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「棄権!? なんで?」
「チーム戦としての勝敗は決まったから……じゃあ、理由にならないよね」
「あたりまえだよ!」
思わず掴みかかってしまいそうになるりうを、絵里がそっと手で制す。
「りうさん」
「でも、だってメアリちゃんが!」
手で制されたくらいでは、りうの勢いは止まらなかった。
りうは知っているのだ。メアリが、この試合にどんな気持ちで臨むかを。
「その、剣崎メアリが、わたしの棄権する理由だよ」
奏江は、メアリを見ない。
「申し訳ないけど、試合をする理由が見つけられない。これが大会なら棄権という選択肢はないけど……、練習試合なら、これくらいのわがままは言えると思ったからね」
「そんな――」
「そんな理由では、納得できません」
先ほどまでとは一変した強い口調と態度で絵里が言う。
「西口さんのことを謝るより、今のことを謝ってください。メアリさんは私の、私たちの仲間です。そんなふうに侮辱されたくありません」
「…………気持ちは、わかります。ですけど、わたしにも理由があります」
奏江は揺らがない。ただ真っ直ぐに絵里を見返すだけだ。
「これは、個人的な理由です。ここで大きな声で発表するつもりはありません。納得してもらおうとも、思っていません。私が怒りをぶつけられるのも、仕方ないことと思います」
ですけど――と、奏江は後ろを振り返る。そこには志度高校の一年生三人の姿があった。
「彼女たちは、このことと関係ありません。今から私は試合を棄権してここを去りますが、出来れば彼女たち――西口先輩も含めた四人との交流までは取りやめないでもらいたいんです。私はそれを、言いに来ました」
きっぱりとした言い方。それは決定事項をただ読み上げているのと同じで、そこに干渉の余地はまるでない。
「でも――」
絵里は口を開くが、続く言葉を飲み込んでしまう。それくらい、奏江はハッキリとした拒絶を示していた。
この状況をどうにかしようと思ったなら、それが出来るのはひとりしかいない。
メアリだけだ。
メアリが一歩、前にでる。
「……奏江」
「…………」
呼びかけるメアリに、奏江は応えない。
「わたしと、試合をして欲しい」
「…………」
奏江は応えない。
「それで、判断して……、欲しいんだ」
「…………」
奏江は応えない。
「解ってる。私が、そんなこと頼める立場じゃないのは。でも、対戦してほしいんだ」
「…………」
奏江は応えない。
「一度だけで、いいから」
メアリは奏江に向かって深く頭を下げた。奏江はそれを見ようともしなかった。
それだけは、りうにも許せなかった。
「そんなのない!」
りうの声が教室にこだまする。自分の声に驚いてしまうほど、りうは大きな声を出していた。
「そんなのないよ! 見もしないなんて、そんなの違うよ!」
声を抑えたいが自分ではどうにもならない。
「そんな悲しいこと、絶対ダメだよ!」
「だからだよ」
奏江が言う。
「……だからなんだ」
「知ってるよ!」
りうは奏江の肩を正面から掴む。
「だからでしょ!」
ふたりが見つめ合ったのは一瞬かもしれない。あるいはもっと長い時間だったのか。とにかくその間ふたりは瞬きすることを止めていた。先に目をそらしたのは、奏江だった。
「……聞いたんだ」
「うん。聞いた」
「そう……か」
「メアリちゃんは、変わったよ?」
「…………」
長い沈黙の後で、ふぅと奏江は息を吐いた。
「……ショップであった時から、あなたはいい人なんだと思った。勝手だけど、信じられる気がしたんだよ。同じ五神のファンだったからかな……」
奏江はりうに向かってかたをすくめて見せる。
「そうだね、同じCモデル愛好者として、あなたを信じてみるよ」
奏江はそこでようやく、メアリの方に視線を向けた。
メアリはずっと、頭を下げ続けていた。
「二先もいらない。一先でいいだろ」
「……うん。それでいい」
「じゃあいいよ、やろう」
そういって奏江はメアリ以外の四人に頭を下げると、中央の対戦台へと向かった。
「……メアリちゃん」
「うん」
りうの呼びかけに答えて顔をあげたメアリは、真っ直ぐに奏江の背中を見つめ、そっと赤いヘアピンに指先で触れると後に続いた。
誰も何も聞かなかった。ただ黙って、メアリを見守ることを選択してくれた。
そんなみんなだからこそ、りうはこれだけは伝えておこうと思った。
「ふたりは、友達なんです」
そう、メアリと奏江は友人だったのだ。
「――それを、わたしが……裏切ったの」
ある日の放課後、偶然ふたりきりになった帰り道、遠回りして立ち寄った公園のベンチで、メアリは寂しそうにそう言った。
灯ったばかりの電燈が、夜になり切れない薄暗闇を丸く切り取るように照らしていた。遊具のない広場に人気はない。時々強い風が吹くと、葉擦れの音が川のせせらぎのように聞こえていた。
りうはメアリの呟いた最後の言葉を、そのせせらぎの中に見失うところだった。メアリの声はそれくらい小さなものだった。もしかしたら、聞こえなくてもいいと、そう思っていたのかもしれない。それでもメアリは声に出していい、りうはかろうじてそれを聞き取った。
「……裏切った? だって……、友達だったんでしょう?」
「…………うん。奏江は、わたしの初めての……、ちゃんとした友達。ふたりとも違う小学校だったけど、ふたりとも小説が好きで……、図書館でよくあってたの。でも、その時は面識があるだけで」
メアリは昔の小説が好きで、それを電子書籍ではなく図書館で紙の本を探して読むのが好きだったのだという。頁をめくって物語が進んでいく、その感触が楽しかったらしい。
「小学校の、三年の時に奏江から声を、かけられたんだ。読んでる本のことで。ポーの短編、だったと思う。奏江が、その本は怖くないのって聞いてきて、それで――」
交流が始まったのだと、メアリは言った。
最初は共通の趣味である小説の話で盛り上がった。メアリは海外の、奏江は日本の小説が好きだったから、互いのオススメを教えあったりしていた。そのうち、図書館以外でも遊ぶようになり――メアリは奏江の家で格闘ゲームと出会った。
「最初はゲームをしようっていう、話だったの。家の中で遊んでて、でもふたりでできるゲームがなくて……、そのうち奏江が『ファイターズ』を見つけて。どこにでも、入ってたから」
確かにそのころ『ファイターズ』はゲームができる端末であれば、大抵は入っていてプレイできるようになっていた。
「じゃあそれでふたりとも、はまったんだ」
りうがたずねると奏江は首を横に振った。
「全然。意味、わからなかったから。対戦なんかしないで、ふたりで一番変なポーズの技とか、探してた」
りうは思わず笑ってしまう。りうも妹のうきと似たようなことをした覚えがあった。
「じゃあ、いつからちゃんとやるようになったの?」
りうの質問にメアリは首をかしげる。
「いつから……だろう。その日じゃ、なかったと思う。でも気が付いたら、奏江と一日中、ずっと対戦するようになってた。アケコンも、買ったりして」
「Cモデル?」
「……奏江は、そう。私はその時一番、性能がいいやつを買ったけど、奏江はファンだからって……、そういうところが、あったから」
「ボタンをはずそうとして、苦労したり?」
「よく、知ってるね」
メアリは驚いた顔でりうを見る。
「……戸枝さんが、話してたから」
「そう……」
メアリはジッと、誰もいない広場を眺める。まるでそこに誰かがいるように。それはきっと奏江なのだろうと、りうはそう思った。
「すごく、仲良しだったんだね」
――そんなふたりが、どうして。
すぐにでも尋ねたかったが、りうはメアリが話すのをジッと待った。
メアリは遠くに視線をやったままで話を続ける。
「しばらくはふたりとも初心者で、殆ど腕の差なんてなかった。けど、そのうちに……わたしのほうがうまくなったの。奏江には、わたし以外にも友達がいて、わたしはそうじゃなかったから。だからひとりの時に、ずっと練習して……」
今思えば、とメアリは言う。
「奏江が他の人と遊ぶのが、悔しかったのかも……しれない。でもそんなこと直接、言えないし……だから強くなって、奏江に勝てば、自分のことをもっと、見てくれるとか、そんなことを思ってたのかも」
そんなメアリの幼い作戦は、だが実際に功を奏したのだという。
「奏江もムキになる、タイプだったから……」
触発されて『ファイターズ』にのめりこんだ奏江はすぐにメアリとの差を埋め、ふたりはまた互角の戦いをするようになった。そうなるとメアリはまた自分に興味を持ってもらおうと一生懸命に腕前を上げ奏江に勝ち越し、また奏江がその後を追う。そんな日々がしばらく続いたのだとメアリは言った。
「そのころのわたしは、奏江と遊べればそれで良くて……だから、満足してた。でも、奏江は自分たちがどれくらい強くなったのかを知りたがって、他の人とも対戦してみようって、言い出したんだ」
オンラインの機能を使えば、対戦相手を見つけるのは容易だった。しかしふたりで遊ぶ道具としてしか『ファイターズ』を見ていなかったふたりはそれまで一度も試したことがなかった。
オンライン対戦で初めて外の世界を知ったふたりは、同時に自分たちの実力を知った。
「わたしたちは、自分たちが思ってるよりずっと強くて、ずっと……弱かったんだ」
最初の内は連戦連勝で誰にも負ける気がしなかったが、続けるうちに選ばれる相手もどんどん強くなっていき、そのうちふたりはまったく勝てなくなったのだという。
ふたりは全体で見ると中程度のレベルでしかなかった。
悔しがったのは奏江だった。
「奏江はそれで、もっと深くハマったの。私は、奏江が続けたから続けただけ。その時は、特別な気持ちはなかった。でも――」
メアリは時間と共に勝率を徐々に上げていったが、奏江はあるところでピタリと勝てなくなってしまった。原因はメアリにもわからない。その時の自分と奏江にそれほど違いがあるとは思えなかったとメアリは言った。きっと何か小さな歯車の有無だったのだろう。本の一つか二つ、ズレていた。たったそれだけのこと。だがその差は大きかった。メアリが気が付いたときには奏江との実力は大きく離れてしまっていた。
「わたしは――」
メアリは声のトーンを落とす。
「――そうやって奏江と実力が離れてしまったことを、良くないことだと思ってた。だから、手を……抜いたの」
奏江との対戦で、メアリは全力で戦うことを止めた。開きすぎた距離を調整しようとして、でもそのことが、ふたりの心の距離まで広げる結果となってしまった。
「私が手を抜いていたことに気づいて、奏江は怒った。なんでそんなことするんだって。奏江が怒るなんて初めてだった。なのにわたしは、解らなかったの。どうして、怒られたのか。奏江が何を嫌がったのか」
だからメアリは言った。
「喧嘩するくらいなら、こんなゲームやめちゃおう、って」
その時の奏江は、もう怒らなかった。ただ理解できないものを見るような目でメアリを見て「そう」とだけ言った。
「それが、わたしの最初の裏切り……」
そこから距離が離れていった。違う学校に通っているから会おうと思わなければふたりに日常的な接点は存在しなかった。
その時にはもう、メアリに格闘ゲームをする意味はなくなっていた。それでもメアリが格闘ゲームを続けたのは、繋がりを無くしたくなかったからだ。続けていれば、またいつか奏江との距離が近づくかもしれない。そう思った。いや、そう思ってすがるしかなかった。
だがそれも、一年がたち二年がたって、変わった。メアリはとりつかれるようにして、どんどんと格闘ゲームの世界に嵌っていった。奏江がいたあの頃よりもずっと。それはある種の逃避だった。目の前の敵と全力で戦い、強ければ勝ち弱ければ負ける。それだけに没頭していれば、世界は単純で、そんな単純な世界が心地よかった。
そうしてメアリは勝利したときの喜びを、貪欲に集めて回った。
メアリは勝った。
勝って勝って勝って、ただ勝ち続けて、そして――負けた。
「オンラインで対戦を申し込まれた時、最初はそれが奏江だって、気づかなかった。そのころわたしは、少し有名になってたから、直接対戦を求められることも多くて」
その他大勢のひとりだろうと、メアリは軽い気持ちで対戦を受けた。そして完膚なきまでに敗北した。
「全部が終わった後、対戦相手のIDを見て、思い出したの。それが奏江だって、ことに」
だけどその時にはもう、奏江とのつながりを求める気持ちなどなかった。ただ自分の全てを否定されたような敗北に怯え、何もかもを失った気がして逃げ出した。
それが――
「二度目の……裏切り」
「裏切り……なの?」
一度目は解る。真剣に格闘ゲームに向き合っていた奏江に、メアリがとった態度はたしかに裏切りだといえる。だけど二度目の敗北は、何かを裏切ったわけではない。
「ううん。わたしはそこで、対戦相手だった奏江と向き合うことを拒否したの。自分がどうして負けたのか、相手が自分に勝つために何をしたのか、そういうことを全部無視して、ただ負けたってことにだけショックを受けて、終わらせてしまったから……」
ざわざわと木々が鳴る。メアリが続ける。
「自分のことばかり考えてた。ずっと。他人のこと、対戦する相手の気持ち、考えたこと、なかった。でも――」
メアリは視線をりうへと移す。
「――今は違う。りうが誘ってくれて、格ゲ部に入って、皆と過ごして……それで、ようやくわかったの――」
メアリと奏江、ふたりは席につきモニターを挟んで向かい合っていた。
りうはそれを黙って見守る。
キャラクターが選ばれる。
メアリはホシを。
奏江はアンスマリンを。
前回の試合と同じ、きっとその前も、さらにその前も同じだったはずだ。
ためらいもなく、流れる様な速度で試合が始まった。
始まってすぐ、前回の試合とは違うことがわかった。メアリの動きが全く違っていたからだ。初めから強い動きで勝ちを一直線に狙うのではなく、丁寧に時間を使い、相手の動きを見る様にじっくりとした立ち上がりだった。
一方で奏江は最初こそ驚き警戒した様子を見せたが、すぐに立て直してアンスマリンの得意な飛び道具を使った牽制で優位を取りに動く。奏江はまずはセオリーに沿った立ち回りで安全に進めていくつもりのようだった。
そんな奏江に対してメアリも同じくアンスマリン対策のセオリー通りの攻めを見せる。飛び道具を一つ一つ丁寧に処理しながら、アンスマリンがホシの行動を先読みして置くように放った攻撃に、冷静にカウンターを合わせていく。
メアリが優位をとったかと思うと、しかしすぐに奏江が対応を見せた。セオリーどうりの行動を維持したまま攻めと守りに緩急をつけることでリズムを変え、メアリがカウンターを取りずらくなるように誘導したのだ。それだけでメアリの優位はあっさりと消えた。
だが、そうして生まれた緩急にメアリは隙間を見つけると、その隙間にホシを強引に突っ込ませ道を切り開いていく。それに気づいた奏江はその隙間の先でアンスマリンに迎撃の体勢を取らせる――。
そんな全てが、ほんのわずかな時間で起きていた。
あまりにも濃密なやり取りに、言葉を発するものはいない。ふたり分のレバーとボタンの音だけが聞こえている。
――きっとふたりは、会話をしているんだ。
りうにもそれがわかった。
しかし自分が経験した会話とは、その密度が違う。
数年分の思いが、そこにはあった。
対戦の状況はセオリーから徐々に外れつつあった。互いの繰り出す戦術がときに対策として噛み合い、時に奇襲として逸脱しながら、次々に形を変えていく。その中には前回の試合でメアリがみせた動きも含まれていた。当然、奏江は完璧な対策をみせるが、メアリはその対策を潜り抜ける対策を持っていた。それはある意味でホシの基本戦術に似た、セオリーともいえる様な動きだった。
そこに来てふたりの持つ戦術が円環となって一周する。
繋がって、一つになって――。
りうはメアリの言葉を思い出していた。
あの日、公園のベンチでメアリはいった。
「ようやくわかったの――、格闘ゲームの対戦は、ひとりじゃ出来ないんだって」
ゲームで勝ち負けを競うなら、自分だけでなく、他に人がいなければいけない。そしてその両者が対立しながらも、同じルールの下で一つの目標に向かって競い合う必要がある。
当たり前のこと。
だけど、それはきっと、とても大事なことだ。
ふたりの勝負は続いている。
一ラウンドずつを取り合って、まるで図ったかのような一対一。
そして始まる最終ラウンド。
このラウンドを取った方が、勝者。
もしかしたらもう、この試合にとってそれは意味のないことかもしれない。
そんなことは解っていた。
それでも、りうは言わずにはいられなかった。
「メアリちゃん! 頑張って!」
その声援が呼び水となって、静かだった教室にポツポツと声が起き始める。
「メアリさん! いけますよ!」
露の声が、
「そのまま! 落ち着いて!」
絵里の声が、
「よしっ! いけ!」
麗の声が、
「まだっス! こっちペースっスよ!」
双葉の声が、
「決めろ!」
有栖の声が、
「やっちゃえって奏江っちゃん!」
蘭花の声が、
「が、がんばれ!」
いつの間にか帰ってきていた春子の声も、
「ははっ! ほらほら、いけいけー!」
紗香の声もする。
そんな声援にこたえるように、レバーとボタンの音が激しくなる。
相乗効果で盛り上がり、重なりあい混ざり合った合唱は、もはや騒音と呼んでも構わないような喧騒へとかわって、そんななかで最後の時がやってきた。
最後の一撃、それは高い技術もなければ、深い読みもない、ただ意地を張るように無理やり繰り出された――たった一発のパンチだった。
決着にはどこか物足りない、慎ましやかな効果音と共に勝敗が決する。
「あ」
勝ったのは、メアリだった。
りうたちは喜び、駆け寄ろうとする。が、どうも様子がおかしいのに気づいてためらう。一先で試合は終わったハズなのに、モニターの中の画面は止まることなく動き続けていた。
メアリと奏江は、どちらともなく再戦を始めていた。
りうは露、絵里、麗と目線を合わせ、それから三人同時に笑った。
数分後、三セット分の試合を終えて、メアリと奏江はほとんど同時に立ち上がった。そして奏江が差し出した手を、メアリが握る。時間にすればほんの数秒。それだけで、ふたりは満足したようにさっさとそれぞれの仲間のもとへ引き返していく。
奏江を迎えいれた志度高校の側から歓声が上がる。
一方で、
「……負けちゃった」
アケコンを抱えて戻ってきたメアリはそういって、にっこりと笑った。




