫌だったわけじゃないけれど、何か物足りない気持ちがずっとあったのも本当だ。
「高校では、なんか面白いことしたいよね」
緋奈がそう言って、私の顔をのぞき込んでくる。その目はもう、何かを見つける気でいっぱいだった。
「面白いことって、たとえば?」
「それはまだわかんない。けど、ここにはなかったから」
緋奈は自分の胸に手を当てた。
「ワクワクするやつ。探そうよ、三波と一緒に」
入学式は、思っていたよりも長かった。校長先生の話、来賓のあいさつ、新入生代表のことば。私は隣に座る緋奈が、椅子の上でそわそわしているのを横目で見ていた。
式が終わって講堂を出ると、四月の空は思いのほか高く晴れていた。
「ねえ、太田第一って部活どんなのあるの?」
緋奈が新入生向けのパンフレットを開きながら聞いてくる。
「文化部は……美術部、写真部、茶道部、軽音部、あと運動部はだいたい揃ってるね」
「写真部かあ。それも悪くないかも」
「緋奈、写真興味あったの?」
「ないけど。なんか良さそうじゃん、写真部って」
そういうところが緋奈らしい。理由よりも先に、気分が決まる。
「私はバイト探さなきゃ。ガソリンスタンドの求人、駅前で見たんだよね」
「バイトする気なんだ」
「うん。何か欲しいものができたときのために」
具体的に何が欲しいのかは、まだ自分でもわかっていなかった。ただ、自由に使えるお金があれば、何かが変わる気がしていた。
その日の帰り道、私たちは並んで歩いた。太田の街は、田んぼと住宅と、ところどころにある工場が混ざり合っている。遠くに赤城山が見えて、その向こうにはもっと高い山々が連なっている。
「あの山の向こうって、何があるんだろうね」
緋奈がふと、足を止めて山並みを見つめた。
「群馬と栃木の境目だと思うけど」
「行ったことないなあ」
「私も」
考えてみれば、私たちはこの太田市から、ほとんど出たことがなかった。電車で行く範囲なら多少。でも、それ以上の場所は、テレビや写真の中の景色でしかない。
「三波」
「なに?」
「面白いことってさ、案外そういうところにあるんじゃない?」
緋奈が指さした先には、ただ山があるだけだった。でも、その言葉が、なぜか私の中に小さな種を落とした気がした。
その日の夜、私は自分の部屋で、机の上に置いたままだった去年の地図帳を開いた。群馬県のページ。太田市は県の南東、利根川に近い場所にある。そこから栃木、埼玉、そして関東の他の県へと、線が伸びている。
別になんてことのない、ただの地図だ。
でも、なんとなく目が離せなかった。
「何か面白いこと、か」
つぶやいた声は、誰にも届かないまま、静かな部屋に吸い込まれていった。
放課後という時間は、まだ何も決まっていない。だからこそ、そこには可能性が詰まっている。私たちはまだ、その入り口に立ったばかりだった。
第一話、ご覧頂きありがとうございます!
旅二ライダーズはカクヨムでも掲載していますので、そちらでもご覧頂けたらと思います。(カクヨムの方が更新が早いかもしれません)




