第2話
王都レオニアの港。まさか2日目にして早くも予定が狂いそうになったとあって、兵舎の食堂は困惑の色に包まれていた。ルシアンは岩のようにどっしりと構えており、聞く耳持たないといった空気をまとっていた。
エミル「……領主様。お話、伺えますか。」
ルシアン「ちょうど良いところに来てくれた。エミル。」
ルシアンは目を開き、話を改めた。
ルシアン「オーゼルキープには1週間後に向かう。それまではここに逗留だ。」
エミル「……理由をお聞かせ願えますか。」
エミルには、何となくの予感があった。
ルシアン「……我々はここでシーオーク達に会っておかねばならん。」
エミルは、声をひそめて忠言した。
エミル「領主様、タウリの事を慮っての事だとは分かりますが……すでにオーゼルキープ
行きの船は準備に取り掛かっているのでは。」
ルシアンは、静かに、落ち着いて反論した。
ルシアン「そういうことではない。我々は彼らのことを知らないまま北へ行ってはいけない。
機を逃せば、次は数年後になるだろう。それでは遅すぎる。」
エミルは困り果てて言葉を絞り出した。
エミル「……陛下のご命令なのですか?」
ルシアン「余の独断だ。」
エミル「……謝罪をしに行くということですか?」
ルシアン「新たな隣人として、挨拶をしにいくということだ。」
エミルには賛同できなかったが、それ以上の反論もできなかった。
エミル「……では、船の行き先が変わったことを伝えねばなりませんね。」
ガストン「……わしが伝えてきましょう。」
ガストンも渋々折れたようだった。
ルシアン「いや、それには及ばん。ただ荷物は一旦引き上げさせてくれ。」
ルシアン以外にはその意味がわからなかった。エミルが尋ねた。
エミル「どういう……ことですか?」
ルシアン「新しい帆船を一隻買いたい。王国の帆船は使わん。」
ライラがぎこちなくルシアンに顔を向けた。
ライラ「……領主様。いま……なんと?」
ルシアン「新しい帆船を一隻買いたい。大きすぎる必要はないが漁船では格好がつかん。
エミル、付き合ってくれ。」
ルシアンは颯爽と立ち上がり、食堂を後にした。エミルは慌ててその背中を追った。
ガストンとライラは、立ちすくむしかすべが無かった。
港には当直の船乗り達が、船の点検を行っているところだった。停泊中の帆船の中で中型のものとなると選択肢は多くなさそうだった。
その中でちょうど良さそうな一隻を見つけると、ルシアンは早速、ロープを手繰り寄せている船乗りに声をかけることにした。
ルシアン「作業中に申し訳ない。私は王国領主の1人なのだが、近々船が必要になりそう
でな。船の下見をしているのだが……この船の持ち主はいるか?」
船乗りは大きく驚いて、ロープを手から落としてしまった。慌てて手繰り寄せながら、ルシアンとエミルの姿格好をジロリと眺めた。
船乗り「いやぁ……船はあっしらのモノじゃねぇんで……。なあおい! ギルガスさんは
どこにいるんだっけ!」
別の船乗り「……なんだって?」
甲板の上から別の船乗りが顔をだした。2人は大声で話を続けた。
船乗り「こちらの貴族様が、船が欲しいんだと! ギルガスさんはどこに住んでんだっ
たっけ?」
別の船乗り「あー……あれだよ、確かなぁー! サウスミルズじゃなかったか!」
ルシアン「まるで逆方向だな……。すまんな、邪魔をした。」
船乗りと船の持ち主は違う。そして船の持ち主ともなれば貴族か豪商なはずで、決済権を持つものがここにいるわけではないのだ。
ルシアン「……やはり一筋縄ではいかんな。」
うーむ、と考え込むルシアンにエミルは尋ねた。
エミル「なあ、ルシアン! 帆船なら立派なものが何隻もあるじゃないか。なぜ急に
新しい帆船を探すことになったんだ? ちゃんと説明してくれ。」
足早に歩くルシアンを追いながら、エミルは問いただした。
ルシアン「エミル。これから会いに行くのはシーオークだ。」
ルシアンはずんずん歩きながら、言葉だけをエミルに向けた。
ルシアン「長年に渡って仲間をひっ捕えてきた奴らが、国旗をはためかせた軍船で近づいて
きたとする。お前ならどう思う?」
エミルはギクリとした。
ルシアン「そんなもん宣戦布告だろう。だから一目で見て、明らかに戦意がないと分かる船を
調達する必要があると思ってな。」
エミル「……。」
エミルは黙って、ルシアンの後を追った。
そして港の端に、身を隠すように止まっている帆船の前で2人は足を止めた。帆船の前では、木箱の上で荒くれ者が1人、酒瓶を傾けていた。
ルシアン「いきなりすまん。船を売って欲しいのだが……。」
ルシアンが言い切るより前に、荒くれ者は睨み返しながら怒鳴った。
荒くれ者「あぁ!? 船を売ってくれだぁ?」
帆船をよく見ると細かい傷が無数についていた。船体自体に致命的な損傷はなさそうだった。だが、帆は張りなおす必要があるだろうことは見てとれた。
荒くれ者「ほしけりゃくれてやるよ! つい先日、船の持ち主からこのオンボロをもらった
ところでね!」
無精髭の荒くれ者は、語気を強めて言葉を吐き捨てた。
エミル「……何かあったのですか。」
荒くれ者「何かあったどころじゃねぇな! こいつは王都に酒を回す船で俺はその船長
だった! ところが、風の強い日にでっけぇ海蛇に追い回されたんだ! 必死で逃げて
いるうちに舵もきかなくなりやがった!」
エミルは、ルシアンがだんだん前のめりになっているのが分かった。
荒くれ者「そんな時に現れたのがあの女だ! 海蛇をおっぱらった代償にバカ高い救助料を
吹っかけてきやがって……そんで、持ち主から船と一緒に借金を押し付けられたって
わけさ!」
ルシアン「……女か。」
荒くれ者「ああそうだ、悪名高い海賊さ!」
荒くれ者は酒を一飲みした。
荒くれ者「海賊リヴィア! "契約の魔女"リヴィアってな!」
その日の昼食会は、些事の共有を目的とする会でもあった。あったはずだった。ルシアンは特命隊が全員揃ったことを確認すると、料理が運ばれる前に話を切り出した。
ルシアン「オーゼルキープへの出航は1週間後にずらす。シーオーク達への訪問を行程に
組み込むためだ。」
ガストンは黙って聞いていた。ライラはため息をついた。そして急に立ち上がったのは、タウリだった。泣きそうな顔で必死に訴えた。
タウリ「あ……あの! ごめんなさい! 俺が変なことを言ってしまったせいで……。
領主様、俺、とんでもないことを……話を取り消させてください!」
ルシアンはタウリに座るよう促した。
ルシアン「……タウリには礼を言わなければならん。余は王都で、国の名前をリギリアと
号した。世界を繋げる、絆という意味だと。」
集まっていた一同は耳を傾けていた。
ルシアン「未来のために、過去と向き合う必要がある。今、ここでだ。」
ガストン、フィリア、セレナは微笑んでいた。エミルとライラはため息をついた。タウリは、涙を必死に堪えていた。
エミル「……船は……本気ですか。」
エミルが口を開いた。彼の脳裏には、酒をかっ食らっている荒くれ者の姿がよぎった。
ルシアン「本気だ。……ガストン、お前の手勢に海や船に明るいものはいるか。」
ガストン「それならばベルネーヴがおります。その家名に恥じぬ、生粋の海の男です!」
ライラ「……ちょ、ちょっと。ちょっとお待ちを領主様!」
進みかけた話をライラが慌てて引き戻す。手には荒くれ者から借り受けた借用書が握られている。
ライラ「あまりに法外な値段です! 王都の外れに新品の家が買えますよ!」
ライラは目眩を起こしながらも、ぴしゃりと言った。
ルシアン「……。」
ルシアンが落ち着いた息遣いで話を切り出す。
ルシアン「王国が目を瞑り続けた歴史を乗り越える費用としては、むしろ破格の値段では
ないか?」
ライラは黙るしかなかった。
ルシアン「それに……。」
ルシアンはエミルをチラッと見た。
ルシアン「噂では、海の民は魔法を"文字"として描くらしい。」
エミル「……! ルシアン、本当か!」
エミルが食いつかないはずがなかった。
ルシアン「もちろん本当だ。……といっても、余も文献でしか見たことがないが……。」
ルシアンはタウリに視線を流した。
タウリ「……あ! ……えと、俺もじいちゃん達から聞いたことはあります。島へ渡った
仲間達は、文字によって大いなる力を借りるんだと。」
エミルの熱量が一気に上がっていった。そして気がつけば、エミルはライラの手を握っていた。
エミル「ライラ殿! 私からも是非お願いします!」
ライラは困り果て、降参したとばかりに握手を返した。
ライラ「……閣下までそう仰るならば、仕方ありません。」
そして眼鏡をゆっくり直した。
ライラ「数字は私がなんとかします。セレナさんの仕事は少し後ろに倒させていただき
ますよ? よろしいですね、領主様。」
ルシアン「だそうだ。すまんな、セレナ。」
セレナ「いーよー!」
セレナは一連のやり取りを見て、なんだか嬉しそうに笑っていた。




