第6話
エミルとルシアンは日課の走り込みをしていた。いつもなら、ああでもないこうでもないと魔法について仮説や議論を交わす時間なのだが、今日の二人は無言だった。
近衛隊長、ガストンが腕組みをして立っていたからである。
二人がその目を憚りながら一通りの訓練を終えると、ガストンは満足したように頷き、軍備の点検をせねば、とルシアンに報告をして足早に宮殿を後にした。
ルシアン「あ、しまった。」
執務室に戻ってきたルシアンが、唐突に声を上げた。
ルシアン「あまりにも奴の顔が腹立たしくて、書類を渡し忘れた……。」
ルシアンはこの上なく大きなため息をついて、紙の束を持ち上げていた。ガストンに渡すはずだったもののようだ。そして何かを思いついたようにゆっくりと振り返り、エミルに狙いを定めた。
エミル「……なんでしょう、領主様。」
ルシアン「……執政官殿は物分かりが良くて助かるな。」
ルシアンはおもむろにもう1枚書状をさらさらと書き上げ、束を封筒にしまって印をした。エミルはそれを懐にしまうと、この上なく大きなため息をついてから、ルシアンの宮殿を後にした。
王都レオニア。レオニアとは、建国王と呼ばれたレオン1世にちなんだ名前である。古くから王権が政治の中心にあり、軍事力がそれを下支えし続けている。この王都の中心部にルシアンの宮殿があるわけだが、ガストンと彼の師団は外縁部の兵舎街に逗留していた。そこは、アルド川にかかった大きな石橋の袂である。
エミルは馬車の車窓から王都を眺めていた。整然と並ぶ石造りの街並みが、次第に活気ある市場街になり、木造建築が雑居する居住区を通り過ぎ、やがて剣を撃ち合う音と蹄鉄の音が聞こえてくるようになった。
エミルは馬車を降りると、兵舎の門衛に尋ねた。
エミル「私はルシアン第三王子の臣下で、エミルと申します。ガストン千人長に封書をお持ちしました。今、おられるでしょうか。」
門衛は虚をつかれたようで、数秒間固まってしまった。
門衛「がっ……ガストン千人長ですね! 少々お待ちを!」
やがて我を取り戻し、全力で兵舎の中へ走っていった。
エミル(……兵舎はいつ来ても場違いだな。)
エミルは兵舎をぐるりと見渡した。兵士たちの寮、訓練所、厩舎。そして小規模な鍛冶場が併設されているため、砂埃や鉄の匂いが充満していた。
エミル(そういえば……剣と魔法の親和性、については研究が止まっていたな。これを機に記録を読み返してみるのもいいかもしれない。)
そんなことを考えていると、門衛がガストンを連れて戻ってきた。二人とも小走りであった。門衛はともかく英雄ガストンともあろう人物が、自分のような若造に対してまでこうした態度を示してくれるというのは、なんて律儀な方なんだろうとエミルを感心させた。
ガストン千人長。改めてそのいで立ちを眺めると、エミルよりも高い上背。白髪から察する年齢を感じさせない雄健な足運び。そしてその溌剌とした健康的な笑顔に、相対する者に活気を与える雰囲気を持った男だった。
ガストン「執政官殿! お待たせしてすみません!」
エミル「……よしてください、ガストン殿。執政官といってもただの郵便役です。」
エミルはそういうと懐から封筒を取り出し、ガストンに手渡した。
ガストン「ご謙遜ですなエミル殿! 足を使った仕事というのは、目立ちませぬ。 目立ちませぬが、そういった仕事がちゃんと回る所ほど優秀な組織です。」
ガストンは豪快に笑い飛ばすと、封筒を受け取った。
ガストン「領主様からですな。エミル殿、この場で開封しても?」
エミル「……あ、すみません、実は朝に書類を渡すはずだった、としか聞いていないんです。」
ガストン「そうでしたか、まあ構わんものでしょう! 失礼いたしました!」
ガストンは懐から小さなナイフを取り出すと、慣れた手つきで封を開けた。数枚の書類のうち、最初の1枚は念入りに。残りは軽く頷きながらさらっと目を通したところで書類を巻き直して懐にしまった。
ガストン「エミル殿、領主様には”承知しました。明日の朝練習の時にお持ちします”と、
ご返答いただけますでしょうか。」
エミル「わかりました。そうお伝えします。」
エミルはこくりと頷いた。
ガストン「……エミル殿。書簡には行軍の計画書作成指示が記されておったのですが、手隙ならばエミル殿に橋を案内せよと。」
エミルは驚いた。
エミル「橋? 橋ですか……?」
ガストンはにっこり笑った。どうやら主の意向を理解しているようだった。
ガストン「アルド大橋ですな。近くです、歩いて参りましょう。」
ガストンは封筒を手早くしまうと門衛達に元気よく挨拶し、風を切るように先導して歩き始めた。エミルは少し慌てて、後を追った。
王都の南西を流れる大河川、アルド川。その上にかけられたあの石橋が、アルド大橋である。とは言っても、エミルにとっては何度も通った橋であるから、ガストンとは違いルシアンの真意を測りかねながら歩いていた。
ガストン「しかし体を動かすというのはいいものですな! 身体中に血が巡るのを感じます。」
ガストンはその長い足を活かした歩幅でずんずん歩いていた。エミルが小走りで追いかけたが、ガストンは息切れひとつしていなかった。
エミル「……ガストン、殿は、今なお毎日、訓練を……欠かさないのですか。」
追い付いては引き離され、追い付いては引き離され、エミルは何とか喰らいつきながら会話を続けた。
ガストン「1日たりとも休んだことはございません! 賊どもは年中無休でしたからな! ハッハッハッハ!」
ガストンの笑い声が石造りの街路にこだまする。笑いながらの返答だったが、そこには軍人としての矜持が光っていた。実際に光っていたのは飛び散る汗だったかもしれないが、その雫の一滴には弛まぬ努力が詰まっていることをエミルに実感させた。
アルド大橋にはほどなく到着した。エミルがここを通る時はいつも馬車でだったので、自分の両足で立ってみると自分の記憶より随分大きく感じられた。
ガストン「エミル殿はアルド大橋の役目はご存知でらっしゃいますかな。」
エミル「役目ですか……いえ、お恥ずかしいことに。」
エミルは息を整えながらガストンの話を聞いた。
ガストン「何を恥じることがありましょう。では僭越ながらこのガストンめが、畏れ多くもご教示申し上げます!」
うおっほん!と仰々しく咳払いをし、ガストンが語り始めた。
ガストン「このアルド川は、恵みの川です。上流の山脈から採れた良質の鉄鉱石が運ばれ、それがわしらの剣となり、盾となっております。」
上流をみやると、遥か遠くに青い山影が景色を横断するように連なっていた。
ガストン「ですが、この川にはもう一つの顔があります。」
ガストンは橋石を叩きながら、話を続けた。
ガストン「ひとたび戦が始まれば、もちろん敵勢の数にもよりますが、我々国防隊はこの橋を爆破し落とせと命じられております。」
エミル「爆破……ですか……!」
エミルはその剣呑な響きに驚いた。
ガストン「はい。アルド川を巨大な濠として、敵軍を迎え撃つのです。」
エミルはため息と共に納得した。そして自分の見ていた景色が変わっていく感覚を覚えた。それは彼にとって非常に心地の良いものであった。
ガストン「……王都の反対側。つまり北東にはこういった要害はございません。そちら側には見張り台が数箇所だけ建てられております。」
ガストンは王都の方を指差した。高い壁の向こう側を示しているのだ。
ガストン「エミル殿。どういう事だか、お分かりになりますかな。」
そしてにこりと微笑んだ。どうぞお気軽にお答えください、と言われている気がしたが、英雄ガストンに稽古をつけてもらっている気がして、エミルはなんとか自力で答えたくなってしまった。
エミル「……。」
だが、王都をそんな目で見たことがなかったエミルはしばらく考え込んだ。アルド川と外壁とを交互に見て、腕組みをして考えを巡らせた。その間もガストンはニコニコしながらその様子を見守っていた。決して急かしたり、ましてや苛立つということは微塵もない様子だった。
エミル「……王都にとっての敵は、東ではなく西にいる。」
ガストン「さすがでございますエミル殿!」
ガストンは力強く拍手した。その音が石橋や石壁に反響したので、エミルは思ったより恥ずかしくなってしまった。
ガストン「陛下と王家を脅かす敵は、諸侯にございます。各都市に自治自衛を任せておりますゆえ、その土地その土地に主がおり、軍がいます。」
ガストンは腰に手をあて、髭をなぞりながら遠くの空を見つめた。
ガストン「王都は各都市を整備された道で繋いでおりますゆえ、一度反乱が起きれば賊軍は速やかに王都へ攻め寄せることでしょう。その時、この橋は真の役目を果たすのです。」
そしてエミルの方を向き、こう締め括った。
ガストン「……とまあ、敵軍にはそこまで見透かしてもらうわけです。そうなると、有能な将はこう思いますな。王都を攻めるのは得策ではない、と。」
エミルは、最前線で命を張るものの目線。無言の駆け引きというものの恐ろしさ、大切さを肌で感じたのだった。
ガストン「ではエミル殿、せっかくです。走りますか。」
急な申し出だったので、エミルには意味がわからなかった。
ガストン「橋の向こう側まで行って、戻ってくる。兵学校時代のわしの日課でした。ぜひエミル殿にも、アルド川のせせらぎを肌で感じながら体を動かしていただきたい!」
ガストンは返事をする前に準備運動を始めていた。エミルは遠く霞む橋の向こう岸を見て、少しずつ青ざめていった。
ガストン「では参りますか! なに、エミル殿に合わせますのでご安心を!」
エミルは覚悟を決めるほか、道がなかった。
そうしてしばらくの後、王都の南門に汗びっしょりのエミルが戻ってきた。同行していたガストンも汗をかいていたが、どちらが若者か分からないぐらい二人には余裕の差があった。
ガストン「いや、いい汗をかきましたな。充実した気力が身体中から込み上げるようです。」
いつの間にか衛兵が汗をふく布を持ち寄ってきていた。ガストンは彼らを労うと、すまんな、と言って布を遠慮なく借りた。
エミル「……今日は大切なことを教えていただきました。努々忘れないよう肝に銘じておきます。」
ガストン「ハッハッハ! 大したお構いもできておりませんで、申し訳ない限りです。」
ガストンは心底嬉しそうだった。
ガストン「どうですエミル殿。最後に石壁の上から川を眺めてから戻りませんか。」
ガストンは上を指差した。真下から見上げると、王都の外壁はそびえ立つ山のような高さだった。
エミル「はい、ぜひ。」
二人は塔の螺旋階段を登り、石壁の上へ出た。エミルは想像以上の高さに一瞬足をすくめたが、ガストンは平然と景色を見渡していた。壁の上は大の大人が二人か三人両手を大きく広げられるほどの幅で、悠々と歩けるよう造られていた。
ガストン「……最近のルシアン様は元気になられた。」
ガストンが歩きながら、おもむろに話し始めた。エミルはその口ぶりに、臣下ではなく親のような響きが混じっていることを感じた。
ガストン「わしはルシアン様が幼少の頃から、何度も拝謁しておりました。昔から変わらぬ聡明さをお持ちでしたが、どこか冷めたものも感じておりました。」
ガストンはゆっくり一歩ずつ、踏みしめるように歩いていた。風を感じながら、王都を眼下に眺めながら。
ガストン「……わしから見て、エミル様は特別です。今までこんなに心を許した友を
作ったルシアン様は、見たことがありません。いやまあ、常にルシアン様のおそばにいたわけではないのですが……。」
頭をかきながら、エミルの方を振り向いた。
ガストン「エミル様。どうぞルシアン様をお支えください。」
エミルにはそれが、臣従の意味でないことは噛み締めるように理解できた。
エミル「勿論です。」
ガストンはにこりと微笑んだ。満足そうに。
ガストン「しかしルシアン様も天運の下におりますな。」
ガストンは遠景を見ながら続けた。
ガストン「失語症を乗り越え、立派な領主になられようとしてらっしゃる。」
エミルは言葉を詰まらせた。
エミル「……失語……症……?」
外壁の上を、一陣の風が通り過ぎていった。




