のゆりさん、登場
次の日。
今日は土曜日だ。うちの学校、宵山高校では土曜日も授業があった。俺は今朝から慌ただしく学校へと向かう。中学では土曜は休みだったのに。高校生ともなるとこんなにも忙しくなるものなんだな。
「高校、恐るべし。でも、完全週休二日制の高校も多いみたいなんだよなぁ」
どうやら高校というものには土曜日に授業があるところとないところの二つがあるらしいが、その辺の事情はまったく知らずに俺はこの宵山高校に入学したのだった。結果的にはハズレだったようだな。
「まあ、ほかの学校にはもとから行くつもりなんてなかったから、しかたないと言えばしかたないんだけど。それにしても、ついてないよなぁ」
授業中についそんな愚痴を思い浮かべる俺。俺は昨日の出来事もあって普段よりはるかに疲れた精神状態で勉強をしなければいけないのだった。ただし、土曜日の授業は午前中だけで終わり。
「あー、やっと学校が終わったぜ。昨日は大変だったから今日こそはのんびりと過ごしたいな」
部活には入っていない俺は昼食すら学校で取らずに一直線で家へと向かったのだった。いつもの田舎道を歩く俺。頭の中では当然あのゴーストドラゴンのことが気にかかっていた。
「あいつ、クファムにはどうしたものかな。昨晩みたいな調子でずっと俺の部屋に居つくつもりなんだろうか。だとしたら俺の生活は本当にめちゃくちゃになるな。本当にどうしたものか」
と、そんなことを考えていると。
「あれ?」
ふと、前の方に誰か人がいるのが眼に入った。道の端っこ、田んぼのあぜのところに誰かがしゃがんでいるのがわかった。俺はそのまま歩いて近づいていく。その人物は中学生ぐらいの女の子で白いワンピースを着て頭に変な帽子をかぶっていた。
「なんだ。あいつか」
クファムだった。俺は彼女に話しかける。
「おい、クファム。そんなところで何をしてるんだ?」
「あっ。彦馬さん!」
クファムは俺に気づいてそばに飛んでくる。
「おかえりなさい! わたし、彦馬さんが帰ってくるのをずっと待ってたんです!」
「俺を、待っていた?」
「はい、そうですよ」
あぜに咲いたタンポポの花のように明るい笑顔を見せる彼女。俺はなんとなく照れくさくて眼を逸らして聞く。
「ど、どうして俺を待っていたんだ?」
「だって、だって。わたし、一人だとさびしくて。一人はさびしいんです。わたし、少しでも早く彦馬さんに会いたくて。だから、わたし、ここで彦馬さんを待っていました」
「そ、そうだったのか」
そんなことを言われてますます照れくさく思う俺。少しでも早く俺に会いたいって? なかなか嬉しいことを言ってくれるじゃないか、こいつは。
「わたし、彦馬さんと一緒にいたいんです」
さらに俺の手を取るクファム。その手の感触は普通の幽霊などとは違い人間と変わらないものだった。ひんやりとしているが柔らかい。幽霊とは到底思えない人間の女の子とまったく変わらない柔らかさだった。
「ま、まあな。俺もおまえのことは嫌いではないかな」
俺は少しだけクファムについての考えをあらためた。
クファムはドラゴンだ。本当の正体は恐ろしいドラゴンだ。でも、こんなふうにかわいい女の子に出迎えてもらえるというのは悪くないものだな。
俺はついニヤニヤとして鼻の下を伸ばしてしまうのだった。
「さあ、彦馬さん……」
それから彼女は、
「わたしと一緒に行きましょう……」
こんなことを言ったのだった。
「レンタルDVD屋さんへ」
「レンタル……DVD屋?」
「はい。レンタルDVD屋さんです」
「…………」
黙って考えざるを得ない俺。さっきまでの幸福感も一瞬でどこかに吹き飛んでしまった。昨日からずっとそうだが、こいつは突然わけのわからないことを言い出すんだな。なんで俺がレンタルDVD屋に行かなけりゃならんのだ? 当たり前だが俺はうちに帰る途中だ。うちに帰るんだよ。
「俺はうちに帰るよ? レンタルDVD屋には行かないよ?」
俺の至極当然の返答にクファムは、
「じゃあ、うちに帰ったあとに行きましょう。それまでは待っていてあげます」
俺は答える。
「うちに帰ったあとも行かないよ?」
クファムは、
「じゃあ、明日ですか? そうですね、明日は休日ですもんね。休日割引とかあって明日の方がいいかもしれません。わたしも一日ぐらいなら我慢しましょう」
「明日も行かないよ?」
すうっ、と俺の手を放すクファム。急に目元をつりあげて言う。
「どういうことですか、彦馬さんっ! レンタルDVD屋に行かないって。正気ですか、あなたっ?」
「おまえこそ正気かっ!」
俺は叫ぶように、
「なんだって俺がレンタルDVD屋に行く必要があるんだっ? 俺には見たいDVDなんかないよっ!」
クファムも言い返す。
「あなたにはなくてもわたしにはあるんですよ! 昨日見た『千の豚』には続編があってわたしはどうしてもそれが見たいんです! てゆうか、昨日のを見てあなたはほかのスタジオジドリの作品とかも見たくならないんですか? 普通は「やべー、ほかのも超見てぇ。超早く見てぇ」ってなるでしょ?」
「ならねぇよ! いや、なる人がいることは否定しないが、俺にはまったく関係ないことだ!」
クファムは首を横に振りながら、
「信じられません。わたしにはあなたの感性が信じられません。わたし、あなたの感性にはカビが生えているとしか思えません!」
……ひ、ひどい言われようだな。普通、会って一日の人間にそこまで言うか? こいつ、かわいい顔してとんでもなく口は悪いんだな。俺は多少へこみながらも説得を続ける。
「だいたいDVDを借りるには金がかかるだろう。金を払うのは俺だぞ。なんで俺が見たくもないDVDに金を払わにゃならんのだ」
クファムは俺を憐れむような視線で、
「金、金、金……そんなにお金が大切ですか? 世の中にはお金より大切なものがもっとたくさんあると思いますよ?」
「そんな話じゃねぇだろ、今してるのは!」
もう駄目だ。こんなクソ面倒な会話これ以上続けてられるか。俺はきっぱりはっきり宣言する。
「とにかくだ! 俺はレンタルDVD屋には行かない!」
クファムはなおも、
「え~。行きましょうよ~」
「行かない!」
「行きましょうよ~」
「行かない!」
「行きましょうよ~」
俺たちがそんなやりとりを延々と続けていると、
「お、おい……ひ、彦馬……」
不意に後ろから俺の名を呼ぶ声が聞こえた。俺がはっとして振り返るとそこには、
「おまえ、いったい……」
俺を見てあ然と立ち尽くす藤々川と公理の姿があった。そして、この二人の友人はまるで見てはいけないものを見てしまったという表情で俺のことを見ているのだった。
しまった!
俺はすぐに今置かれている自分の状況に気づいた。
クファムの姿は誰の目にも映らないし声は誰の耳にも聞こえないのだった! つまり、はたから見れば俺は道の端で一人で騒いでいるおかしな学生、としか見えないのだった!
「彦馬、おまえ……ついに幽霊の見過ぎで頭がおかしくなってしまったのか……」
「しかたないよ、藤々川。彦馬のストレスはすでに限界を超えていたんだ……」
心配そうな眼で俺を見てくる藤々川と公理。
「い、いやっ。これはっ。違うんだっ、二人とも!」
慌てて弁明する俺。
「そ、そうだ! 俺は今幽霊と話してたんだよ! ちょうどやっかいな霊につかまっちゃってさぁ。困ってたところなんだよ。あははあはは」
しかし藤々川は、
「幽霊はこんな真っ昼間からは出てこないしまともな話なんかもしないはずだが? おまえ、どうやら幻覚や幻聴がかなりひどいみたいだな」
公理は俺の体をつかんで、
「もういいよ、彦馬。休め、ゆっくり休むんだ! 今の君には休息が必要だよ!」
うっ。この言い訳は失敗か。それどころか、いっそう二人は俺のことを気にした様子で、
「そう言えばこいつ、今朝は少し様子が変だったからな」
「ああ。そのときに気づいてあげるべきだったね」
う、う~ん。これは困った。どうやら俺は完全に勘違いをされてしまっているようだ。
「い、いや。だからね、これはね……」
いったいどう説明したものか。クファムのことなんて普通の人にどう説明すればいいんだ?
そもそも説明したところで信じてもらえるはずもなく俺はますます変人扱いをされるだけだろう。これは本当に困ったなぁ。
「さあ、彦馬。俺たちがおまえをうちまで送ってやる。なんにも怖いことなんてないからな」
「そうだよ。俺たちが付いている。安心するんだ、彦馬」
「え、えっと……」
やけに優しくしてくれる藤々川と公理。俺が応対に迷っていると、
「藤々川くん、公理くん!」
また別の人が藤々川と公理の後ろから現れた。宵山高校の制服を着た女子生徒だった。そして彼女は言った。
「彦馬くんの隣には確かに何かがいるわ! それもかなりの霊的存在よ!」
「のゆり、さん?」
俺は彼女の姿を見て言った。彼女も俺の知り合いで名前は屋科のゆり、という人だった。
「のゆりさん! 助かりましたよ。あなたには分かるんですね。俺の隣にいるやつのことが」
俺は藁にもすがる気持ちが彼女に尋ねる。
「ええ。あたしにもはっきりとしたことは分からないけど、何かがいることだけは分かるわ」
眼を細めてクファムのいる辺りを見るのゆりさん。そう、彼女はいわゆる霊能力者なのだった。
「え? どういうことなんです?」
藤々川と公理ものゆりさんに眼を向ける。
「彦馬の言ってたことは本当だったんですか?」
のゆりさんは答える。
「そうね。でもただの幽霊ではないようね」
すっとした切れ長の目元を光らせて言う。
「もし普通の幽霊がいたのならあたしにはもっとはっきりと感じられるもの」
耳に心地良い澄んだ落ち着きのある声。顔を見るときりっと意思の強そうな表情と少し大きめの口が印象的だ。ポニーテールに結いあげた長い艶やかな黒髪、モデル顔負けのすらりとした手足と制服の上からでもわかる凹凸の激しいスタイル。彼女は俺たちより一つ年上の高校二年生だが、まるで大人のような雰囲気をまとった女性だった。
「なるほど。のゆりさんが言うのなら間違いないのでしょう」
藤々川と公理もようやく納得する。それから、
「でも、幽霊でないとしたらいったいなんなんですか? 彦馬とは会話をしていたようですし」
のゆりさんは上品なしぐさで顎に手を当てて答える。
「あたしも家の仕事の手伝いでよくいろんな幽霊を相手にするけどこんな感覚は始めてだわ。どうやら彦馬くんの隣にいるのは幽霊とは言ってもかなり異質なもののようね。ただわたしたちの眼には見えないと言うだけで普通の幽霊とは根本的に違う何かのような気がするわね」
屋科のゆり、彼女の家は屋科神社というこの近くに昔からある神社で彼女はそこの一人娘だった。簡単に言えば巫女さんである。しかも、その言葉からもわかるように彼女の霊能力、知識や技術には並外れたものがあって、俺も幽霊のトラブルに際しては彼女によくお世話になっているのだった。
「さすがはのゆりさんですね。一目でそこまで分かるとは」
感心して言う俺にのゆりさんは、
「あのねぇ、彦馬くん。あなた、いったいどうなってるの? いつもいつも変なことになってるけど今回は特におかしいわよ。なんなのよ、この状況は?」
「す、すみません」
あやまるしかない俺。どうしてこうなったかは俺の方が聞きたいぐらいだ。
「とにかく詳しく話を聞かせてもらいましょうか。あたしも興味が湧いてきたわ」
彼女はパチリとウインクをして言う。
「オカルト研究部の部長としてね」
「げっ!」
俺は驚く。この人、オカ研に入ってたのかよ。しかも、部長だって? それでこの人は藤々川と公理と一緒にいたのか。
「まいったなぁ」
クファムのことがオカ研の連中に知られたら俺は彼らにさらに付きまとわれることになるだろう。そんなことは目に見えてわかっている。でも、ここまで来たらもうごまかすことはできないだろう。
「はい、わかりました。話しましょう。こいつのことを……」
俺は観念したのだった。