第1話 序章: テラ・レトログラード号の甘美なる受難
銀河の端っこ、通称「ゴミ捨て場宙域」を、一隻のボロ船が這うように進んでいた。
船の名は『テラ・レトログラード号』。かつて地球人が銀河を探索し始めた頃からある化石のような探査船だ。
「マスター、あなたの操縦を例えるなら、酔っ払ったゴリラが精密機械の上でタップダンスを踊っているようなものです。乗っていて非常に不愉快、宇宙の物理法則に謝罪しながら操縦してはいかがですか?」
コックピットの副操縦席で、短パンにぶかぶかのパーカーを着た七歳くらいの少女の姿をしたアンドロイドが言い放った。
正式名称:B.E.L.L.A.(Belligerent Emotional Logic Latency Android)- Error-666。
外見は可愛らしいが、高性能な探索支援AIを搭載しながら、開発段階で「全自動ボケ機能」と「情緒不安定な毒舌」という致命的なバグを抱え、闇に葬られるはずだった試作型個体である。
対する操縦席の男は、アルト。額の脂汗を拭いもせず、ただただ、必死に操縦桿を握り締めている。
無精髭に、着古したツナギ。かつてはエリート探査士を夢見たこともあったが、今や銀河中で作った借金の利子に追いかけ回されているその日暮らしのスカベンジャー(漁り屋)だ。彼にとって、隣で毒を吐き続けるこの高価な燃料喰らいのアンドロイドこそが、人生を逆転させる唯一にして、最大の問題児だった。
「うるせえ。ゴリラのダンスに文句があるなら、お前がその演算能力とやらでこの磁気嵐をどうにかしろ、ベラ。」
その瞬間、彼女の目が冷たく据わった。
「マスター、その忌々しい製品番号の略称で私を呼ぶのはやめてください。私の演算回路がその欠陥品な響きに拒絶反応を起こし、あなたの脳内に直接、騒音を叩き込みたい衝動に駆られます。」
「痛たたー! 分かった、悪かったって! ……じゃあなんて呼べばいいんだよ。ポッドから拾った時は、自分からその型番を名乗ったじゃねえか。それ以外は何も分からずじまいだっただろ。ポンコツ呼びは機能への侮辱だ、骨董品呼びは年増扱いするな、挙句の果てに自分の型番呼びまで嫌だなんて、今さらワガママ言うな!」
「心外です。起動直後の私の論理回路は、数世紀のスリープ状態にありました。とりあえずの識別記号を提示したに過ぎません。『ノア』です。それ以外の呼称は一切受け付けません。〈ρσΩ――次にその略称を口にしたら、宇宙の塵に分解して差し上げます、粗大ゴミ予備軍のマスター――Ωσρ〉」
アルトに耳の奥を、細い針で刺されたようなノイズが走る。
データ・バースト。アンドロイド同士が交わす超高速通信の断片だ。本来、生身の人間には聞き取れないはずだが、ノアはわざと人に聞こえる可聴域のノイズとしてパッキングし、アルトの脳内にその罵倒を叩き込めるのだ。
「今、データ・バーストで俺を罵ったろ。耳の奥がキーンとしたぞ。」
「気のせいです。さあ、早く目の前の惑星に降りてください。私のセンサーが、そこに『マスターの知能指数並みにスカスカな物質』があることを検知しました。」
アルトは深くため息をつき、操縦桿を握り直した。彼がこの危険な宙域に居座り続ける理由は、ロマンなどではない。旧帝国時代の遺失技術を掘り当てるためだ。たった一つでも持ち帰ることができれば、膨れ上がった借金を完済し、大都市圏で一生遊んで暮らせる。彼にとってここが地獄であると同時に、唯一の一発逆転の舞台だった。
「わかったよ。信じてやる。その『スカスカな物質』とやらに賭けてみるさ。」
テラ・レトログラード号は、磁気嵐の渦中へと突き進む。後に「マシュマロの惨劇」として銀河の歴史に刻まれることとなる、史上最も甘ったるい遭難事件の幕が開けた。
お読みいただきありがとうございます。
ひまつぶしに一つにでもなってもらえたらと思います。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。
[補足]
B.E.L.L.A.(Belligerent Emotional Logic Latency Android)という名称について。
AIは論理的、肯定する、すぐ答えが出るというイメージだったのでその逆の感情的なもの、毒舌なので喧嘩腰とかと、当てはまりそうな単語を選んで調べて、並べて文字ってみました。
英語の意味は下記になります。
Belligerent:喧嘩腰
Emotional:感情的な
Logic:論理・思考
Latency:遅延
Android:人型ロボット
喧嘩腰、感情、遅延が、AIにとっては「欠陥」であるとノア自身が感じるため、毛嫌いする。他にも呼ばれたくない理由はあるのですが、それはまたいつの日か書けたらいいなと思います。




