第3話:侯爵家の微熱
朝、侯爵家の屋敷に静かなざわめきが広がった。
「ヴィオレット様、侯爵様が昨夜から熱を……」
小間使いの声に、私は顔を上げた。侯爵家の主である父の体調不良。それは、単なる疲労や気候のせいだけではない可能性がある。
「少し見せていただけますか?」
前世の経験で培った観察力を働かせ、侯爵の額、手首、唇の色を確認する。微熱だけでなく、微妙な皮膚の蒼み、呼吸の浅さも見逃さない。単なる風邪ではない。
侯爵の側には医師ユージンが控えていた。
「熱は37.8度程度で、特に症状は軽いのですが……」
「では、原因の可能性を順番に潰していきましょう」
私は持参した小瓶を取り出し、熱の原因となりうる薬草や調合可能な解熱剤を整理する。
「まず、摂取した食材や薬に異変はありませんか?」
ユージンが表情を曇らせる。
「特に異常はないはずですが……ただ、夜間に使用人の一部が吐き気を訴えており」
──気になる。侯爵家では、舞踏会前に小さな“中毒事件”が起きるという予兆かもしれない。
「私も診させてください」
侯爵の手首から微量の汗を採取し、簡単な薬学分析を行う。指先で熱を感じながら、試薬を混ぜ、観察する。前世の知識が体に染みついている。
「これは……微量の毒に反応しています。天然の毒草成分ですが、量は極めて少ない。解毒は可能です」
ユージンは驚きつつも、私の判断に従う。
「迅速ですね……ヴィオレット様」
侯爵に安全な解毒剤を投与すると、熱は徐々に引き、顔色も戻る。私の心の中で、微かな達成感が湧いた。
しかし、同時に不安も広がる。微量の毒で済むとは限らない。舞踏会までの三か月、侯爵家を取り巻く“毒”の気配は、日に日に濃くなるだろう。
夜、薬局に戻るとマリエットが声を潜めて言った。
「ヴィオレット様……これ、怪しいです。庭のハーブが不自然に切られていました」
庭師の管理下にあるはずの薬草が、誰かの手で触れられていた痕跡。舞踏会での毒事件だけでなく、侯爵家内に何者かが暗躍している証拠かもしれない。
私は薬瓶を握りしめた。
「まだ、誰も騙せない……けれど、全てを見抜くのは私の役目」
小さな薬局に並ぶ瓶の中で、光が揺れる。毒も薬も、知恵と観察力で扱えば、運命さえ調合できる。悪役令嬢としての烙印を消すための戦いは、まだ始まったばかりだ。