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何かが変わっていた。
けれどその何かが解らないまま、あっという間の一週間が過ぎ去り、練習試合の日がやってきた。
試合が決まってからたった二週間。それでも、出来るだけの準備はした。りうと露は基本から教わり、応用をかじって、経験を積んだ。キャラクターの動かし方、基本的な戦略、技の性能、連続技……。覚えなきゃいけないことはたくさんあった。
それでも一つ一つ、確実に覚えていった。
部活中はもとより、家に帰っても時間があれば練習を続けた。ゲームがプレイできない場所でも出来ることは色々あって、知識を覚えることもそうだし、たとえばレバーを動かしたりボタンを押す指の動かし方やタイミングの練習なんかはアケコンがなくてもイメージで練習することが出来た。
一生懸命だった。
それは露も同じだったと思う。気づけば高格ネットのランクはふたりともCに上がっていた。その上達ぶりははっきりと上出来だった。麗も頻繁に顔を出すようになっていて、やはりCランクを維持するくらいにはやりこんでいた。急ごしらえではあるものの、最終的には三人ともそれぞれ自信もつけていた。
勝ち負けは解らない。しかし、自分たちは戦えるはず。
そんな自信だった。
本人たちの資質や、頑張りは当然あったが、その成長を支えたのはやはり経験者のサポートだった。
特にメアリは――、熱心だった。自分の全てを教え込む勢いで、りうや露、麗だけでなく、絵里にも積極的にアドバイスをした。
あまりにも精力的だったから、どことなく不安に感じてしまったほど。
ろうそくの炎は燃え尽きる直前が一番明るい。練習試合までにできるだけのことをして、それで居なくなってしまうんじゃないか。
そんな不安を、りうは捨てきれずにいた。だから試合当日の放課後、部室にやってきたメアリを見てりうは心の底からホッとした。
欠けることなく全員が集まり、部室を片して椅子や試合用のモニター位置などの準備があらかた終わったところで紗香が部室にやってきた。
「そろそろ到着するって連絡が入ったから、正門まで迎えに行くぞー」
紗香を先頭に正門へ向かった五人は、門柱のそばに一列で並んで志度高校の到着を待った。
志度高校の黄色いネクタイは遠くからでもよく目立つ。道路の向こう、信号で止まった五人の志度高生の姿を見て、誰かの喉が大きくなった。
五人の生徒のうち、三人には見覚えがあった。店で見た三人、当然そのうちのひとりは奏江だ。
信号が青に変わり、道路を渡った奏江たちが正門に到着したところで、先頭に立ったキツネ顔の少女が紗香に向かって頭を下げた。
「出迎え頂いて、申し訳ありません。志度高校格闘ゲーム部です。よろしくお願いします」
「はい、よろしくー。えっと、責任者はキミでいいのかな?」
「はい。二年の西口春子です」
「西口さんね。じゃあ、部室に案内するから、本格的な挨拶はそっちでしようか」
「わかりました」
「じゃあ、米倉。志度高の人たち先に通すから、後からきてねー」
紗香にいわれて絵里が頷く。
「じゃ、行きましょうかーねー」
「移動するよ」
春子が声をかけ、五人がりうたちの前を横切っていく。途中、奏江がりうに気づいて会釈をした。りうは慌てて頭を下げ返すと、奏江は小さく微笑んで見せた。
奏江が通り過ぎるのを待って、りうは隣に並んだメアリの様子を横目でうかがった。メアリは、ただ静かに立っていた。
「じゃあ、行こうか」
絵里にうながされ、りうたちも部室へと向かった。
部室について、奏江たちが荷物を下ろしたところで、まずは自己紹介をすることになった。
「ま、名前と学年くらいはねー。じゃあ、とりあえず自分たちからいこうか」
紗香に促され、りうたちはいわれた通りにひとりずつ名前と学年を告げて頭を下げる。自己紹介の中で相手側から明確な反応があったのは高校ファイターズランキングに名前が載っている絵里と、志度高校が今回の練習試合の目的としているらしいメアリの挨拶だけで、あとの三人にはほとんど反応もなく、ただ興味のなさそうな拍手だけがおざなりに送られた。
唯一、奏江だけは誰の挨拶でもずっと真面目な態度を崩さず聞いていたが、やはりメアリの時だけはどこか含みのありそうな表情をしていた。
りうたちの番が終わり、続いて志度高校側の自己紹介が始まった。
「二年の西口春子です。よろしくお願いします」
最初はキツネ顔の少女。その簡潔な挨拶にはどことなく投げやりな雰囲気があった。
「一年、江戸双葉ッス。お願いしやっス!」
次に挨拶をしたのはボサっとした髪の 日焼けた少女だった。引き締まった体つきを見るに何か体を動かすスポーツでもしているのだろうか。元気が溢れているようで、かなり声が大きい。
「阿南蘭花でーす。いっちねんでーす。きょうはーがんばりましょー」
その後に出てきたのは店で見かけたツインテールの少女だった。店で見たときは着崩れていた制服が、いまは普通の着こなしになっている。
「一年、印田有栖。ヨロシクオネガイシマス」
こちらも店にいた目つきの悪いおでこ少女で、早口の自己紹介を終えるとさっさと後ろに下がってしまう。
「一年の戸枝奏江です。今日は、よろしくお願いします」
挨拶の最後はスラっとした輪郭の眼鏡少女――奏江のお手本のような挨拶で終わった。
「おーし、挨拶も終わったみたいだからー、そろそろやってこうか」
紗香が手を鳴らして注目を集める。
「とりあえず、今日は放課後で時間もそんなにないから、とりあえずチーム戦を一回して、あとは時間を見ながら進める。で、いいんだよな?」
紗香は絵里に確認を取る。
「はい、大丈夫です」
「うっし。で、試合前の練習は、志度高校どうする? どれくらいいる?」
「試合前にコントローラーのチェックだけさせてもらえれば、練習は必要ないです」
「そうか。うちはどうする?」
「うちは、少し時間欲しいです」
「わかった。じゃあ――」紗香は壁にかかった時計に目をやる。「――キリがいいから四時になったら始めようか。二十分あれば、それでいいな?」
「わかりました」
練習とはいえ初めてのちゃんとした試合だ。絵里がしっかりと練習時間を取ってくれてりうはホッとする。
「はあ……」
キツネ顔の――春子は気乗りしない様子だったが、教師にいわれては反対も出来ずしぶしぶといった態度で頷く。
「よし、じゃあ時間になったら戻ってくるから、各自練習始めてくれ。何か分からないことがあったらー、部長の米倉に聞くように」
紗香はそう言い残すとペタペタとスニーカーの音をさせて部室を出ていった。
「志度高校の方たちは、向こうのモニター二台を自由に使ってください」
絵里は春子に言って、それから自分たちのところに戻ってきて練習の指示を出した。
与えられた時間は、りうが殆ど呼吸もしないうちに過ぎていった。
「何言ってるか、よくわかんないっスよ! 攻めまくりでいいじゃないスか!」
「だからー、双葉っちゃんは考えなすぎー。有栖っちゃんを見てみなってー、考えすぎておでこテカテカなんだなー」
「おい阿南、いい加減にしないと、まじでヤんぞ」
「怖いっス。印田さん、怖いッスよ! 笑顔いきましょ! 笑顔!」
試合を前に緊張感の高まるりうたちとは裏腹に、志度高校の空気ははっきりと弛緩していた。はしゃぐ三人はもとより、会話に参加していない二年生の春子ですら部屋の端に座ってたびたび退屈そうにあくびをしていた。
ここでも奏江だけがひとり静かにモニターに向かい手を動かしている。そしてメアリがその方向を絶対に見ないことに、りうは気づいていた。
――…………。
「おーし、じゃ始めるかー」
紗香が部室に帰ってきて、いよいよ試合開始が近づく。教室の真ん中には向かい合って二台の机とモニターが並んでいた。モニターの正面には選手が座る椅子がひとつ独立して置かれ、さらにその後方に控えのチームメンバーのために用意された椅子が四つ横並びで置かれていた。りうたちと志度高校の生徒はそれぞれ分かれて、自分たちのモニターのある側に集まった。
「準備は良いね?」
五人が円形を組むように並んだところで、絵里がたずねる。
「ああ」
「うん」
「はい」
「…………」
ひとりひとり頷く。
「出来るだけのことをやってきたんだから、今日も出来るだけのことをやろう」
絵里が円の中心に向けて手を伸ばすと、りうたち全員の手がその上に重なった。
「全力で」
四人の息を吸う音が重なる。
「「「全力で!」」」
格ゲ部に代々伝わるという掛け声。
そうして試合が始まった。
高校対戦格闘ゲームのチーム戦はひとりの選手が負けるまで戦う勝ち抜き戦ではなく、勝ち星の数を競う星とり戦と呼ばれる形式で行われていた。選手同士の対戦方法は二ラウンドを一セットとしてニセット先取することで勝利となる二先。オーダーの変更は出来ないが、キャラクターの変更は試合が始まる前と、セットの敗北時にだけ可能となっている。
一試合目、こちらの先鋒を務めたのは麗だった。対する相手は双葉だ。
「よろしく」
「よろッス!」
互いに握手を交わして席に着く。麗は中国拳法つかいのイェンリーを、双葉は独自の古武術を操る女性キャラのエノモトを選択する。エノモトは移動速度が遅いかわりに攻撃力と耐久力に優れたパワー型のキャラクターだった。そういった意味では露の使うビッグFにも似ているが、エノモトは投げ以外にも打撃技の選択肢を多数持っていて、攻めの起点が作りやすく自分から攻撃を仕掛けやすい。
そんなエノモトの強みをいかんなく発揮し、双葉は開幕から一気に攻め立ててきた。それを受けて立つ麗は、かつて露と対戦した時とは違い序盤からイェンリーを巧みに操って、こちらもキャラクターの強みであるスピードと通常技の強さをいかした立ち回りを見せる。しかし――
「いやあ、その立ち回りじゃエノモトはキツイっスよ!」
双葉の言うとおり、強引とも思えるエノモトの攻めをイェンリーはいなしきれずにいた。そして気づいたときには一ラウンド目を取られ、その後はまるで同じ場面を繰り返しているかのような試合展開が続いて――あっさりと麗の敗北が決まった。
「……ごめん。なんとか勢いつけたかったんだけど」
申し訳なさそうな表情を浮かべる麗を絵里が出迎え声をかけた。
「大丈夫。戦えてたよ」
りうも何か声をかけようとしたが、うまく言葉が出てこなかった。
「えっと、次は――」
「……次、わたしです」
絵里が言い終える前に露が立ち上がり、ふらふらと前に出ていく。
「大丈夫だから、落ち着いてね」
おそらく絵里の言葉は露に届いていないだろう。
りうたちは皆、どこか浮足立っていた。
一方で志度高校はリラックスした様子で戻ってきた双葉を迎えていた。
「いやあ、ラッキーっスわ。一発通ったんで、あとはサクッといただけたっス」
双葉が席に戻り、かわりに立ち上がったのは有栖だった。
「声がでけぇんだよ……」
「ヘッドフォン、使うッスか!?」
「うるせぇよ」
「こえーッス! 印田さん、まじこえーッス!」
「よちよーち。蘭花っちゃんが慰めちゃるけーのー」
双葉の声と蘭花の笑い声が、静かな部屋に騒がしく響いた。
「……よろしく」
モニターの傍では準備を終えた有栖が露に向かって手を差し出していた。しかし露はそれに気がつかないで椅子に座ろうとする。
「……おい」
「……え? あっ――」声をかけられて、露は慌てて有栖の手を握った。「――よろしく、お願いします」
「……ちっ、よろしく」
苛立たしげな態度で席につく有栖。露は、すっかり委縮していた。
そんな状態で行われた試合の結果は、やはり惨憺たるものだった。
露のビッグFは有栖の選んだキャラクター、女仙人のミーラに手も足も出ず、何もできずに敗れさった。露自身の不調や実力不足だけでなく、キャラクター同士の相性も極端に悪かった。多少の攻撃ではひるまない頑強さで多少の攻撃なら無視して近づき投げ飛ばすビッグFに対して、有栖の使うミーラは幻術を操るという設定どおり変幻自在の遠距離攻撃に加えワープで点から点へ移動することもでき、相手を撹乱し寄せ付けないように戦うことを信条としていた。
ふたりのキャラは噛み合いすぎていていたのだ。
「ごめんなさい……わたし、なにも……」
戻ってきた露は何とかそれだけ言葉にすると、静かに控えの席についた。絵里が「大丈夫だから」と声をかけるも、露の耳に届いていたかは疑問だ。それぐらい、露の落胆は大きかった。
「圧勝じゃないっスか! やったッス!」
「…………うれしくねぇよ」
向こうでは、ドカッと音を立てて有栖が椅子に腰を落としていた。
「なになになにー? 有栖っちゃん、機嫌悪い系かなぁ?」
「おまえ、あれマジでガチの初心者だぞ。イジメみてぇになったろうがよ」
「印田さん、デカキャライジメ、好きじゃないっスカ! じぶん、よくやられてるッスヨ!」
「てめぇはいいんだよ。馬鹿だけどキャラは使えるからな。でも、アレは駄目だろ」
そんな会話がりうたちのほうに聞こえてくる。おそらく彼女たちに悪気はない。だからこそ、りうたちは自分たちの至らなさを突き付けられている気がした。
「――りうさん」
「え?」
りうが顔を上げると心配そうにのぞき込む絵里の姿があった。
「つぎ、りうさんだけど……いける?」
「は、はい! いけます!」
りうは慌てて立ち上がると、対戦席へと進んだ。志度高側からは蘭花がヒラヒラとおどける様な足取りで前にでて、りうの正面に立った。
「よーろしーくねー」
「あ、よろしく」
差し出された手をりうが握り返すと、蘭花はニッコリ笑った後でりうの耳元に顔を近づけて囁く。
「蘭花っちゃんさ、初心者にはチトきびしーと思うよ。泣いたりしちゃ、やーよ?」
「……え?」
驚いてりうが聞き返した時にはすでに蘭花はりうの手を離し、先に席についていた。
なんだかモヤモヤした気分のまま腰を下ろすと、りうは自分のアケコンを準備し、それを膝の上に置いて深呼吸をしてからゆっくりとレバーを握る。キャラクター選択画面のカーソルを動かして選んだのは、ハチマキの少女格闘家ホシだ。
対する蘭花が選んだキャラクターは奇抜な紫色の肌をした女性――シアルクだった。シアルクは様々な角度から繰り出す突進技を軸に攻める、トリッキーさが売りのキャラクターだ。
一ラウンド目が始まって、りうはとにかく基本通りに戦ってみようとした。遠距離から攻撃できる一般に飛び道具と呼ばれる技を使って牽制しつつ、相手が飛び込んで来たのを対空技で迎撃する――格闘ゲームの基本中の基本ともいえるスタイルだ。しかし蘭花の操るシアルクはそんなりうのスタイルをあざ笑うかのようにピョンピョンと飛び跳ね、ジャンプの軌道を様々に変えることでりうの対空技をすり抜ける。さらに飛び道具の牽制も地面を這うようなスライディングキックで下をくぐり攻め立てることであっさり無効化して見せた。
りうは殆ど攻撃をあてられないまま一ラウンド目を落としてしまった。続けて始まった二ラウンド目、スタンダードな戦術を封じられたりうは今度は自分から攻めていく作戦をとった。若干強引ではあったが飛び込みで一気に近寄って、そこから何とか連続技を決めることに成功する。だが、それまでだった。一度は成功したものの二度は続かず、後半からは逆に一方的に攻められて手痛い連続技で一気に体力を減らして負けた。
「んー、あったまってきたかなー」
モニター越しに、のんきな蘭花の声が聞こえてくる。そして、
「あいあーい。ごくろうさまー」
三分と立たないうちに、試合は終わった。三分間の間に蘭花がしたことはシアルクの必殺技である高速の突進技、それを何度も繰り返しだし続けることだけだった。たったそれだけで、りうはただの一度も反撃することすら出来ずに沈んだ。
格闘ゲームの完成形とまでいわれる『ファイターズ』に、ただ強いだけの技は存在しない。必ずどこかに弱点がある。だがその弱点も、知識がなければどうしようもない。
「……すいません。負けちゃいました」
これで三敗。チームとしての勝ちはなくなった。
「いまのは対策を知らないと厳しかったよ。仕方ないって」
「…………はい」
絵里の慰めを背に、りうは席に着く。横目に見たメアリはただ黙って、じっとしていた。
「とぅっとぅるー♪ 蘭花っちゃんの華麗なる勝利ー!」
「…………どこが華麗だ」
「くっそ汚いわからん殺しだったっスよ! あれはひでーッス!」
「勝負のー、世界はー、非情なのだーっ!」
ケラケラとした笑い声。
「……キミたち、楽しそうだね」
そう言ったのはそれまでずっと黙って試合を見ていた春子だった。
「そりゃまー、基本楽しくやってますよー」
「あれで? あんな試合で?」
春子は首を横に振る。
「レベル低すぎ。基本的な対策も出来ないような相手でしょ」
「うえ、それってー、もっと手を抜きましょーう、とかってやつです? それはちょっと蘭花っちゃん的に、美学に反するっていうかー」
「もっと速攻で片付けろって言ってるの。時間だってタダじゃないんだから、もっと効率化して」ため息をついた春子は椅子から立ち上がると吐き捨てるように言う。「こんな練習試合の引率とか、ホント貧乏くじ」
中央のモニターの前ではすでに絵里が待っていた。春子は絵里の傍に近づくと黙って右手を差し出す。その手を絵里は無視し、代わりに春子の名前を呼んだ。
「……西口さん。さっきのセリフ、撤回してもらえませんか?」
「はい?」
「効率化しろとか、片付けろとか、あんなの……、失礼です」
「ああ、聞こえてました? べつに聞こえるように言ったつもりはないんですよ」春子は悪びれた様子もなく、チラリと席に並ぶりうたちに視線を送る。「でも、本心ですから。いままでの試合で実力的につり合ってないのは分かるでしょ?」
「……だから、なんですか」
「だから、レベルが違うんだから、それなりの対応があるって話です。いちおう、私たち競技レベルでやってるんで、そっちの最初の三人は素人の――エンジョイ勢でしょ? だから、お遊びには付き合えないよね、って話で。プライドあるんで」
春子は鼻を鳴らして、とぼけたように笑った。
「……おい、国仲。席立つな」
紗香の声がする。見ると腰を浮かした麗がその姿勢のままで停止していた。どうやら文句を言いに飛び出そうとしていたらしい。麗は紗香に向かって何か言いたげな視線を向けていたが、
「いいから、座ってなー」
そういわれ、最後は諦めたように元の位置に戻した。
「なにいまの。威嚇ですか?」
春子は不快げに言う。
「撤回、できませんか」
絵里は念を押すように尋ねた。すると春子はヤレヤレと言った感じで肩をすくめる。
「撤回ですか? じゃあ、撤回します。これでいいですか?」
「……もう、いいです」
絵里は春子を見限ったようだった。
「握手しないの。マナー悪いな」
春子は呆れたように言うと、席に座り対戦の準備を始めた。間もなく、互いのキャラクターが選ばれる。絵里は軍人格闘家のキャロル、春子は仮面の女戦士エルベレスを選択した。
エルベレスの特徴は着脱可能な短剣による高い攻撃性能と機動力で、相手を翻弄する戦い方を得意とするキャラクターだった。その意味では蘭花の持ちキャラであるシアルクにも近いが、シアルクがどちらかといえば直線的な攻めと地上戦を得意とするのにくらべ、エルベレスは軌道の予測しづらい空中戦を得意としていた。一方で絵里の操るキャロルは飛び道具と対空技に長けた、シンプル故に堅実な戦い方ができるキャラクターだ。
相性としては、両者ともに悪くない相手。自然と試合内容は拮抗することとなった。これまでの試合とは違い、一ラウンドも取れず敗北してしまうような一方的な展開ではなく、お互いが意味のある行動のやり取りによってほんの少しの有利を競い合う、まさに上級者同士の対戦だった。
一セット目を絵里が、二セット目を春子がとり、そして最終セット。上級者同士になると決定的な差というのは生まれ難い。だからふたりの勝敗を分けたその差はほんの僅かなものだったが、しかし戦いの中で埋まるような差ではなかった。互いに体力を減らした試合終盤、硬直した状況に耐えられなくなった絵里が不用意に放った牽制攻撃が、春子の完璧な間合いで繰り出された攻撃によって刈り取られ、勝負はついた。
「…………」
「…………」
ふたりとも何も言わなかった。だが勝敗によってひかれた一本の線は絵里と春子の明暗をくっきりと分けていた。
今までの態度を変えることなく、涼し気な表情で席に戻っていく春子。
絵里は席から動けずにいた。
「……もどろう」
迎えにいった麗に促され絵里はようやく席を離れた。帰ってきた絵里の顔を、迎える誰も見ることができなかった。
「…………」
これで終わりではない。次は最後の試合、メアリの出番だ。
だが、メアリは動かずにいた。
りうは視線を志度高校へ向ける。すると奏江が静かに立ち上がった。
「お、奏江っちゃん! 頼んだよー。ラスト締めてきてー」
「やってこいよ」
「イクっスよ! ゴーゴーっス!」
「これが目的で来たんだから、仕事してきて」
仲間に送り出され、奏江はモニターの置かれた部室中央へ向かって歩き出す。しかし座るべき席にたどり着いたところで止まらずに通り過ぎると、りうたちの正面に立った。
りうたちの――いやメアリの前に。
「…………」
「…………」
奏江に見下ろされたメアリは、しかし動かない。
「…………メアリ」
奏江が名前を呼んだ。
「キミがどういうつもりでここにいるのか知らないけど、またそうやって見ないふりでやり過ごすつもりなのか。何もしないで」
「………………」
「見ることもしないのか? 逃げるにしろ、躱すにしろ、その態度は失礼なんじゃないか」
「………………」
「……そうか。何か変わったのかと思ったけど、違うんだね。相変わらず、最低だよ」
「ッ……!」
メアリの弛緩していた手が、何かに堪えるように固く強く握られる。
「――やめて!」
りうは思わず叫んでいた。りうは立ちはだかるように奏江とメアリの間に立つ。
「……もう、やめて。ふたりに何があったのかとか、わたしにはわからないけど……、メアリちゃんは、そんなふうに責められるような人じゃないよ!」
「それは、メアリのことを知らないからだよ」
確かに、りうはメアリの全てを知っているわけじゃない。けど――
「そうだったとしても! わたしの知ってるメアリちゃんは、メアリちゃんで――友達なの! だから、友達に最低とか……そんな、酷いこと言うのは、やめて!」
気が付けば呼吸が荒い。頭の奥が、ジンと熱かった。
「…………そうだね。申し訳なかった」
少しの間を開けて、奏江はりうの眼をまっすぐに見返して謝罪すると、
「お騒がせしました」
そういって今度は全員に頭をさげ、中央へと戻りモニターの前の席にそっと座った。
「剣崎、棄権するか?」
紗香に問われ、メアリはゆっくりと立ち上がった。
「剣崎?」
「…………でます。出る、つもりです」
「メアリちゃん、無理しなくても――」
そう声をかけたりうを、メアリはそっと手で制した。
「いいの。大丈夫」
まかせて。
メアリはりうにそういって、所定の位置へと向かった。
試合前の握手はなく、全てが淡々と進められていく。レバーとボタンのチェックの後でキャラクターが選ばれ、試合が始まった。
奏江の使用キャラはアンスマリン。ゲーム内でホシのライバルに設定されている長身の女性格闘家だ。そしてメアリが使うのは、りうが初めて見たあの日と同じホシ。
メアリの動きは普段りうが練習や遊びの対戦なんかで見るものと全く違った、全ての動きが洗練され高い精度を持った、勝つことに特化した無駄のない動きだった。
――絵里先輩と戦った時より、すごい……。
メアリの見せた実力に、志度高校側の四人が盛り上がった反応を見せる。
「ひゃぁー、なるほどねぇ。これは、有名にもなるやねー、って感じ?」
「ぱねぇな……」
「うまいッス! まじうまいッス!」
「…………ま、でしょうね」
すっかり気持ちの萎えていたりうたちも、そのプレイに思わず引き込まれてしまう。
「剣崎ちゃん……」
「やっぱりすごいです、メアリさん」
「メアリさん」
気づけば皆の視線は、自然と画面に向かっていた。
「…………」
――でも。
でも。
りうは気づいていた。メアリの動きはたしかに今まで見たことないほどにキレていた。だが、そのどれも奏江には届いていない。難度の高い連続技も、相手に反撃を許さない連携も、適切な間合いで使用される牽制も、ダウンを奪った後での継続した攻めも、全てに対策が施され、致命傷には決して到達できない。
一方で奏江の攻めはメアリと同じかそれ以上のキレを持っていて、そのうえでメアリの上を行っていた。メアリの行動をすべて見通しているかのように、一瞬のゆるみや攻守の切り替えの隙間に入り込んで、確実にダメージを与え蓄積させていく。それはまるで遅効性の毒のようにゆっくりと効いた。毒が回り切った後に待っているのは逃れられない死、ただそれだけだ。
二ラウンド目が終わり、メアリが一セット先取された時点で全員が気づいていた。
奏江はメアリへの完璧な対策を持っていて、それが揺らぐことは決してないのだと。
『ファイターズ』は究極の格闘ゲームと呼ばれている。そう呼ばれる理由はいくつかあるが、その一つに『詰み』が存在しないという絶妙なゲームバランスがあった。『詰み』とはプレイヤーがどんな状況で何をしようと打破することができず逃れられないような状況のことだ。
世の中に完璧なものが存在しないように『ファイターズ』にもキャラクターの相性などでキツイ組み合わせは数多存在するが、それでも絶対に『詰み』はない。そういわれていた。
だが、いま目の前に展開される光景は、その前提を覆しえるもののように、りうには思えた。
何をしても、防がれる。何をしても、返される。何をしても、しのげない。
それはまるで存在の否定のようだった。
石を積み上げては崩される。いや、一つ積むことすら――。
「……さすがに、これ、えぐくね?」
「……ああ」
「……ッス」
「一つの理想ではあるけど、これは……」
気づけば志度高校の空気すら、すっかりと冷えていた。
実際、目をそむけたくなるような光景だ。
かつて、メアリが受けた敗北。勝負の世界を遠ざけるに至った原因。心を折ったもの。それがいま、目の前にある。
りうはそれを実感していた。
心のどこかに、たかが敗北くらいでと、そんな気持ちがあったかもしれない。だが、この光景を見せられて、そんなふうには決して思えない。こんなものを何試合も続けたら――いや、二先を成立させる最低数の四ラウンドであっても、耐えられるかどうか。降参しても、投げてしまってもおかしくない。
いや、そうすべきだと、りうは思った。
だが、メアリはしなかった。
最後まで、本当に最後の最後まで、メアリなりの最善手を打ち続けた。
壊れてしまった機械が無意味なプログラムをなぞって繰り返すように。
ゴールのない茨の道をただ歩き続けるように。
「…………」
静まり返った部室に、勝負の終わりを告げるアナウンスが鳴り響く。
「…………なにも、変わってないんだね」
立ち上がり、メアリを見下ろす奏江が感情のない声で言った。




