有栖川ひまり、邂逅す
著者【太公望】
@taiko_bo_hobby
免責事項
※この有栖川ひまり編はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
※本作には過度のセクハラ・下ネタ表現が出てくる可能性があります。ご注意ください。
イラスト制作者:【柊ナツキ】
@natukisaratb
これは仮想現実大規模多人数オンライン、通称VRMMOと呼ばれる世界で起きた、とあるネットストーカー事件の記録である。
VRMMOは視覚と聴覚のみで楽しむ従来のゲームと違い、五感全てを没入させて三次元の立体的な世界観を楽しめるのが最大の特徴だ。
特にそのハード機となるヘッドギアはここ一年の間に爆発的な売り上げを叩き出し、ゲーム業界の勢力図すらも激変させてしまった。
今回の主人公──鳥栖加奈がプレイしていたのは、その中でも特に人気沸騰中のソーシャルゲームである。
『君の友達は空で待っている!』がキャッチフレーズで、聞けば誰もが名前を知っているほどの有名なゲーム。
このゲームの一番の目的は、敵を倒したりイベントに参加したりしながら自身の装備を揃えて強くなること。それには空艇団と呼ばれるギルドへの加入が必須となっているのだが──。
事件はまさにその『空艇団』を巡って起きた。
「ただいま帰りましたー」
学校から帰宅した鳥栖加奈は、家族への挨拶もそこそこに自室へ向かい、扉に鍵をかけた。
ゲーム禁止、門限あり、外泊禁止。
鳥栖家のルールは、令和に存在するには少々クラシックすぎた。
だから本来なら、彼女がヘッドギアを手に入れる機会など訪れないはずだった。
しかし、最初に陥落したのは父だった。
仕事の関係で渋々ヘッドギアを使用した父は、その日の夜には「技術の進歩はすごいな」と言い、三日後には「空、飛べるぞ」と母に布教し、一週間後には家族用に追加購入していた。
人間を駄目にする機械だと警戒していた父が、一番最初に駄目になったのである。
母も当然のように堕ちた。
芋づる式だった。
鳥栖家の教育方針は、最新技術の前にあっけなく敗北した。
「最近はこれのためだけに毎日生きている……かもしれない」
鳥栖は枕元に置かれた白いヘッドギアを手に取る。
彼女がそれほどまでにのめり込んだ理由はもう一つある。
それは「友達との会話のネタが増える」ことだった。
小学生の頃は携帯ゲーム機。
中学生の頃はスマホ。
高校に上がってからはヘッドギア。
流行の波はいつも鳥栖の少し前を通り過ぎていった。
当然、同年代の話題も「ゲームで何をやったか?」がメインの一つになる。ゲーム禁止の家に育った彼女がいつも輪の外側にいたのは言うまでもない。
だからこそ、ヘッドギアを手に入れたとき鳥栖は思った。
──これでもう、話題についていけないことはない。
実際、その効果は絶大だった。
友達との会話は増え、放課後の誘いも増え、共通の話題も増えた。
今まで入れなかった輪の中に、ようやく自分の席ができたのである。
それだけヘッドギアの存在は彼女の心の拠り所となっていた。
そして、しばらくして気づいてしまう。
席があるということは、そこから逃げにくいということでもある。
ヘッドギア越しの友達付き合いは、思っていたより深かった。学校で話し、帰ってからも繋がり、休日も同じコンテンツを追い、ライブを見て、感想を送り合う。
楽しかったはずなのに、ある日ふと思ってしまった。
──なんか疲れた。
突然、その感情が彼女の心を支配するようになり、コミュニケーションツールとしてのヘッドギアの使用に抵抗を感じるようになった。
ヘッドギアを通してはじめて可能となった友達との深い関わり。
その反動は短期的には表面に出ることはなかったが、長期的な付き合いの中で個人の時間がどんどんなくなっていったことでストレスとなって表れたのだ。
誰かと仲良くなるために手に入れたヘッドギアで、今度は誰も自分を知らない場所へ逃げたくなった。
そうして鳥栖加奈が流れ着いたのが、人気VRMMO『君の友達は空で待っている!』だった。
「今日も思い切り楽しもうっと」
視界が暗転し、次の瞬間、現実の天井は青空に変わる。
石畳の広場。浮遊する島々。遠くを横切る飛空艇。いかにも王道ファンタジーらしい景色が広がっていた。
このゲームの本来の目的は、敵を倒し、装備を集め、空艇団と呼ばれるギルドに所属して強くなること。
だが鳥栖にとって、そんなことは二の次だ。
「さて……と。今日も雑談部屋行こうかな」
雑談部屋──運営が本来意図していなかった形で誕生したグレーなコミュニティ。
彼女もその存在に魅せられた一人だった。
それは運営が用意した機能を、プレイヤーたちが勝手に別用途へねじ曲げたグレーな文化である。
本来、ルームはバトル用だ。素材を消費し、敵を召喚し、協力して倒し、報酬を得る。
しかし人類は、与えられた道具を必ずしも正しく使わない。
いつの頃からか、敵を召喚せずにただ喋るだけのルームが現れた。
最初は「邪魔」「通報案件」「雑談なら外部アプリでやれ」と荒れたが、荒れたところで人は集まる。
そしていつしか、雑談部屋は文化になった。
ゲーム攻略よりも人間攻略の方が難しいと気づいた者たちの、掃き溜め兼たまり場である。
鳥栖はルーム一覧をスクロールし、見慣れた入口をタップした。
世界が切り替わる。
次の瞬間、彼女の耳に飛び込んできたのは、中学生くらいの男子の声だった。
「──ひまりってひだまりの匂いがしそうだよね!」
声の主は「四季折々」という名の中三の男子。
生粋の将棋オタクだ。
将棋の話を振ると二時間は帰ってこないが、今日に限っては将棋盤ではなく別の沼に駒を進めているらしい。
彼についての印象と言えば、顔写真をみて「イケメン」だと誰かがよく言っていたなぁ、くらいのもの。あまり興味が無いというのが鳥栖の正直なところだった。
──ひまり……女性なのかな?
VRMMOの革命的な利便性で女性ユーザーの参入も増えたのは事実だ。しかしながらゲーム内の男女の人口比が圧倒的に男が多い状況に変わりはない。
雑談部屋でも男が女の倍以上と多く、女は十人もいない。まずはその物珍しさに鳥栖は関心を示した。
ふわふわした髪。大きな瞳。小柄な体格。
いかにも「男が考えたかわいい女の子」を、企業努力で磨き上げたようなアバターである。
「今日初めて来られた方ですか? はじめまして」
鳥栖が声をかけると、ひまりはくるりとこちらを向いた。
「はじめまして~、有栖川ひまりです~。ひまりんって呼んでくれると嬉しいな! よろしくね☆」
どこか媚びるような、甘ったるさを孕んだ声で返してきた。
「鳥栖加奈です……よろしくお願いします」
「よろしくね〜加奈ちゃん☆」
初対面で下の名前呼び。距離の詰め方の早さに、鳥栖は一瞬だけ固まった。
ひまりの視線は心なしか全身を嘗め回してくるかのような印象を与える。
VR空間なのに、なぜか現実の教室の隅にいる男子たちの視線を思い出した。女子の皮を被っているはずなのに、目線だけが妙に男子だ。
「……」
鳥栖が返答に困っていると、雑談部屋の隅から橘めるが近づいてきた。
「鳥栖ちゃん、来てくれてよかったよ」
橘は笑っていた。否、正確には笑わないようにしている顔だった。
ダム決壊五秒前かのような堪え方である。
橘めるは雑談部屋の中心人物の一人である。
頭の回転が早く、誰の話でも拾えるため場を回すのが上手い。ただし揉め事や人間の醜態を見つけた時だけは、善意より先に好奇心が出る。
鳥栖にとっては、数少ない同年代の女子であり、信頼できる相手だった。
善人かどうかは別として。
「橘さん、どうかしたんですか?」
橘が堪えているのは『笑い』。
こういう時の彼女は決まって面白い話を持ってくる。
鳥栖の表情は期待の色に染め上げられた。
「あの有栖川ひまりって奴いるじゃん?」
ひまりが再び四季折々と話し出したのを確認すると、橘は早速本題を切り出してきた。
「あ、はい」
「アイツ、どうにもネカマ臭いんだよね」
「なるほど……」
ひまりとは初対面なのに、橘のその一言は何故か凄く説得力をもって聞こえた。
ひまりに対して自分が感じていた違和感が一気にストンと腑に落ちるものだったからだ。
「結構、皆さんも気づいてるっぽいですね」
鳥栖の指摘通り、雑談部屋の常連達は心なしかひまりとの距離を取っていた。
橘と自分達の近くで話している太公望とカズヤもそのうちの二人だ。
橘の次くらいに雑談部屋の古参勢である太公望は、名前からも分かる通り、中国・台湾の事情への関心が強いため、同年代の台湾人のカズヤと話が弾むことが多かった。
カズヤは女性プレイヤーを見ると、普段なら自然に話しかける。
別に下心丸出しというわけではない。むしろ紳士的で、女プレイヤーからの評判も悪くない。雑談部屋では「フェミニスト」とまで呼ばれている男だ。
そんなカズヤが女性の名前、アバター、ボイス、口調のひまりに話しかけないのははっきり言って異常この上ない。
本能的に勘づいたのだろう。
『コイツはネカマだ』と。
「カズヤさん、行かないんですね」
「行かないねぇ」
橘は肩を震わせている。
「女の子の匂いがしないんですかね」
「たぶん本能で検知してる。あれはメスじゃない。メスの看板を掲げた別業態だ」
鳥栖は思わず笑ってしまった。
ひまりはその間も、四季折々と楽しそうに話している。
「四季くんって将棋強いんだ~! すごぉい、ひまりん、全然分かんないから教えてほしいなぁ☆」
「いいよ! 将棋はね、まず駒の働きから覚えるといいんだけど、歩っていうのは一番弱いように見えて実は──」
「うんうん、四季くんの声って落ち着く~☆」
「えっ」
四季折々の声が一段階浮いた。
鳥栖は察した。
これはまずい。
将棋の話を二時間できる中学生男子が、女の子らしき存在から「声が落ち着く」と言われた。
これはもう王手どころではない。初手で玉を手渡している。
「……橘さん。あれ、大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃないから面白いんだよ」
橘は満面の笑みで言った。
最低だった。だが、否定できない程度には鳥栖もワクワクしていた。
もちろん、鳥栖も橘も、ひまりを排除したいなどという気持ちは全くなかった。
一般的に、ネカマにはいくつかの種類がある。
女を演じることで周囲に優しくしてもらい、ゲーム内資源や人間関係を効率よく集める寄生型。
異性を演じる自分に酔い、相手が勘違いしていく様子を楽しむ愉悦型。
単に可愛いアバターを使いたいだけの無害型。
もちろん性別そのものが問題なのではない。
問題なのは、ひまりから漂ってくる「これは何かを釣る気だな」という生臭さである。
橘の見立てでは、ひまりは恐らく寄生型だった。
プレイヤーランクは高く、装備も揃っている。初心者に媚びる必要はない。
なのにわざわざ雑談部屋で甘い声を出し、四季折々のような分かりやすい相手を撫でにいっている。
つまり目的は素材ではなく、人間だ。
「ネカマはこの界隈では希少だ。どんな騒動引き起こしてくれるか、楽しみだよ」
橘はニタリと笑みを浮かべる。
クッキーが本性暴露によって雑談部屋を追われてからはこれと言って大きな騒動とは無縁の日々が続いており、そろそろ新たな事件が起こるのを欲していたのだ。
具体的にはひまりに騙されていた、ネカマされていたことに激怒する誰か、例えば四季折々のような──が引き起こす騒動を期待していた。
「ほんと、楽しみです」
鳥栖も素直に頷いた。
彼女はネトゲ初心者である。ネカマという生き物も、実物を見るのはこれが初めてだった。
それは珍獣を見るような興味に近い。
もちろん、直接関わるつもりはない。
遠くから眺めて、橘と一緒に笑って、何か起きたら「うわぁ」と言う。
そのくらいの距離感が一番安全で、一番楽しい。
鳥栖加奈はそう思っていた。
この時点では。




