死闘(3)
「う、うう……」
幸いまだ息はあるようだった。砂の上のクファムはどうにか痛んだ体を起こして立ち上がろうとする。
「ひ、彦馬さん……待っていて……彦馬さん……」
よろよろと立ち上がるクファム。彼女はそんな状態でも俺の名を口にしていた。
「ああっ、クファムっ、クファムっ……!」
俺はもう耐えきれなかった。自分のために死にそうになっているクファムを見ることにもう耐えきれなかった。今の俺に涙を流すことができるなら俺の顔はすでにクファムのための涙でぐしゃぐしゃになっていただろう。俺は心の内でクファムに語りかける。
「本当にもういいんだ、クファム。俺のことは本当にほうっておいてくれていいんだよ……」
俺は邪竜の中にいると今回起きた様々な出来事が不思議と理解できるようになっていた。今回のこと、邪竜が復活して俺を取り込んで暴れ回ること、それは大昔からあらかじめ決まっていたことなんだ。これは運命なんだ。誰にも変えられることじゃない。だからこそ島に伝承として残っていたんだ。これは伝承のとおりになっただけ。ただそれだけなんだ。
「さらに言えば、俺の体は邪竜に利用されるために生まれてきたのかもしれない。そう考えればすべての辻褄は合う。本当に妙な体質の俺の体はこんなふうに邪竜のエネルギーの変換に使われるためにあったんだ。それですべて納得できる。俺はきっと今日このために生まれてきたんだ」
俺は強く言う。
「だから、クファム。おまえはもう俺のことは気にしなくていい。俺が死ぬのはどうしようもなく仕方のないことなんだよ」
俺は必死になって叫ぶ。
「だから、クファム! おまえはもう逃げてくれ!」
そんなとき。
「いいえ、彦馬さん……」
決してクファムには届かないはずの俺の言葉にクファムがはっきりと答えた。
「わたしは逃げません。そして、あなたをきっと生きて助け出してみせます」
クファムは力のこもった声で続ける。
「一億年という長い長い間、わたしはずっとひとりぼっちでした。両親も仲間も死んでしまい、話す相手も遊んでくれる相手もいないさびしい、本当にさびしい時間。でも彦馬さん、あなたと出会ったこの数日間は本当に楽しかった。この一億年にまさる喜びを彦馬さんはわたしに与えてくれたんです!」
クファムの眼にはまだ強い気持ちが宿っている。
「だから、わたしは彦馬さんを絶対に助けます! 絶対にです!」
そう言ってクファムは唯一動く右腕を高く空に掲げた。その右手の中から夜空に向かって白い光の筋が伸びていった。
「クファム、な、何をするつもりなんだ?」
もう立っているだけで限界のはずのクファムはまだ邪竜と戦おうとしていた。クファムの右手から出る長く細い光が輝きを増していく。
「わたしはもう消えてなくなってもいい。すべての力を、わたしに持てるすべての力をここに!」
やがてクファムの右手から伸びる白光は具体的な姿を形成していく。手の中には握りしめるべき柄が生まれ、その上には壮麗な装飾で彩られた鍔が広がり、またその先には雲まで届こうかという長さで燃え上がる炎のような形のエネルギーの刃が燦々と輝いている。クファムの右手に生まれようとしているのは巨大な、本当に巨大な剣であった。
「グウゥゥゥ……」
当然のことながら空からクファムを見下ろしていた邪竜は再び攻撃の態勢に入る。口を大きく開き、その中に核爆発にも匹敵するエネルギーをためていく。
――パアアアァァァァァ
それは一度目よりも二度目よりもさらに増幅されたエネルギーのように思えた。今のクファムは地面にかろうじて立っているだけだ。今度の光線を避けるすべは完全にないと言える。これをくらってはクファムも確実にお終いだ。
――シュウウウゥゥゥゥゥ
しかし、邪竜の光線のエネルギーはすでにたまりつつある。
「はあああ……!」
対してクファムの方もあとわずかの時間で攻撃の準備が整いそうな状態であった。彼女の右手から天まで伸びる白い剣はほぼ形を完成させているようであった。そして。
「グガアアアアアアアアアア!」
ついに。邪竜の口から光線が放たれた。いや、これは光線なんてものじゃない。それはすべてを飲み込んではこの世から蒸発させてしまう狂気の力だ。今までの邪竜とクファムの戦いで発生した中でも最も大きい規模の光の爆発がクファムの体を消し去ってしまう。そんな瞬間。
「いけええええええええええ!」
クファムが手にした長大な剣を振り下ろした。ズシン、と左足を大きく前に踏み出して右腕に全身全霊の力を込める。
ズザザザザザザザザザザ!
邪竜のエネルギーとクファムのエネルギーが正面からぶつかる。邪竜が放ち続けるエネルギーの波をクファムの剣の白刃が鍔もとから切り裂いていく。
「彦馬さん!」
「クファム!」
俺は邪竜の中で叫ぶ。クファムの剣が邪竜の光線を斬り進んでいく。
「ええいいいいい!」
クファムの巨大な剣の切っ先が空に浮かぶ邪竜まで到達する。
「グギャアアアアアアアアアア!」
クファムの剣が邪竜を頭から縦に切り裂く。暗闇の空に邪竜の断末魔の叫びが響き渡る。それから光とともに爆発する邪竜の体。
ズドォォォォォォォォォォン!
光とともにちりぢりになる邪竜のエネルギー。これが邪竜の最期であった。クファムはとうとう邪竜を倒すことに成功したのだった。
「やった!」
会心の声を漏らすクファム、それから、
「……ひ、彦馬さんはっ? どこですかっ?」
邪竜のいた空間では水泡がはじけるような音がして、そこに俺の体はどこからともなく姿を現したのだった。空中に放り出されて真っ逆さまに落ちていく俺。
「あっ!」
だが、地面に落ちる前に柔らかい何かの力が俺の体を包み込んでいく。ふわふわと空中を漂うように落ちていく俺。これはどうやらクファムのおかげであるようだった。
「よ、よかった……無事だったみたい……ですね……」
ゆっくりとクファムの前に落ちた俺。砂の感触を背中に感じる。
「うう……うう……」
俺はなんとか体を動かすことができるようだった。生きている。俺は本当に生きているようだった。本当に信じられない気持ちだった。邪竜の中にいたときは絶望しか感じなかったのに。俺は今こうして生きている。
「ク、クファム!」
俺は上半身だけ起こすことができた。目の前のクファムを見上げる。すべてはクファムのおかげだ。俺が生きている理由はクファムが自分の命をはって俺を助けてくれたからにほかならない。命の恩人にほかならない。しかし。
「……彦馬さん。本当によかった」
弱々しい声。ぼろぼろの体。クファムは体はすでに限界だ。そのことは誰の眼にもあきらかなようだった。
「ああ、クファム、クファム……」
そんなクファムの姿に俺の眼からは涙があふれ出す。
「大丈夫なのかっ。大丈夫だよな、クファムっ?」
必死の思いで尋ねる。
「消えないよな? なあ、クファムっ?」
クファムの体が淡い光に覆われる。そして、クファムは再び人間の姿に戻ったのだった。
「彦馬さん……」
淡い光に包まれたまま少女は小さく言った。
「残念ながら、わたし、もう限界みたいですね……」
「えっ?」
受け入れられない言葉をクファムは言った。
「わたし、持てるエネルギーをすべて使い切ったみたいです。魂の維持ももう難しいみたいです」
「…………」
「残念ながら、彦馬さんとはお別れのようですね」
「……そんな」
俺にはまだ受け入れられない。命の恩人が消えてしまう。本当は死ぬのは俺だったはずなのに代わりにクファムの魂が消え去ってしまう。なんなんだ、これは? なぜ、こんなおかしなことになったんだ? 俺には理解できない。俺には受け入れられない!
「……いいんですよ、彦馬さん」
クファムの体はしだいに薄くなっていっているみたいだった。
「ただただ虚ろでさびしい年月を送らなければいけなかったわたし。そんなわたしにあなたは楽しくて明るいひとときを与えてくれました。本当にわたしはあなたに感謝しているのですよ」
さらに薄くなるクファムの姿。
「わたしの大好きな彦馬さん。助かって本当によかった……」
クファムの体はいつ消えてもおかしくはないような状態に見えた。
「クファム!」
まだだ。俺はまだあきらめないぞ。俺は考える。必死に考える。駄目だ、駄目だ、駄目だ! このままクファムを消滅させては駄目だ! あきらめるな。何か考えるんだ。考えればきっとクファムを救う方法があるはずだ。考えるんだ、彦馬!
「クファム、あきらめるな! まだだ。きっとおまえが消えなくてすむ方法があるはずだ。すぐに俺が見つけてやる!」
俺は立ち上がってクファムの肩をつかむ。
「だから、おまえもあきらめるな!」
「…………」
無言で俺を見つめるクファム。そのとき、俺の脳裏にあることが閃いた。
「そうだ。もしかして!」
俺はすぐに考えをまとめる。そして、クファムに言う。
「いいか、クファム。よく聞いてくれ。おまえは自分のエネルギーがもうないと言ったが、おまに使えるエネルギーならまだあるぞ!」
「え?」
俺の言葉に反応を示すクファム。だが、クファムの体は今にも消えてなくなりそうだ。俺は急いで続ける。
「おまえの使えるエネルギー、それは俺の体の中にある。俺の体の中にはまだいくらか邪竜の使っていたエネルギーが残っているんだ。自分の体のことだ、俺にはそれが感覚的にわかる。邪竜のエネルギーとおまえのエネルギー、元はまったく同じ力のはずだ。きっと、おまえでも使うことができるはずだ」
俺の言葉をまだ聞くことができている様子のクファム。俺は言った。
「だから、おまえは今すぐに俺の体からそのエネルギーを取り出して魂の維持に使うんだ。そうすればまだおまえの魂は消滅せずにすむかもしれない!」
「…………」
少ししてクファムは弱々しくだがうなずいた。
「……はい。わかりました、彦馬さん。わたし、やってみます。もしかすると、本当にもしかするとわたしは消えずにすむかもしれません。魂を保つだけのエネルギーを回復させることができるかもしれません」
クファムの体はもう夜の空気に消え入りそうだったが、眼だけにはまだ光が残っている。
「わたし、やってみます!」
「よし。そうだ、クファム。がんばれ!」
俺の顔をじっと見つめるクファム。
「……彦馬さん、また会えるかもしれませんね」
「ああ、もちろんだ」
「それまでさよならです。わたしの彦馬さん……」
クファムは俺に抱きついてくる。俺もクファムの体を強く抱き返す。光とともに散っていくクファムの体。その光は俺の体の中にクファムの魂とともに吸い込まれていくのを俺は感じたのだった。
「クファム……」
俺の意識も薄れていく。立っていられずに膝を地面につく俺。そのまま俺は砂の上に身を倒して眠りについたのだった。




