第18話:不穏な気配
意識があると認識できるのは、覚醒する少し前のタイミングだ。微睡みの無理解の中で瞼を閉じていることに気が付くと、次第に辺りの音も耳に入ってくる。何人かの人の声、食器の重なる音。鼻から息を吸えば、パンの焼ける美味しそうな匂いが起き抜けの脳を刺激する。
(あぁ、お腹すいたな……)
「……ん」
「……おはよ」
目を覚ましたレニーが起き上がって辺りを見回すと、すぐ近くの椅子にアーロンが座っていた。彼は昨日の夕飯の残りであろうスープとパンを頬張っている。
レニーも何か食べようと身体を起こすと、背中や腰がところどころ痛んだ。
「あいたた……」
「……床で寝てるから」
「アーロンだって床で寝てたじゃん……って、それもしかして昨日の薄いスープ?」
「……今はこれが丁度いい」
そう言って彼はお湯に近いスープをのっそりと啜った。大方、昨晩の酒が残っていて温かくて胃に優しい飲み物を欲していたのだろう。背を丸めてゆっくり飲む様子は、まるで縁側で背を丸めて茶を飲むご隠居のようだ。
レニーは自分も喉が渇いていることに気がついて立ち上がった。
辺りを見れば、既に何人かはそこいらに寝ているメンバーを起こさないように活動を始めているが、全体的に少し人が減っている気がする。
「先に起きて帰ったのかな?」
「……フィリスは少し前に起きて、家でもう一眠りするって言ってた。エマとルイはアリスが抱えて二階に寝かせてある」
「なるほど……」
そうなるとここにいる人で昨日宴にいた全員が確認できる。
アイラはキッチンで朝食の仕度をしており、その隣でマスターとアリスが歯を磨いている。起きているのはそれくらいのようだ。
残りの面々は床やら椅子やら机やらで眠ったままだ。
「アーロンたちは今日も仕事?」
「……今日はギルドにいるよ」
「三日連続で仕事だったもの。一日休んでまた明日から働くわ」
キッチンの方でアリスが答えた。彼女は濡れた手を振ってシンクに水滴を落としている。
「あ、そしたらアリスたちお留守番頼んでもいい? アイラ今日お買い物行かなくちゃいけなくて」
「構わないけど、一人で平気?」
「うん、レニーくん連れてくから大丈夫」
「えっ、まあいいけども」
急に話題に巻き込まれたレニーは咄嗟に答えた。
「ありがとー、助かるよ!」
にへー、という擬音がつきそうなあどけないアイラの笑みに釣られて、レニーも口元が緩む。
しかし、そのかわいらしい笑みに浮つく彼は気が付かなかった。
アリスとアーロンの二人が、彼に分からないよう、密かに意味深な目配せをしていたことを。
*
それから数時間後、レニーとアイラは並んで昼過ぎの街の中を歩いていた。内陸に位置するこの街――カスタントルフは、貿易の拠点となるような大きい都市ではない。
ほとんどの道は敷石や煉瓦での舗装はされておらず、辺りの建物も高くてせいぜい三階建てだ。実際、blanumakfaの建物はこの街でも指折りの大きな建物と言えるだろう。
それでもこの街がある程度発展しているのは、大陸の動脈と呼ばれる大きな道路が通っているからだ。
港町として発展し、今や主要な商業都市であるプラーヌスから北西へと進むこの道は、カスタントルフを経由してそのまま北へ抜ける。そのまま北方と西方を囲むように聳える山脈を越えれば、行政都市であるマグナヴィルにまで行くことが出来る。
主要都市を繋ぐ道の半ばにあるカスタントルフの街は、自然とそれらの都市を行き来する人々の休憩地点となるのだ。
「今日も街市場に向かうんだよね?」
「うん! あそこが一番安いし、何でも揃うからね」
街市場というのは、件の大通りから少し外れたところにある大きな市場のことだ。肉や野菜といった食料品の他にも、衣服などの生活必需品を売る店なども並び、客には街の住民のみならず往来する旅人も多い。
「見てるだけでも楽しい場所だけど、買い物に行くにはちょっと大変だよね」
「そうだねー。でも、こうしてレニーくんみたいにギルドの誰かが一緒に来てくれるから大丈夫!」
アイラは、えっへんといった様子で無い胸を張った。
彼女のセリフは、つまるところギルドの備品は、ほぼ必ず彼女と誰かが買いに行っているということを暗に示していた。
そういえば、レニーが来てから彼女が任務でどこかへ出かけたのは見たことがない。いつだって彼女はギルドにいて、食事を作ったりお茶を淹れたり、事務作業をしていたりする。
「アイラは任務に出たりしないの?」
「行かないよっ。アイラは乗り物酔いと転移酔いが激しくてさ……あんまり遠くの仕事だと、着く前にへばっちゃうんだよね」
「そうなんだ……」
「でも、ギルドで皆のお世話するのも結構好きだから、アイラはこれでいいかなって思ってるの」
そう言って笑う彼女は、とても強がりを言っているようには見えなかった。おそらくは、本心からそう思っているのだろう。
「ってことは、アイラもアリスやアーロンみたいにめちゃくちゃな能力を持ってるの? blanumakfaは異能持ちのギルドなんだよね?」
「んふふ、持ってるよ! こう見えてもアイラは戦うの得意だったんだから!」
とは言っても、シャドーボクシングのようなモーションをしながら自分で効果音をつける彼女は、とてもアリスたちのように強そうには見えない。
「……その目、信じてないでしょ」
「信じてる信じてる!」
「これでもアーロンには何回か勝ったことあるんだから!」
「……うそん」
「やっぱり信じてなかった!」
アーロンと比べて少なくとも15センチメートルほどは身長差がありそうな彼女は、唇を尖らせてそっぽを向いてしまった。
ぶーぶーとかわいらしく拗ねるアイラは、やはりどう見てもあどけなさの残る少女のようだ。少なくとも、自分で作り出した鉄棍をぶんぶん振り回し、正確無比な魔法を使いこなすあの青年を打ち負かすほどの豪傑には見えない。
「信じてるってば……と、あれは……?」
機嫌を取ろうとしたレニーは、遠巻きに人が集まっているのを見つけた。
「何かあったのかな?」
「うーん、ちょっとチラ見してこっか!」
あっさり機嫌を直したアイラは人集りに走っていった。ふわふわと跳ねるように揺れるオレンジ色の髪を、焦ってレニーも追いかける。
彼らはまだ、この街に潜む不穏な気配には欠片も気がついていない。




