第91話 君に踊る紅-2-
別れてからの出来事を、レヒトは酒を酌み交わしながら快に話した。
名もなき小島での生活――そこで出会ったミオと、彼女の父親のリーシェン、そして三闘神ミロスラーフとの語らいなど。レヒトが話す間、快はただ静かに微笑んで聞いていた。
「……と、俺からはこのくらいだな」
「ふぅん……大変だったんだね」
「そうでもないさ。こうして、君にも会えたしな」
快がおかしそうに笑い、レヒトは照れ隠しに頬を掻いた。
普段はかなり早いペースでグラスを空ける快だが、今日はあまり進まないようだ。ボトルにはまだ半分以上、ワインレッドの液体が残っている。
(……俺に、あわせてくれているのかもな……)
グラスを傾け、その香りを楽しみながら、レヒトはぼんやりと考えていた。
「ねぇ、レヒト……」
「なんだ?」
「僕も……レヒトに、話しておかなきゃならないことがあるんだ」
グラスの中のワインレッドを見つめたまま、快はそう話し始めた。
「……僕ね、声を聞いたの。あの日、気を失う前に。……レヒトが落ちて、僕、混乱してたし……幻聴だったかもしれないから、他の人には話してないんだけど……レヒトにだけは、話しておかなきゃならないって思ったの。だって、あれは……」
快は、そこで言葉を切った。そして、しばしなにか思案するように沈黙する。
レヒトは黙って、彼女の言葉を待った。
「あれは、『大いなる意思』の声だったから……」
『大いなる意思』――レヒトの半身にして、今も執拗にレヒトを始末しようとする男。レイヴンを奪った男。
半身であり、創造主とも呼べる『大いなる意思』に対して、レヒトは憎悪にも似た感情を抱いていた。しかし――。
「あ、でも……僕の勘違いかもしれないし……」
知らぬうちに、苦い顔でもしていたのだろうか。慌ててそう付け加えた快の言葉を遮り、レヒトは静かに口を開いた。
「……君が聞いたという声は、おそらく『大いなる意思』のものだったんだろう。……あの日、世界の崩壊を救い……君たちを助けたのも……」
そう。怒りや憎しみに囚われず、素直な気持ちで考えれば――それは、当然のことだったのだ。
『CHILD』によって、世界が崩壊の危機に瀕した時。この世界を、そしてこの世界に生きる人々を救えたのは――『大いなる意思』ただ一人。
それ以外に、考えようがない。
「……『大いなる意思』は、なにをしようとしているのかな」
快がぽつりと呟いた言葉。レヒトはなにも答えられなかった。
「そう、なんだよな。それが、わからない。……俺は『大いなる意思』のことを、なにひとつ知らないんだ。半身だと言われながら、俺は『大いなる意思』のことを知ろうとはしてこなかった」
憎しみに囚われ、レヒトはずっと目を背け続けてきた。レヒトにとって、『大いなる意思』は悪であり、敵だ。彼の目的がなんであれ、レイヴンを傷付けたことに変わりはない。
しかし、レヒトは知ってしまった。レイヴンの中に封じられていた存在を。世界が崩壊の危機に瀕した時――世界を、レヒトの仲間を、そして多くの人々を救ったのが、『大いなる意思』であることを。
なにも知らなかった頃は、ただ単純に憎んでいることができた。しかし、今は違う。知ってしまった以上、もう目を逸らし続けることはできない。
「知らなければならない。『大いなる意思』のこと、そして『大いなる意思』の目的を。それが、きっとレイヴンを救うことにも繋がるはずだ」
グラスに残った酒を一気に飲み乾し、レヒトは立ち上がる。透明なグラスの底、わずかに残るワインレッド。
「名もなき小島で、ミロスラーフ様はおっしゃった。憎しみに囚われた心では、見えるものも見えなくなる、と」
あの時は、理解できなかったその言葉。今なら、わかる。
「――行くのね、レヒト」
快のほうへと視線を移し、レヒトは頷く。
「あぁ。……会いに行く。三闘神アルカディアス様に。……そこで、なにかが……」
会って、それでどうなるのかなどわからないが。なにもせずに、ここで燻っているなど自分らしくない。そう思う。
「そういう人だよね、レヒトは」
苦笑混じりに、快がそう呟いたのが聞こえた。
「すまない。これは、俺のわがままみたいなものだからな……。無理に付き合って欲しいと、言うつもりはない」
「なに言ってるの。一人じゃアルカディアス様のところまで、辿り着けもしないくせに。どうせ場所だって知らないんでしょ?」
「……そ、それは……」
痛いところを突かれて言葉に詰まると、快はやっぱりね、と楽しそうに笑った。
この計画性のなさというか、行き当たりばったりというか――そこも、レヒトの愛すべき性格である。
「僕が一緒に行ってあげるよ。もう、置いてきぼりはごめんだからね。わかった?」
「快……。あぁ、もちろんだ」
レヒトがそう答えると、快はよろしい、と頷いた。
「シャウトも、きっと一緒に来てくれるよ。レヒトのこと、ずっと気にしてたし」
「……世界がこんな風になってしまって、シャウトもケアルちゃんや長老様が心配だろうに。長々と付き合わせてしまっているな」
今はまだ直接的な被害を受けていないとはいえ、これからもそうであるという保証はどこにもない。愛する人々が不安な日々を送っていると聞けば、それこそ飛んでいきたい思いだろうに。
「……だからこそ、だよ。大切な人のためにも、早く平和を取り戻して、そして胸を張って帰るんだって。中途半端なまま帰ったら、長老様に殺されるとか言ってたっけ」
「ははは……」
その光景が浮かぶようで、レヒトは思わず苦笑した。格好悪くて帰れない、というより、むしろ怖くて帰れないというのが真実だろう。
「けど、レヒト。あの子は……?」
レヒトは、快がミオのことを言っているのだと悟った。
「……そういえば、まだミオのことを詳しく話していなかったな。ミオには記憶がないんだ。自分の失われた記憶と家族の手がかりを求めて、俺と一緒に魔界に来たんだが……」
レヒトはゆっくりと話し始めた。
先程、レイとレヒトの命を狙ってきた襲撃者が、彼女の実の兄であり、彼が『大いなる意思』に仕えていること。そして過去に起きた事件と、ミオの記憶を封じたのが『大いなる意思』であること――。
「……そう」
快が目を伏せた。かける言葉が見付からず、レヒトはただ頷くだけだった。
「レヒト、どうするの? このままじゃ、いずれ……」
「……わかっている。少なくとも、俺の側にいなければ、彼女は『大いなる意思』とは無関係だ。そうすれば、直接狙われることも、実の兄と敵対することもない」
ミヤが『大いなる意思』に仕えている以上、そして、『大いなる意思』がレヒトを始末しようとする以上、レヒトがミヤと戦わずにすむ可能性は、かなり低い。かといって、いざ戦いとなった時に、レヒトもおとなしく倒されてやることはできない。
「……難しいね」
「そうだな。……俺は、ミオに任せようと思う。彼女がどちらに付くか、あるいは名もなき小島に戻るか……それは、俺たちが決めることじゃない」
辛い選択をさせることになってしまったが、これは彼女自身が決めるべきことなのだ。それによって、彼女がレヒトの側を離れ、あるいは敵対することになってしまっても……それは、仕方ないこと。レヒトには、それを受けとめることしかできない。
「……すべては夜が明けてから」
ぽつりと快が呟き、空になったレヒトのグラスに酒を注ぐ。
「もう少し、僕に付き合わない?」
「ああ……そうしよう」
答えて、レヒトはグラスを傾けた。
「気を付けていくんだよ」
翌朝。内心恐れていた二日酔いに見舞われることもなく、レヒト一行とラグネスは、例の神像の前で別れの挨拶を交わしていた。
「はい。ラグネス様も、どうかお気を付けて。……俺がいなければ、『大いなる意思』に関わる者が、ここを襲うことはないと思われます」
ミヤがこの遺跡の場所を知っていた以上、また襲撃がないとは言い切れないが、ミヤはわざわざレヒトがいるときを狙い、理由付けまでして仕掛けてきたのだ。となれば、レヒトがここを離れれば、ラグネスやレイの身は安全だろう。
「そうだろうね。私たちはここに残り、魔物の討伐を続けるつもりだ。これからどこへ行くんだい?」
「とりあえず、アルカディアス様にお会いするために精霊界へ向かいます」
三闘神アルカディアスは精霊界にいるという。一行は、快の案内で精霊界へと向かうことにしていた。
「そうか……わかったよ。私たちはここにいるから、いつでも戻ってくるといい。快、レヒトを頼んだよ」
「任せて、伯父様」
「ラグネス様、それでは立場が逆です……」
レヒトが呟くと、皆の間に笑いが起きた。
「くす……それでは、行きましょうか」
ミオの言葉に、レヒトは頷く。
結局、ミオはレヒトたちと行動をともにすることを選んだ。この先、辛い思いをすることもあるかもしれない。しかし、彼女はきっと乗り越えていけるだろう。
レヒトはそう信じていた。
「よし、出発だ」
燦然と降り注ぐ朝陽を受けて。
一行はラグネスに見送られ、精霊界へと旅立った。




