第84話 歓喜の誘い
目に入るものといえば、剥き出しの岩肌が続く通路と、ところどころに灯された松明の明かりのみ。
行けども行けども同じような景色ばかり。どうにも地下遺跡というのは面白みに欠ける。
そして当然のことながら、方向感覚も掴めないのだが――レヒトがそれに気付いたときには、すでに手遅れの状態だったのである。
要するに。
「……言えない」
はぁ、と小さく息を吐き、レヒトはがくりと肩を落とす。
「また迷子になったなんて、絶対に言えない……」
そう。レヒトはまた道に迷い、妙な場所に入り込んでしまったというわけなのだ。
幸いにも、レヒトの目の前には扉がある。この扉の向こうに人がいれば、少し恥ずかしい思いをするだけで済むのだが。しかし、目の前の扉には、赤字で大きく『関係者以外立ち入り禁止、入ったら殺す!』と書かれた紙が張り付けられていた。
「……入ったら殺すって物騒な。これ、まさか血文字じゃないだろうな……」
本日二度目のため息を吐き、扉に体重を預けて頭を掻く。勝手に開けるわけにはいかないだろうし、なによりまだ死にたくはない。
開けるべきか、開けざるべきか。扉を背にしてレヒトがぶつぶつ呟いていると。
突然、扉が開いた。
「うわっ!?」
どうやらこの扉、部屋の内側に引くタイプのものだったらしい。ということは、扉に寄りかかっていたレヒトは当然のごとく、仰向けのまま、床の熱烈な抱擁を受けることになる。
かなり痛そうな音が響いた。
「だ、大丈夫ですか?」
部屋の主の驚いたような声が降ってくる。想像していたより穏やかな声だ。
しかし、どこかで聞いたような気がする。
「ええ……大丈夫です。頭、固いんで……」
倒れたまま、思いきり打ち付けた頭を擦る。すると、部屋の主だろう男性が、レヒトの顔を覗き込み――。
「ガルヴァさん!」
「ええと、レヒトさん?」
二人は同時に声をあげていた。
「あはは。そうでしたか。確かにこの遺跡、かなり入り組んでますからね」
「いや、もう……この年で迷子だなんて……」
恥ずかしい、と顔を赤くするレヒトを見て、ガルヴァはおっとりと笑う。扉に張られていた例の張り紙については、なにも聞かないことにした。
「ここって、救護室だったんですね」
招き入れられた部屋はかなり広く、簡素な造りの寝台が、ところ狭しと並べられていた。
「ええ、そうですよ。天魔大戦時代のものを再利用しまして。といっても、まだここに運び込まれた人はいませんから、私は暇なんですけどね」
「ガルヴァさん……お医者様だったんですか?」
レヒトが問うと、ガルヴァはいいえ、と首を振った。
「私は学者です。生体魔法学が専門ですので、こうして医師の代役も務めているというわけです」
「あ、そうですよね。レイヴンと一緒に、魔法研究所に……」
そこで、レヒトは口を噤んだ。
「……すみません」
「謝る必要はありませんよ。レイヴンのことについてはすでに聞いていますし……あの場にいながら、なにもできなかったのは、私も同じですから」
言葉に滲む無力感。目を閉じて、ガルヴァはしばし沈黙し、やがてゆっくりと口を開く。
「……レヒトさん。あの男は、『CHILD』を滅ぼすために、宿主であるレイヴンを手にかけたのでしょう?」
レヒトが頷くと、ガルヴァは、やはりそうですか、と小さく呟いた。
「……だとすれば、貴方が気に病むことはありません。レイヴンに罪を負わせたのは、この私なのです。いいえ、レイヴンだけではありません。すべての罪は、一人の愚かな男が引き起こした天魔大戦――あの戦いの大罪を背負わされ、今もなお、多くの人々が苦しんでいる」
その悲しげな微笑みに、隠されたものがなんであるか――レヒトにはわからない。
「……レイ、ラグネス、そしてレイヴン……私が大切に想ってきた家族は、償うことなどできないほどの大罪を背負わされた。それだけではありません。翼を与えられた者、奪われた者、死んでいった人々――その苦しみのすべて、その咎のすべてを負うべきは、この私一人だというのに……」
「……ガルヴァさん。貴方は――」
その言葉が、ガルヴァに届くことはなかった。なにかが爆発するような音が、レヒトの言葉を掻き消したからである。
「!?」
レヒトが立ち上がると同時に、再び先程の音が響いた。地上ではない。間違いなく、この遺跡のどこかで。
「どうやら……招かれざる客人がいらしているようです。まったく、こんな時間に不躾な方ですね」
ガルヴァは金色の瞳をすぅと細める。レヒトも襲撃者の気配を掴み、やはり同様に瞳を細めた。
襲撃者の正体は、魔物ではなかった。気配が、まったく異なっているのだ。
魔物が発するそれは、極めて純粋でわかりやすい。敵意や悪意など――生きとし生けるものたちの生む暗い感情、そのすべてを混ぜ合わせたかのような、冷たい殺気とでも表現すべきもの。
だが、この招かれざる客人のものであろう気配には、ひとつだけ、はっきりと異質なものが混ざっていた。魔物には決して持ちえない感情。
――歓喜。
「急ぎましょう。あまり穏やかな人ではなさそうだ」
レヒトは頷き、部屋の扉に手をかけ、開く。開け放った扉の向こう、微かに漂う火薬の香り。
「……この匂い……」
「ええ、火薬です。あの爆音、魔法ではなく爆弾だったようですね。……それほど遠くはないでしょう」
そう断言して走り出すガルヴァの後を追い、レヒトも部屋を飛び出した。
この入り組んだ地下遺跡の構造を、ほとんど知らないレヒトをガルヴァが先導する形だが、彼もまた襲撃者の居場所を正確に掴むことができないのだろう。分かれ道に差しかかる度に立ち止まった。
ここが地上であれば、爆発音を頼りに進むという手段もとれるが、この遺跡はやたらと入り組んでいる上に、音が反響して正確な場所を特定することができない。
二人が音のするほうへと急ぐその間にも、数発の爆音が響き、遠い足音が行き交う。
「また爆音……。なにを考えているんだ。こんな場所で爆弾なんか……下手をすれば、遺跡が崩れて全員が下敷きだぞ。……まさか、それを狙って……?」
「それはないでしょう」
呻くようなレヒトの言葉を、ガルヴァはやんわりと否定した。
「ここは仮にも軍事拠点ですから、それなりの強度はあるでしょうし。爆弾程度で崩壊するような構造ではないと思いますよ」
天魔大戦は爆弾などという可愛らしいものではありませんでしたし、とガルヴァは笑う。
それを聞くと妙に納得してしまうのだが――この際、爆弾での奇襲が可愛らしい部類に入るかどうかは、置いておくことにしよう。
「私たちを全滅させることが目的であるなら、もっと簡単で楽な方法が幾らでもあったはずです。飲み水に毒を混ぜたってよかった」
「確かに……」
「天界が崩落しても崩れなかった遺跡を、爆弾程度で崩せるとは、この爆発を起こした張本人も思っていないでしょう。それなのに、わざわざ爆弾という方法を選んだ」
見た目は派手だが効果は薄い。それも、襲撃者は移動することなく、最初に現れた場所に留まったままである。
となれば、考えられることはただひとつ。
「なるほど……誘っている、ということですか」
「ええ、おそらくね。その理由についてはわかりませんが……そうですね、本人に直接話して頂きましょうか」
そう言って、ガルヴァはひとつの扉の前で足をとめた。そこが、例の会議室であることにレヒトが気付くのと、ガルヴァがその扉を蹴り開けるのとは、ほとんど同時だった。