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第102話 過去との決別-1-

 向かいあって対峙する二人の間を、一陣の風が吹き抜ける。

「……そうか」

 琥珀色の瞳を伏せ、疾風はため息とともに、小さくそう呟いた。

「それがお前の答えか」

 その言葉が、終わると同時に。

 快は掴んでいた疾風の腕を放し、大きく真横に飛んでいた。わずか数瞬の後、先程まで快が立っていた空間を、銀色の残光が過ぎゆく。

「今のは……」

 疾風の右手に光る数本の投げナイフを視界に収め、快は小さく苦笑した。

「……本気で殺す気だったね」

「言ったはずだ、俺はお前を迎えに来たのだと。……俺にはもう、時間がない」

 そう言って、疾風は胸の前で両手を交差させた。彼が本気になった時にだけ見せる、独特の構え方。

 覚悟はしていたはずなのに。最初に銃口を向けたのは、間違いなく快のほうであったはずなのに。

 こうして彼に刃を向けられると、胸が押し潰されるように痛んだ。

(……弱いな、本当に……。けど、僕は……!)

 心を、押し殺して。

 快は瞬時に頭の中を切り替える。

 状況は、圧倒的に不利だった。

 疾風は強い。その名に恥じぬ俊敏さを活かした体術、そしてなにより、魔法に関する並外れた知識と、その応用力。どれをとっても、快では到底かなわない。

 純粋に魔力だけを見るならば、快のそれは疾風を凌駕しているだろう。高度な魔法を扱うために必要となる魔力は、ある程度は修練を積むことでも向上させることが可能だが、やはり生まれ持った才が大きい。実際、快は治癒魔法をはじめとし、疾風が扱えぬ魔法を幾つか扱うことができる。

 しかし、快に魔法を教えたのは、他ならぬ疾風なのである。となれば、快が使うような魔法の特性やそれに対する対応策など、知り尽くしていると言ってもいい。

 下手な小細工など、通用しないだろう。なんとか隙を見付けて、一撃必殺になるような魔法を叩き込むか。あるいは避け難い広範囲型の魔法で手堅く攻めるか。

 持久戦となれば、体力で劣る快には勝ち目がない。短期決戦を狙うしかないだろう。

 長いようで短いような睨みあいの中、快が攻撃方針を決めた途端。

 それを待っていたかのように、疾風が口を開いた。

「もう少し穏便にいく予定だったが、仕方あるまい。……無理矢理にでも連れて行くぞ!」

 言葉と同時に疾風が走る。

 胸を抉る形で振られた右手のナイフを飛んでかわし、それを見越して投げられた左手のナイフを銃身で弾く。

 接近戦ではどう足掻こうとも勝ち目などない。快は迷わず身を退いた。疾風が口の中で言葉を紡ぐ。

「大地よ、飲み込め!」

 言葉に弾かれ、うねり、たゆたう大地が波のように快を襲った。快も周囲の精霊を操りながら言葉を紡ぎ、震える大地を蹴って飛ぶ。

「風よ、羽ばたけ!」

 風の翼を纏い、快は空中へと舞いあがった。波のように流動する大地は風に阻まれ、快を傷付けることなく崩れ去る。

 虚空を舞う快の姿を見上げ、疾風は琥珀の瞳を細める。

「……飛翔魔法……」

 その名の通り、使用者を空中へ飛ばす魔法である。発動中は風の結界に包まれるので、直接的な攻撃はもちろん、飛び道具や弱い魔法に関しても障壁となる、かなり高度な魔法だ。

 しかし、発動中はずっと魔力を消耗し続けるため、よほど魔力の高い者でもなければ、あっという間に力尽きてしまう。

 そして、これは他の魔法にも言えることだが、同時に複数の魔法を発動させることはできない。つまり、こうして虚空を舞っている間、快は魔法による攻撃を封じられているということになる。

 虚空を飛翔したまま、快は手にした二挺銃を、連射の利く形態へと変化させる。快の使う銃――セイブ・ザ・クイーンは、快の父親である紅蓮が三闘神より賜りし伝説の武器だ。いかに世界の理から外れようとも、これを人の身で受け、無傷で済むはずはない。

(……そうだよ。彼はもう……)

 動きのとまった疾風に狙いを定め、快は躊躇うことなく、引き金にかけた指を引く。

 光の欠片がその身を射抜く瞬間、疾風の姿が掻き消え――身を低くして疾走する疾風の唇が、小さく動いたのを快は捉えた。

(……あの魔法詠唱は……それなら……!)

 飛翔魔法を解除した快は、空中へと投げ出される。疾風はそれを捉えるも、落下する快に向かって右手を掲げた。

「炎よ、誘え!」

 螺旋を描き、踊る炎が快へと迫る。

 いかに飛翔魔法が障壁を生むとはいえ、疾風ほどの使い手が発動させる魔法を、防ぎきることなどできはしない。機動性の低い飛翔魔法では、追尾性の高い魔法を振り切って逃げることも難しい。それを狙っての魔法なのだろうが、快も詠唱を終えている。快は迫り来る炎に向かい、唱えた魔法を発動させた。

「風よ、舞え!」

 炎は快の身を焦がす寸前、風に弾かれ軌道を変える。魔法を放った、疾風自身へと。

 しかし、その場に佇む疾風は避けようともせず――弾かれた炎は疾風を飲み込み、大地を叩いたその影響か、周囲に白い煙を巻きあげた。

 快はもう一度風を行使し、濛々《もうもう》と土煙が立ち込める地上へと、音もなく静かに降り立った。

 炎が直撃したからだろうか。大地は煮沸し、周囲には凄まじい熱気が漂っている。

「……どうして」

 あの時、疾風は避けようともせずに、ただじっと快のほうを見つめていた。

 あれで確実に快を仕留められたと、思ったわけではないだろう。飛翔魔法を解いた瞬間に、快が反撃に転じるだろうことなど、簡単に予測できたはずだ。

 それに、疾風が炎に飲まれるその瞬間、微かに笑みを浮かべていたように見えたのは――。

「……そんなはず、ないか」

 小さく呟き、快が自身を覆う風を解き放った、その瞬間。

「氷よ、煌めけ!」

 言葉に弾かれ、周囲を漂っていた白い煙――霧が、無数の細かい氷の欠片と化し、解き放たれたばかりの風に乗って快を襲った。

 魔法など使っている暇はない。快は両手で顔を覆った。

 氷の欠片は肌を裂き、快の白い肌を紅く彩る。快は身を折り、激しく咳き込むと少量の血を吐いた。わずかに吸い込んでしまった氷の欠片が、咽喉の奥を裂いたのだろうか。

 風に煽られた氷の欠片は大地に突き刺さり、煮沸していた大地を冷え固まらせる。

 ――晴れた霧の向こうにその姿を見つけて、二挺銃形態に戻した快は銃口を向けた。

「これでわかっただろう。お前では俺に勝てない」

「……悔しい、けど……そう、みたいだね……」

 掠れる声でそう答え、快は慎重に間合いを開ける。

 疾風が使ったあの魔法、殺傷能力は微々たるものだったようだ。身体も動くし、出血も大したことはない。

 しかし、問題なのは、思考を邪魔するこの痛み。

 これは事実上、快の魔法が封じられたことを意味していた。

(……僕じゃ、勝てないの……?)

 快は唇を噛み締め、少し離れて立つ男を静かに見据える。

 炎に直撃される瞬間――疾風は水を行使して、炎を打ち消すとともに周囲に霧を発生させたのだろう。ぎりぎりまで避けなかったのは、炎が大地を叩いた際の土煙と判別できないようにするためだったのだろう。

 風を行使している快は、自身も纏わり付く風によって視界を遮られ、霧は風に阻まれてしまうため、快のもとへは届かない。実際に風を解き放つまでは、それが土煙なのか霧なのか、判別するのは難しい状態だ。冷静でなければ、なおのこと。

 疾風は快が風を解き放つと同時に、霧を氷へと変化させた。解き放ったばかりで彼女の周囲を漂っていた風が、結果的に氷を集め、彼女を傷付けることになった――。

「そろそろ終わりにしようか」

 疾風が快に向け、右の掌を翳した。

「風よ、弾け!」

 殺傷力など皆無の、強風を生み出すだけの魔法である。本来は術者を中心に発生させ、飛び道具などを迎撃する目的で使われるのだが。疾風はこれを、快に向け一直線に放ったのだ。

 横に飛んでかわそうとした快の身体を痛みが駆け抜け、その動きが一瞬、とまる。風の唸りが耳元で聞こえ、視界が反転した。

 感じた衝撃と、激痛。それでも意識を手放すまいと、快は傷を負った肌に爪を立てる。なんとか身を起こすものの、ふらつく身体は言うことを聞かない。

 朦朧とした意識の中、歪む視界に映るのは――快が手放した二挺銃の片割れを構え、引き金に指をかける疾風の姿。

 刹那の時間が無限のごとく――。

(……僕、死ぬんだ……)

 動くこともできずに、ただ茫然と、自身に死を与えるであろう男に向けていた快の瞳に、深いワインレッドの残光が過ぎった。

(……レヒト)

 過去に縋り、現実から目を背け続けてきた快を、彼は叱ってくれた。彼のおかげで、気付くことができたのに。

 酷い言葉を、たくさん投げ付けた。きっと嫌われただろうな、と快は寂しげに苦笑する。

(……嫌われたって構わない。許して欲しいなんて言わないから……)

 もう一度、会いたい。会って、直接、伝えたかった。

(……ありがとう……ごめんなさい……)

 目を閉じた快に届いたのは、身を貫く熱さでも、死に落ちゆく冷たさでもなく。そっと、抱き締められるような温かさ。

 その感覚に、おそるおそる目を開いた快に。

 ――ワインレッドの瞳が、微笑んだ。

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