第83話 堕ちた太陽-3-
太陽の光も届かない地下にいても、時間の経過というのはなんとなくわかるものらしい。地平線の彼方に太陽は沈み、気の早い一番星が瞬いている――地上ではそんな光景が広がっているはずだ。魔物の動きが最も活発になり、また凶暴になる時間帯でもある。
レイに会った後、レヒトとミオはラグネスとともに、二人が最初に案内された部屋へと戻ってきた。
円形の大きな机とたくさんの椅子が置かれたこの部屋は、天魔大戦時代、主だったメンバーが集まる会議室代わりに使われていたらしい。
二人をこの部屋に残し、ラグネスは快、シャウトと兵士たち数人を連れ、街の見回りに出て行った。
同行を申し出たのだが、今日一日くらいはゆっくりしなさいと諭され、二人はここに残っているのだが。
どうにも落ち着かなかった。余計な考えばかりが頭を巡り、暗い感情に胸が押し潰されそうになる。
「レヒトさん」
机の上で組んだ両手に顎を載せ、ぼんやりとしていたレヒトに、向かいの席に座るミオが声をかけてくる。
「うん?」
「大丈夫ですか?」
はは、とレヒトは誤魔化すように笑って見せた。
「そんなに酷い顔、してるかい?」
「さっきから、ずっと眉間に皺が寄っています」
ミオは自身の眉間に人指し指を当てる。思わず苦笑したレヒトに、深刻な顔で問いかけた。
「……死にたい、と?」
「いや。ラグネス様の言葉が応えたからね。もう、安易に死を選ぼうとは思わないよ。ただ……」
ふっと、レヒトの顔に影が差す。
「……『大いなる意思』が言ったことを、ね……」
『大いなる意思』――その名を口にするだけで、レヒトは言いようのない感情に支配される。
「あいつの手で、俺の仲間の一人が傷付けられたとき……あいつは俺に言ったんだ。半身である俺も、同罪なのだと。仲間を傷付けたのは、俺でもあるのだと……」
天界城の謁見の間で、対峙したレヒト一行を圧倒的な力で捻伏せ、レイヴンをその手にかけた『大いなる意思』が、絶望に打ちひしがれるレヒトに向かって発した言葉。
――忘れた日などなかった。
「だから、レイ様をあんな目に合わせたのは……俺でもあるんだ」
「……大丈夫ですよ、レヒトさん。きっとレイ様は良くなります。だから、元気出してください」
明るい口調でそう言って、ミオはふわりと微笑んだ。自分を元気付けようとする彼女の優しさに、レヒトも少々ぎこちないながら笑顔を作った。
「私、レイ様にお会いするのを楽しみにしていたんですよ。ずっとお会いしてみたいと思っていたんです」
「レイ様に?」
意外な言葉だった。驚いたレヒトが聞き返すと、ミオは小さく頷く。
「はい。不思議ですか?」
「あ、いや……片翼を追放したのは、レイ様だという話だったから。君はレイ様を恨んでいるのかと、勝手に思っていた」
「そうですね……」
穏やかな微笑みを湛えたまま、ミオは薄紫色の瞳を細めた。彼女は時折、酷く大人びた表情をすることがある。
「けれど、もし、レイ様が片翼を追放せず、あの場で処刑していたら……私は産まれませんでした。苦しいことも、辛いこともたくさんあったけれど……産まれていなければ、それに倍する幸福を感じることもなかった。大切な人に、出会うこともなかった」
レヒトに瞳を向けて、ミオは柔らかく笑った。
「それに、レイ様は私の父――償いきれないほどの罪を犯したリーシェンを……救ってくださったんです」
「……そうだったな」
「はい。感謝しこそすれ、恨むことなどできません」
レヒトは目を閉じた。彼女と話していると、自分がとても小さな人間に思えてくる。『大いなる意思』を恨み、憎しみに囚われている自分が。
「……少し、歩いてくるよ。外には行かないからさ」
「はい」
ミオの声を背中で聞き、レヒトは部屋を後にした。
なんとなく部屋を出たレヒトだが、彼はこの地下遺跡の構造に詳しいわけではない。それでもぼんやりと歩くうち、辿り着いたのはレイの部屋だった。先程と同じ兵が、見張りに立っている。
「貴方はラグネス様の……」
「ええ。その……いいですか?」
特に用はないんですが、と控え目に言えば、兵士は微かに笑みを見せ、どうぞ、とレヒトを通した。
レヒトが部屋の扉を潜ると、そこにはすでに先客がいた。
「トゥールさん……?」
人影が、ゆっくりと振り返る。黒髪に真紅の瞳。鉄面皮と称されるほどに感情を見せない彼の冷たい瞳は、彼が忠誠を誓う者の前でのみ、優しい光を宿す。
「お見舞いですか?」
レヒトが問うと、トゥールはそっと首を振った。
「レイ様に食事を。召し上がって頂けないのはわかっているのだが……」
机の上には、彼が持ってきたと思われる新しいランプと、まだ湯気の立つ食事が載せられたトレイとが置かれている。
「トゥールさん。レイ様、早く目を覚ましてくださるといいですね……」
レヒトがそう言葉をかけると、彼は小さく頷いた。
「……そうだな。私個人としては……早く、目覚めて欲しい。しかし……ふと、思う。このまま、眼が覚めないほうが……レイ様にとっては、幸せなのではないか、と……」
「え……」
トゥールは切れ長の目をレヒトに向けた。冷たい瞳の奥に、深い悲しみを潜ませて。
「レイ様は、今までずっと苦しまれてきた。民のため、世界のためと……ろくに食事も睡眠もとらず、激務に追われて……私は、あの方が幼い頃よりずっとお仕えし、レイ様の苦しみも、哀しみも、常に傍で見てきたのだ」
ふぅ、と彼は深いため息を吐いた。
「……もう、楽にして差し上げたい」
視線をレイへと移して、呟く。その声に、その瞳に。敵意も、悪意も、ましてや殺気も感じなかったが。
反射的に、レヒトは彼の腕を掴んでいた。
「だめだ……」
「……レヒト殿?」
「だめですよ、そんなの。死ぬなんて、だめです。レイ様は、生きていなければだめなんです」
レヒトからは視線を外したままのトゥールの表情に、はっきりと嫌悪の色が滲むのが見てとれた。
「……それは、レイ様が世界の象徴だからか。レイ様に、まだ犠牲になれということか」
「違いますよ。その逆です」
掴んでいたトゥールの腕を離し、レヒトはレイの前に膝を付く。焦点のあわない瞳の奥、微かに見える意思の光。
「俺は、レイ様に幸せになって欲しい。レイ様がどれだけ苦しんで、辛い人生を歩まれたのかはわかりません。死を選べば、確かに楽にはなれるかもしれませんが……」
トゥールの言うとおり、死なせることが優しさなのだとすれば、これは単なるエゴでしかない。
「けれど……だったらなおさら、生きていくべきだと思うんです。生きて、幸せになって欲しい。辛いことも、苦しいこともたくさんあるけれど……それ以上の幸せが、あるはずだから……」
俺も、仲間にそう諭されたんです――レヒトが苦笑混じりにそう言うと、トゥールの唇が笑みの形を作る。
「……私も、幼き日のレイ様に……同じことを言われたな……」
どこか遠くへと向けられた彼の眼差し。過去を懐かしむように、トゥールはそっと微笑んで。
「ありがとう、レヒト殿。少し、弱気になっていたようだ」
「いえ、俺はなにも。……ミロスラーフ様から、俺はこう聞きました。ここは、想いが力になる世界だと。だから、レイ様に、生きていて欲しいと願う人々の想いがあれば……きっと」
「そうだな。それに、誰よりも生きたいと願っているのはレイ様ご自身だろう。私は自分の考えばかりに囚われて、レイ様のお気持ちを察することができなかった。従者失格だ」
それは、先程よりも、ずっと明るい口調だった。
「貴殿のおかげだ、レヒト殿。それと……今、私が言ったこと。レイ様には、くれぐれも内密に願いたい。怒らせるとしばらく口を利いて頂けなくなる」
「わかりました。けど……もう、バレてしまったと思いますよ?」
そう悪戯っぽく囁けば、生ける人形と化したレイが、微かに笑ったようにも見えた。




