犬と猫編 5th-contact
5th-contact
抱えるもの
翌日、私は昨日の一年生に状況を聞くことにした。
「昨日の後輩を呼んで貰えませんか?」
「いいけど、どうかしたの?」
「あれからどうなったかが気になったので」
そう言うと彼は後輩を呼びに行った。
だが、数秒も経たないうちに彼は帰ってきた。
「どうかしましたか?」
「もう教室の前に来てたよ。今日は彼女も一緒みたいだね」
彼女同伴とは、これは何かあったに違いない。
二人が入ってくると、そのうち一人が怪我をしていた。
「おはようございます。あの、昨日のことなんですけど……」
「私もちょうど聞こうと思っていました。何かあったみたいですね」
「はい……」
男の方は酷く落ち込んでいて、もう一人はその様子を心配そうに見ている。
とりあえず昨日あったことを聞いた。
「えっと、初めまして、小堀愛です」
「初めまして。そのケガは昨日したんですか?」
「はい。昨日ロッカーから倒れてきた箒でコケてしまって」
捻挫で済んだらしいが、この先被害が大きくなりかねない。
「妹には手を出さないように厳命しておきます。申し訳ありません」
「いえ、僕の不注意もあったので気にしないでください」
「そんな!りっくんは悪くないよ!」
「二度も怪我させちゃったから申し訳なくて」
「りっくんといれるなら、私はどうなったっていいよ」
「まなちゃん……!」
目の前で惚気だした二人を見て、私は息をつく。
「全く、微笑ましいですね」
「そうだねぇ」
後ろで男がニヤニヤしている。
見ているとイラついてくるので、私は視線を二人に向ける。
「治療費はどのくらいでしたか?」
「大丈夫ですよ。費用はそれほどかからなかったので」
彼女が首肯する。
「あ、それでなんですけど……」
「なんですか?」
途端に彼女がモジモジし出す。
「お二人は、付き合ってるんですか?」
「いいえ」
「合ってるけど即答は刺さるなぁ……」
嘘をついてどうするというのだろうか。
後ろでうなだれる男は放っておき、何故そんなことを思ったのだろう。
「恋人同士に見えますか?」
「いつも二人でいるのを見かけるので、そうなのかなと思って」
「付け回されてるだけですよ。はっきり言って鬱陶しいです」
「ひ、酷いよ!」
私が素直な意見を言うと、彼は非難の声を上げる。
そんな様子を見て、後輩の彼女は少し申し訳なさそうな顔をした。
「すみません、変なことを聞いてしまって」
「構いません。いつもの事ですから。それにしても……」
私は後ろにいる男を一瞥する。
「よくこんな面倒くさいのと一緒にいられますね、あなたは」
「うーん、めんどくさいなんて思ったことないけどなぁ……」
私はそうですかと適当にいなす。
「変わってますね、あなたは」
そんな様子を、後輩二人は静かに見つめている。
「何だか、楽しそうですね」
その言葉を聞いて、私は思わず息を吐いた。
「楽しそう、ですか……」
その時、私は自分がどんな顔をしていたか分からない。
ただ、不思議と胸が空になったような感覚に襲われた。
「感情とは、なんなんでしょ…う…ね……」
そう言って振り向いた時、彼は酷く悲しそうな顔をしていた。
「よっちゃん……」
「…なんて顔をしているんですか」
「休んでも、いいんだよ」
どういうことなのだろう。
彼の気持ちが分からない。
私は疲れを感じてはいないし、たとえ感じていたとしても滅多に顔には出さない。
「特に疲れは感じていませんが……」
「我慢しないでいいんだよ?」
なおも彼は休むことを勧めてくる。
だから疲れていないのだが。
「なんだか、少し寂しそうに見えたから」
「寂しい、ですか?」
「うん。僕の勘違いかもしれないけどね」
彼は笑おうと努めたのだろうが、顔はただひきつるばかりで、お世辞にも笑えているとは言えなかった。
「あなたがいる限りは、寂しさなんて感じている余裕はありませんよ」
どれだけ付きまとわれていると思っているんだ。
本人が一番知っているはずなのに、彼はとても驚いていた。
「やっぱりお二人は付き合ってるんじゃ……」
「付き合ってませんよ。恋愛には興味もありませんし、きっと相手を困らせてしまいますから」
「綺麗なのに、なんだか勿体ないですね……」
綺麗という単語を聞いて、目を丸くしていた彼はぴくりと反応する。
「そうなんだ!よっちゃんって凄い綺麗でね、真剣な表情とか見てるとますます好きが大きくなっていってね……」
などと私の魅力(?)について力説する彼の顔は、まるで憧れを抱く少年のように眩しく、輝いていた。
「……そもそも私は、何かを感じることさえ、すでに諦めていますから」
いつからだろうか、上手く感情が理解できなくなったのは。
気が付けば、私の心には光が差すことがなくなってしまったのだ。
「せめてあなた達には、そんなことが起きないように願っておきます」
「よっちゃん……」
彼の頬を滴が伝う。
「ごめんね、僕がっ、僕が幸せにするからね……!」
なぜ、そんなに純粋なのだろう。
「なら、あなたが教えてください」
「へ……?教えるって、何を……」
「『気持ち』です」
彼はそれでもまだ分からないというふうにぽかんとしている。
「悲しい、嬉しい、楽しい、寂しい……今ではもう、感覚を覚えてはいません。ですが、あなたたちを見ていると、モヤモヤするんです」
自分には無いものを、周りのみんなが使っていることに、違和感を感じた。
「羨ましいんじゃないかな」
「羨ましい……」
「そう。例えば、自分の欲しいものを他の誰かが持ってると、なんだかモヤモヤしない?」
「えぇ、そういうこともありますね」
「それが『羨ましい』だね。あと、美味しいものを食べた時とか、幸せだって思わない?」
「『幸せ』……あれが幸せですか……」
すると彼は、目じりに涙を残したままで笑って見せた。
「あなたは、よく表情が変わりますね」
「よっちゃんのそばにいられることほど、幸せなことは無いからね」
「そうですか」
いつも言われ慣れた言葉も、なぜだかよく心に響く。
これはきっと、心地よいというものなのだろう。
「それじゃぁ、僕達はもう戻ります」
遠慮がちに立ち去ろうとする2人を私は引きとめる。
「あ、治療費のことですが……」
「いえ、大丈夫ですよ」
「そう言う訳には行きません。血の繋がりか無いとはいえ、あの子は私の身内なんです。ならば、その責任を取るのが筋というものです」
「でも……」
「ほら、どのくらいしたんですか?」
「……分かりました。じゃあ半分持ってもらうのはどうですか?」
それでも私は腑に落ちなかったが、それ以上は受け取れないと固く断られたので、最終的に私が折れる形で、話は終わった。
「さて……そういえば名前を聞いていませんでしたね」
2人が帰ったあと、ふと名前を知らないことに気がつき、ふいに彼に聞く。
「僕?」
「ほかに誰が?」
「え、知らなかったの?!というかなんで今更聞くの?」
「名前を聞く理由かなかったので」
すると彼はガックリと項垂れる。
「まぁそうだよね……」
「教えてくれないんですか?」
「小湊日向だよ。でもなんで今なの?」
「いつまでも名前を呼べないのが、もどかしかったので。それに、仮にもあなたは先生なんですから、名前くらいは知っておかなければ」
当然でしょうと私は言う。
「では、改めてよろしくお願いします。日向さん」
ちなみにその時、彼が顔を赤くした理由を、ちょうど一年後知ることになる。




