廿、escape
たまに、朝鮮語や簡体字を習得したくなる。これら二ヶ国語を学ぶことは利が多く、害は皆無に等しい。しかし、第一外国語である英語すらろくに扱えない分際で、第二外国語にまで手を広げていいものだろうか。
英語という言語は日本人にとって習得の苦が多く、いざ身につけても、結局は日本語の圧倒的な使い勝手の良さに複雑な感情を抱くものだという。それに対して、決して努力不足や能力不足といった言葉で片付けるつもりはないが、何か釈然としない。
喩えるならば、元プロ野球選手が「野球なんてクソだ」と吐き捨てれば笑って済ませられるが、未経験者が同じことを言えば腹の虫が喚く、いや、「一流」と呼ばれる人間の「努力」という言葉に千金の価値を感じる、と言った方がいいか。
思うに、真理に対して不満を漏らすことが許されるのは、その真理の探究者のみだ。一流とは言わずとも、せめて二、三流の探究者であらねばならない。三流にすらなれず、目指すことすら放棄した我々に、その資格はあるのだろうか。
そう考えると、新しい言語に色目を遣うことが、浅ましい現実逃避にしか見えなくなってくる。結局、朝鮮語もハングルの読み書きを齧った程度で辞めてしまった。簡体字にいたっては、学び出そうとすらしていない。
というわけで、次回は日本語を一切使わない文章でも書いてみようかと思う。何せここは現実逃避にうってつけの場所であり、一度に二つの方法で「逃避」を完遂できるのだから。




