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第92話 花の少女-1-

 茜の色に染まった空を裂き、黄金色の竜が駆け抜ける。

 ロイゼンハウエルを出発した一行は、竜へと姿を変えたシャウトに乗って精霊界へと向かっていた。

 黒い光を受けて魔界の地形は様変わりし、馬車も通れぬ悪路となってしまっていたが、空を行くシャウトには関係のないこと。幾つもの街を越え、ぐんぐんと精霊界に近付いてゆく。

「……そろそろ今夜の寝床を探したほうがいいかもしれねぇぞ」

 夕闇が迫る空の彼方を眺めてシャウトが言った。

 ここまでの道中、幾度か飛行性の魔物に襲われたが、快の魔法とシャウトの竜の吐息(ドラゴンブレス)が、襲い来る魔物のことごとくを撃墜した。とはいえ闇が落ちれば、魔物はより活動的になり、凶暴性を増す。暗闇では不意を打たれる可能性もあり、空中戦となればレヒトとミオは戦えない。

 ずっと飛び続けているシャウトの身体にも、疲れが溜まっていることだろう。

「そうだな、とりあえず地上に降りよう。どこか身体を休められそうな場所を探して……」

「待て。……あれ、街じゃねーか?」

 シャウトの言葉に、レヒトは身を乗り出すようにして地上を眺めた。見れば確かに、遥か前方に街らしき建造物の影が見える。

「けっこう大きそうな街だろ。……しかも、俺様には煙が見えるんだよな。人間の視力じゃ難しいかもしれねーが」

 レヒトはもう一度目を凝らす。視力に関しても軽く人間の域からは外れているレヒトだが、シャウトの言う煙とやらを捉えることはできなかった。かつて、ドラゴン・リバティでシュリークとも似たような話をしたことを、レヒトはぼんやりと思い出す。

「……確かに、煙みたいですね」

 ミオの声で、レヒトはふと我に返った。先程よりもぐっと近付いた街へと視線を移せば、家々の煙突から立ち上る、幾筋もの白い煙が見て取れた。

「ここは魔界でも被害が大きかった地域のはずだけど……生き残った人々がいたんだね」

 安堵したように快が言った。レヒトも微笑む。

「今夜はあの街で宿を借りることにしようか」

「決まりだな。振り落とされんなよ」

 言って、シャウトが徐々に高度を下げる。地面が近付くにつれ、巻き起こる風が土煙を舞い上げ、レヒトは両腕で顔を覆った。

 やがてゆっくりと街外れに降り立ったシャウトは、三人を降ろすと人の身体へと戻った。やはり疲れは溜まっていたのだろう。身体を解すように動かしている。

「悪いな、シャウト」

 シャウトは白い歯を見せて笑った。

「いいってことよ。これも仲間のためってな」

 レヒトとも、レイヴンともととれるその言葉。レヒトも小さく笑った。

「さーて、さっそく宿でも取りたいとこだが……宿屋が営業してるかどうか、だな」

 周囲を見渡してシャウトが言う。石造りの建物はところどころが崩れ、完全に倒壊してしまっているものも少なくはない。

「とりあえず街の中心部まで行こうよ。煙が見えるってことは、誰かいるはずだから」

 快の意見に従い、一行は街の中心部へと向かって歩きはじめる。通りを歩いている人でも捕まえて、宿の場所を聞こうかと思っていたのだが。

「……誰も出て来ませんね」

 ミオが呟く。周囲の家々からは確かに人の気配が感じられるのだが、不思議なことに誰も出て来ないのだ。

「どうする?」

「……ここでこうしていても仕方ないからな。尋ねて聞いてみるか」

 手近な家の扉に近付き、声をかけようとしたその時。ざり、という石を踏む音に、レヒトは背後を振り返る。

「……貴方がたは……」

 立っていたのは一人の青年だった。短く切られた銀髪、緑に近い蒼の双眸。眼鏡をかけ、執事が纏うような上等な燕尾服に身を包んでいる。青年の顔に浮かぶ警戒の色。

「あ、すみません。旅をしている者ですが、今晩の宿をお借りできないかと思って……」

 レヒトがそう言うと、青年はその端正な顔に笑みを見せた。

「……これは失礼を致しました。このところ、街を訪れるのは賊徒か魔物という状況でしたので……危険を避けるため、外出は控えるようにと我が主が命じているのです」

 言って、青年は深く頭をさげた。

「ようこそログレスの街へ。私はここクリスティーヌ領ピュリア地方を治めます領主、ミーツェ=ピュリア様にお仕えする、リヒャルト=クロウヅと申します」

「俺はレヒト、旅の者です。ええと、こっちが……」

 レヒト一行も会釈し、軽い自己紹介を交わす。

(……ここはログレスの街だったのか)

 名乗る仲間の声を聞きながら、レヒトは周囲の街並みを見渡した。

 ピュリア地方はクリスティーヌ領の東に位置し、魔界でも有数の景勝地として知られている。中でもピュリア地方を治める領主の城が存在するここログレスは、戦火を逃れた古く美しい建造物が立ち並ぶ大変に美しい観光地であった。レヒトもラグネスとともに、幾度かこの街を訪れたことがあり、その街並みに感動したのを覚えている。特に、このピュリア地方にしか咲かない花が満開となる季節は、筆舌に尽くしがたい美しさで見る者の目を奪う。そして、この街にはもうひとつの美しい花が存在する。それが、現在の領主を務めるミーツェ=ピュリアである。レヒトも一度だけ目にしたことがあるが、その美しさに思わず息を飲んだほどだ。

 美しい街並みと、咲き誇るふたつの花。そんなログレスの街も、黒い光と魔物の影響で荒れ果て、今では見る影もない。

 自己紹介を終えたレヒト一行を見渡して、リヒャルトと名乗った青年は小さく微笑む。

「ここで会えましたのもなにかの縁。お嬢様も、久しぶりのお客様にお喜びになられるでしょう。よろしければ、城までおいでください」

「ありがたい。お言葉に甘えさせて頂きます」

 レヒトはリヒャルトの申し出を受けることにした。最初から宿を求めて立ち寄ったのだ。レヒトたちを背に乗せてずっと飛び続けていたシャウトには疲れが溜まっているだろうし、女性である快やミオをゆっくり休ませてやりたかった。

「それでは、ピュリア城までご案内致します」

 年若い執事に連れられて、一行は宵闇の中に浮かぶ、ピュリア城へと歩き出した。




「おっ、こりゃうまそうだなぁ」

 言って料理に手を伸ばしたシャウトの足を、快が軽く踏みつける。

「シャウトってば、領主様もいらっしゃるんだから恥ずかしいことしないでよ」

「そうですよ、シャウトさん。お下品です」

 女性二人に窘められ、シャウトは気まずげに頬を掻いた。それを見て、リヒャルトが小さく笑う。

「このような時ゆえにじゅうぶんなおもてなしができず、申し訳ありません。我が主ミーツェ様に代わりまして、お詫び申し上げます」

 リヒャルトの言葉通り、テーブルに並べられた料理の数々は、地方領主の晩餐にしては質素なものだった。とはいえ、無理もないことだとレヒトは思う。

 黒い光によって魔界は砕かれ、魔物も現れるようになっているのだ。このような状況では、食材の調達も難しいのだろう。

 そういえば、とレヒトは気になっていたことを問いかけた。

「この街の方は……避難はなされないんですか?」

 生き残った魔界の民は、比較的被害の少なかった竜谷、真魔界、精霊界が受け入れてくれたという話だが、領主のミーツェをはじめとして、この街の住人は誰も避難していないようなのだ。ここは魔界でも特に被害が大きく、魔物の目撃情報も多い地域だというのに、だ。

 レヒトが問うと、リヒャルトは蒼と緑の混じった瞳をす、と細めた。

「ピュリアにのみ咲く花をご存じですか?」

「あ、はい。確か……」

「ミーツェの花。白と淡い桃色が美しい大輪の花です。ここピュリアにしか咲かず……年に一度の祭りには、多くの人々が訪れてミーツェの花を愛でたものです」

 過去を懐かしむように言って、リヒャルトは視線を奥へと移す。薄いヴェールに覆われた奥の部屋には、領主であるミーツェ=ピュリアの影が見える。

「領主様のお名前と同じなんですね……」

 ミオの言葉に、リヒャルトは小さく頷いた。

「ええ、お嬢様のお名前と同じです。先代の領主様が、お嬢様がお生まれになった際、この地にのみ咲く花の名をお付けになられたのです」

「なんだか素敵な話ね」

「はい、とても」

 快とミオはうっとりとした様子で話を聞いていた。このあたりはやはり女性、といったところか。

「お嬢様はお美しくなられました。それこそ、人々を魅了してやまぬミーツェの花に負けないほどに。……しかし生まれついて身体が弱く、ほとんど城からお出になることができないのです」

「……そうだったんですか」

 城から出られないという領主のために、街の人々も避難することを拒んでいるのだろうか。

 レヒトの心を読んだように、リヒャルトが微笑む。

「この街の者は皆、お嬢様を愛しているのです」

 レヒトは奥の部屋とを隔てるヴェールに視線をやった。ヴェールにうっすらと映る影――花に囲まれて柔らかく微笑んでいたあの美しい少女は、今どんな表情を浮かべているのだろう。

「さあ、料理が冷めぬうちにどうぞお召し上がりください」

 リヒャルトの言葉に、シャウトが大いに喜んで見せる。

「よっしゃ、やっと食えるぜ。腹減っちまってさ、もう限界だったんだ」

「まったく品がないんだから。……なんてね、実は僕もお腹空いちゃって。もうだめ、限界」

 快が小さく舌を出す。ミオもくすくすと笑った。

「私もです。あ、お腹鳴りそう」

 そんな会話を交わす三人。花の少女との追憶に浸っていたレヒトは、せっかくの雰囲気をぶち壊されて思わず眉間に皺を寄せた。

「……あのなぁ。もう少し雰囲気ってものを……」

 その瞬間。空腹を告げる虫がぐぅ、と鳴いた。その音の主であるレヒトは、集まった視線をどうしようかと、しばし瞬きを繰り返し――。

「あー、うん……なんだ、その……」

 レヒトはひとつ咳払いして、大仰な仕草で周囲を見渡す。

「とにかく! この大変な時にご招待にあずかり、用意してくださった料理が冷めるのは非常によろしくない。……というわけで」

 両手を胸の前であわせ、深呼吸をひとつ。

「頂きます!」

「頂きまーす!」

 レヒトの声に三人の声が続き、賑やかな晩餐会がはじまった。

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