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日常の崩壊

「なあ、クファム……」

「はい」

「ここははっきりと答えてもらいたいんだが……」

「はあ、なんですか?」

「おまえは俺にこんな話をしてどうするつもりなんだ? おまえの目的はいったいなんなんだ?」

「えっ、目的?」

「そうだ。おまえの目的を教えてくれ。でないと俺にはこんな話を聞かされてもどうすることもできないよ」


 言われてもきょとんとしているクファム。俺はさらに続ける。


「俺はいくらおまえの姿が見えて声が聞こえるといってもただの高校生にすぎない。偉い学者さんでも高名な政治家でもないんだ。俺には今の話やおまえの存在をみんなに伝えることはまず不可能だよ。俺の言うことなんか絶対に誰も信じないはずだよ」


 俺がそこまで話すとクファムは少し困ったような顔で口を開いた。


「え、えっとですね。彦馬さん、あなたは何かちょっと勘違いをしてるみたいなんですけど」

「ん、勘違い?」

「はい。わたしには特に目的なんてないし彦馬さんに何かをさせたいなんてことはまったく考えてませんよ。別にわたしのことを人間のみなさんが知る必要なんて全然ないですし。わたしにとってはどうでもいいことです」

「そ、そうなのか?」

「はい、そうですよ」


 俺はもう一度聞く。


「じゃ、じゃあさ、おまえは俺の家に来てさっきみたいな話をすることにいったい何の意味があるんだ? 俺にはさっぱりわからないんだが」


 クファムはまた困ったように答える。


「意味っていうか。だから、その意味っていうのも全然ないっていうか。わたしはただ単に彦馬さんとお話がしたいだけなので」

「……話が、したい?」


 俺が聞き返すと彼女は笑顔にもどって、


「はい! わたしは彦馬さんとお話がしたいだけなんです。目的っていうなら本当にそれだけが目的ですよ?」


 俺と話をするのが目的だと? いまいちこいつの言うことはわからんな。俺はさらに聞く。


「話ならなんでもいいのか? 例えば世間話とか犬の十兵衞の話とか」

「はい、なんでもいいですよ。彦馬さんとお話ができるならなんだっていいです、わたし」

「別に俺と話なんかしても楽しくもなんともないだろ。俺はそんなにトークに自信があるほうじゃないし」

「そんなことないです。楽しいですよ。すごく楽しいです」


 満面の笑みでそう言うクファム。どうやら嘘ではなく俺と話をするのが楽しいらしい。俺としてはそう言われて悪い気はしない。


「ま、まあな、話ぐらいなら俺も別にかまわないがな。俺でよかったらいつでも話相手になってやるが」

「本当ですか! わたし、すごくうれしいです!」


 それからクファムは、


「あとですね……」


 本日、何度目かの耳を疑うような発言を口にした。


「わたし、しばらくはこの部屋に住もうかと思います」

「はっ?」


 俺の頭に殴られたかのような衝撃が走る。

 なんだって? こいつ今なんて言った? 俺の部屋に住む? そう言ったのか?

 俺が必死になって耳を疑っていると、こいつはもう一度言った。


「わたしゴーストドラゴンはしばらくの間、この部屋を住みかにしたいと思います」


 部屋の様子を眺めながら、


「なんかこの部屋ってすごく居心地がいいんですよねー。不思議と落ち着くっていうか、霊体を動かすのにあまり疲れないっていうか。こんなに居心地がいい場所は滅多にありませんよ。わたしの住みかにもってこいの場所です」

「…………」


 こいつは何で勝手にそんな話を進めているんだ? 俺の部屋を住みかにする? そんなアホな。そんなアホなことを俺が了承するわけがないだろう。


「あ、あのなぁ……」


 俺は声をしぼりだすように言った。


「ここは俺の部屋なんだが」

「知ってますよ?」

「知ってますよ、じゃねぇよ! ここは俺の部屋だから勝手に住むとか言うなと俺は言っているんだ!」

「住むのがいけないなら、活動の拠点にしたり寝起きに使ったりしようと思います」

「同じじゃねぇかよ! 俺は毎日忙しいんだ。いちいちおまえの相手なんかしてられるか!」

「あ、いえ。わたしのことはおかまいなく。なんでも一人でできますから」

「おかまいなく、じゃねぇよ! だからっ、ああもうっ!」


 こいつ、会話が成り立たない。


「とにかく!」


 俺は大声で言う。


「この部屋に俺以外の人間が住むことを俺は絶対に許さない!」

「わたし、人間じゃないですけど」

「人間じゃなくてもだ!」


 くそっ、なんていらいらさせるやつだ。俺はドアを指さして、


「おまえは気が済んだらこの部屋から出ていってくれ。そして、しばらくはここには来ないでくれ。いいな。わかったな!」

「うう~そんなぁ~」


 クファムは俺の方を恨めしそうに見ながら、


「横暴です! 彦馬さん、横暴です!」

「ああ?」

「わたしがせっかくお気に入りの住みかを見つけたのに。いきなりそこから閉め出そうとするなんて横暴です。ドラゴンにとって住みかはすっごく大切なものなんですよ!」

「知るか、そんなことっ。いいから出ていけ」

「もうっ。ひどい、ひどすぎます! 彦馬さんの鬼っ、悪魔っ!」

「身の丈が数メートルもあるドラゴンから鬼とか悪魔とか言われてもな」

「うう~。お願いですぅ~。彦馬さ~ん」

「駄目! 絶対!」


 やがて眼をうるませて懇願するような視線を俺に送るクファム。


「わたし、ここじゃないと……ここじゃないと……」


 尻すぼみに小さくなっていく彼女の声。


「やっと……見つかったのに……わたし……」


 両方の眼にはすでにこぼれそうなほど涙がたまっている。


「うう、うわ~ん!」


 そして、クファムはついに大きな声で泣き出してしまったのだった。


「お、おいおい」


 人間とまったく同じように眼から涙を流すクファム。俺はそんな彼女を見て戸惑いを隠せない。


「な、なんだよ。いきなり泣き出すなんて」


 この状況、はたから見れば俺が普通に女の子を泣かせてしまったのとまったく変わらないだろう。


「そんな、泣かれても困るよ。何も泣くことはないだろう?」


 これじゃあまるで俺が悪いみたいじゃないか。妙な罪悪感が俺の心に芽生える。クファムのやつ、そんなにこの部屋が気に入ったのか? うーん、それなら。いや、でもなぁ。いけないいけない。ここは安易な感情に流されてはいけない。この部屋は俺の大切な憩いの空間だ。俺が大切な日常を満喫するための空間だ。幽霊だのドラゴンだのといった非日常的なものがこの部屋に住みつくことはなんとしてでも避けなければいけないことだ。

 かわいそうだが俺はきっぱりと言う。


「とにかく駄目なものは駄目だ。おまえがこの部屋に住むのを俺は許可することはできない」

「そんなぁ~。うわ~ん」


 母親とはぐれた小さな子供のように泣きじゃくるクファム。


「うわ~ん、ひっくひっく、うわ~ん、ぐすっぐすっ、ひっく、げほげほっ!」


 涙を流し、鼻水を垂らし、咳きこむ。


「……大丈夫かよ、おまえ」


 何もそこまで泣くことはないだろう。俺が半ば心配して半ばあきれてクファムの様子を見ていると、


「ん? んん?」


 クファムの様子がどこかおかしくなった。人間の女の子だった彼女の体がだんだんと……。


「ええーっ!」


 なんと元のドラゴンの姿に戻りつつあった。

 小柄な女性の体はしだいにふくれあがり白くてごつごつとしたものに変わっていく。フランス人形のようだった顔は大きく口が裂けていき鋭い牙が生えてくる。ドラゴンの顔を形取ったという頭の帽子は本当のドラゴンの顔と一体化していき長くとがった角が天井を突き刺すように伸びていく。


「あわわ、あわわ……」


 俺は床にペタリと座り込んでしまう。


「うわ~んうわ~ん!」


 泣きながら俺の眼前でどんどんと大きくなっていくドラゴン。すぐにその大きさは俺の部屋を埋め尽くすほどになった。


「ひええ、ひえええええ!」


 叫び声をあげる俺。幸いゴーストドラゴンの体は自分で言っていたようにすべての物体を通り抜けるらしく、俺の部屋や家具自体は何の損傷も受けてはいないようだった。しかし、その代わりにとんでもない問題が発生していた。


「ちょっ、ちょっと待てよっ?」


 物は無事だが俺の体はそうもいかないようだった。俺の体は唯一ゴーストドラゴンの体から抵抗を受けてしまうからだった。


「うげえっ!」


 ふくらんでいくドラゴンの体と部屋の壁との間に挟まれる俺。


「ぐああっ、ぐあああああ!」


 鋼鉄のように硬いドラゴンのウロコが俺の体を押しつぶしていく。


「や、やめてくれっ、クファム! このままじゃ俺は死んでしまう!」


 俺は大声でそう呼びかけるも、


「うわーん。なんですかぁ~? うわーん!」


 激しく泣きじゃくっているクファムにはどうやら俺の状況がわからないようだった。つまり、こいつは天然で、無意識で俺を死なせようとしているわけだった。


「なんてこった。や、やばい。このままでは本当に死んでしまう……!」


 俺は死の予感を覚えてなんとか助かる道を模索する。


「ひっくひっく、ぐすっ……」


 今もなお泣きながら体が元のサイズに戻っていくクファム。俺は考える。おそらくこいつを泣き止ませることが俺の助かる唯一の道だろう。となると方法はもう一つしかない。


「こうなったら、しかたがない……」


 俺は叫んだ。


「わ、わかった! わかったよ、クファム!」


 観念してこう言う。


「おまえはこの部屋に住んでもいい!」


 その俺の言葉を聞いてクファムの様子が変わる。


「うわ~ん、ひっくひっ……え?」


 泣き止むクファム。それと同時に彼女の変化も止まる。間一髪のところで俺は体を潰されずにすんだみたいだった。俺はもう一度叫ぶ。


「おまえは俺の部屋に住んでもいい。俺が約束するよ!」


 凶悪な、しかし泣き止んだばかりのぐずぐずとしたドラゴンの顔がこちらに向けられる。


「ほ、本当ですか? わたしゴーストドラゴンはこの部屋を住みかとしてもいいんですか?」

「ああ、いいよ。住みかでもなんでもおまえの好きにすればいいさ」

「やったぁ!」


 パアァーと明るくなるクファムの顔。


「ありがとうございます、彦馬さん。わたし、うれしくてたまりません。彦馬さん、本当にありがとうございます!」


 よほど嬉しいのか手を上げたり長いしっぽを振ったりしてはしゃぐ巨大なドラゴン。俺はそのたびに体を壁に押しつけられるので言う。


「うぐっ。あの、クファム……喜んでいるところ悪いんだけど……うぐっ。早く人間の姿になって……もらえるかな? 俺、体が潰れそうで……」

「あっ。すみません、彦馬さん。気がつきませんでした」


 ようやく俺の状態を理解した様子のクファム。


「体、平気ですか? 人間の体ってもろいんですよね。内蔵とか出てませんか?」

「ま、まあ、なんとか」

「それはよかったです。わたし、どうやら感情が高ぶったせいで勝手に体がドラゴンに戻ってしまったみたいですね。すみませんでした」


 それから、またすぐに彼女は女の子の姿に変わっていった。


「ふう~。もう大丈夫です。わたし、落ち着きました」


「……それは、ありがたい」


 なんとか身を起こす俺。クファムは、


「えへへ、うれしいな~。わたし、しあわせです」


 さっきの涙はなんだったのか、壁際にいる俺に完璧な笑顔を向けてくる。


「彦馬さんのおかげで新しい住みかができちゃった~。しあわせ~」

「……あっそう。よかったね」


 俺は憮然として答える。無邪気なもんだな、クファムのやつ。俺の気分は最悪だっていうのに、もう。こっちは死にそうな目に遭ったうえ、なんだかんだでこいつが部屋に住むことを了承してしまった。これで俺の望む普通の生活はさらに制限されてしまうだろう。それどころではないかもしれない。こいつは藤々川たちのように面倒事を山ほど俺に持ってくるかもしれない。いや、そうに決まっている。


「つまり、俺の望む普通の生活は完全にジ・エンドってわけか。はあ……」


 泣きたいの俺の方だよ、まったく。


「ほら、彦馬さん」


 そんな俺の気持ちの落ちこみも知らずクファムは俺に明るい声で話しかけてくる。


「ちょっとわたしの眼を見てもらえませんか?」

「あ? なんだよ」


 今は到底こいつの相手をしてやる気分ではないが先ほどのこともある。また機嫌を損ねてドラゴンの姿になったら大変だな。

「なに? 眼?」


 俺はしかたなく近寄ってきたクファムの顔を見ると、こいつは言った。


「わたし、泣いちゃったから眼が赤くなってしまいましたぁ」


 なに言ってんだ、こいつ? 急になに言い出してんだ、こいつ? 眼が赤いって、こいつの眼はもともと……。


「おまえまさか!」

 俺は気付く。


「おまえまさか……『おまえの眼は元から赤いだろ!』とかツッコミを入れて欲しいのか?」


 手を叩くクファム。


「そうです! さすが彦馬さん、よくわかりましたねぇ。わたし、彦馬さんなら必ず気がついてくれると思ったんですよ!」


 俺があ然としているとこいつは勝手に進める。


「では、もう一度言いますのでツッコミをお願いします」


 クファムはコホンと小さく喉を整えてからを言った。


「わたし、泣いちゃったから眼が赤くなってしまいましたぁ」

「…………」


 こんなしょうもないコント、当然付き合っていられるか。ただでさえ俺の気分は沈んでるっていうのに。なんて面倒くさいやつだ。しかし、しかしだな。先ほどのこともある。またあんなことになる危険はできるかぎり避けなければいけない。俺は意地を捨てて言った。


「……おまえの眼は元から赤いだろ」

「てへっ。そうでしたぁ」


 ドヤ顔で舌を出すクファム。


「…………」


 信じられない。なんてウザさだ。信じられない。ウザすぎる。俺は甘く見ていた。俺はこいつのことを甘く見ていた。なんてこった。予想以上にこいつはひどい。俺の頭にはこいつに部屋を使う許しを出してしまったことへの後悔が急速に広がっていった。だが、もう遅い。


「では、改めて。これからは一緒に住むことになると思いますが、どうぞよろしくお願いしますね、彦馬さん」


 ペコリ。丁寧に頭を下げるクファム。こうしてこいつは俺の部屋に住みつくこととなり、俺はこの先のことを考えると目の前が真っ暗になったような錯覚に陥ったのだった。


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