第十四話 邪竜ランゲリオン
「ファーストッ!!!!」
フィーネの絶叫が響いた。彼女は血走った眼で剣を構えると、腰を落とす。赤々とした猛々しい炎が剣に宿った。いつもの倍、いや三倍はあろうか。剣から発せられる炎は天高く燃え上がり、黄金の光が辺りを照らす。
踏み込み、急加速。フィーネは空気を切り裂き、刹那のうちにキマイラの足元へとたどり着いた。剣が斬り上げられ、キマイラの前足が斬り飛ばされる。
「やったな、雑魚め!」
エルバスの杖が振り上げられるとにわかに時が逆回転。瘴気が集まり、キマイラの足が瞬時に再生した。一瞬の出来事にフィーネは対応できず、そのまま爪に吹き飛ばされてしまう。彼女の華奢な身体は壁にたたきつけられ、口から血が漏れた。
「クソッ、よくも野郎の分際でフィーネを! 許さんぞ!!!!」
「援護する……!」
マルの風魔法を受けて、ケインが飛び出した。彼は手にした錫杖――彼の本職は回復系の術師だ――に風をまとわせると、キマイラへと走る。それに合わせてマルも呪文の詠唱を始めた。ケインが時間をかせいでいる僅かの隙にマルが詠唱し、大魔法を撃ち込む連携作戦だ。
しかし実力差は圧倒的だった。ケインはキマイラに近づいたと思った瞬間、その足によって薙ぎ払われ、壁にたたきつけられてしまう。マルも呪文の詠唱が完成する前にキマイラに接近され、為すすべもなく倒されてしまった。
「リヴァイアサンを屈伏させたと聞いたからどれほどかと思ったら……やはり、さっきの奴しか強いやつはいないようだねえ」
またたく間に全滅した三人を見て、エルバスは嘲笑を浮かべた。彼はキマイラを元の瘴気に戻すと、その分を六紅連封陣の強化に充てる。ファーストを拘束する鎖はその厚みと強度を格段に増し、さながら繭のようになった。エルバスは直に手で触れてその強度を確かめると、さらにその上に術式を刻みつける。
「これで安心っと。さて戻りますかねえ」
ファーストを取り込んだ繭に冒険者三人、さらには何故か紛れ込んでいた猫を載せると、そのまま鉱山の奥へと進んでいった――。
「やはりあの程度の冒険者たちには、魔物の殲滅など無理だったようだ」
夕方、黄昏に染まるモルテガ鉱山ギルドの最上階。そこに位置するマスター執務室で、フェリムと初老の紳士然とした男――モルテガ鉱山ギルドマスターネルロ――が向かい合っていた。二人の間には不穏な空気が漂い、部屋中の空気が張り詰めている。
そんな話題はもちろん、今朝出発したまま帰ってこないファーストたちについてだ。フェリムが機嫌良さそうに笑いながら、ネルロを問い詰めていく。
「依頼を出してさえくれれば、モルテガ支部の精鋭三十人がすぐにでも魔物の討伐に出かけるぞ。さあどうする、頼みの綱の王都の冒険者たちは全滅したが?」
「……いくらほしいんだ?」
「金じゃない、利権だ。かつてのように冒険者に鉱山採掘の権利を認めろ」
「それは無理だ」
フェリムはやり手のギルドマスターだった。ゆえにこれを認めてしまえば、モルテガ鉱山ギルドの経営に大きくかかわってくる。どれほどの条件を出されようが、ネルロは譲歩できないと考えていた。
「年五トンでいい、それ以上は求めんよ」
「無理な物は無理だ」
「鉱山の奥には、かつてのメルカ鋼が残っているかもしれんぞ? あれがどれほどの利益をもたらすか、知らんわけではあるまい」
ネルロの眉が動いた。かつてのメルカ鋼――それはモルテガ鉱山ギルドの夢だ。喉から手が出るほど欲しい。渇望しているといっても過言ではない――。思わず、ネルロの口が言葉を紡ぐ。
「……三トン、これがギリギリだ」
「よし、了解した。今からすぐに冒険者たちを率いて、魔物どもを殲滅してくれるわ」
フェリムはそういうと軍服然としたギルドの制服を翻し、部屋を出て行った。こうして冒険者ギルドモルテガ支部の精鋭達が、鉱山の奥底を目指すこととなった――。
モルテガ鉱山支部で魔物討伐の準備が始まった頃。鉱山の奥底でフィーネが目を覚ました。鈍痛のする頭を持ち上げ、周囲を見渡してみると、一面に鉄格子が見える。どうやら檻に閉じ込められているようだ。その檻の向こうには何か、巨大な石像が見える。
石像は龍を象ったものだった。力強い翼の造形、石とは思えぬ鋭い眼光――まるで、本物の龍をそのまま石化させたような緻密な造りだ。どれほどの職人が魂をささげれば、これほどのものが造れるのだろうか。さらに龍の胸に輝く蒼い輝石はこの世のものとは思えぬほどの冷たい光を帯びている。
思わずフィーネの背筋から、冷や汗が落ちた。リヴァイアサンが接近してきたとき以上の寒気が彼女を襲った。この龍は生きている――そんな気がしたのだ。
「あれは……!」
「邪竜ランゲリオン」
一足先に目覚めていたマルが、フィーネの言葉に答えた。フィーネはその言葉に思わず聞き返す。
「邪竜? なに、それ」
「古代竜の最後の生き残りにして、災厄の竜と呼ばれていた大魔獣よ。伝説の魔法使い、ランプ・エルヴァンスが封印したのだけれど……連中はそれを復活させようとしているらしい」
マルはそっと石像の足元を指差した。無数の人間たちが石像に跪き、何やら祈りをささげているのが目に飛び込んでくる。邪教――フィーネの脳裏をその言葉が走り抜けた。彼女は思わず顔をしかめる。
「まさか私たち、生贄にされるんじゃ……」
「その可能性は高い。……ん、何か始まるわよ」
石像の足元、他より高くなった演説台のような場所を、一人の女が昇っていた。白いのっぺりとした仮面を付けているので顔はわからないが、細くしなやかな体つきと胸元のふくらみ、さらに髪の長さからして間違いなく女だろう。彼女は台座の中央に立つと、高らかに声を張り上げる。
「同志諸君、今までよく頑張った! 我々はついに、邪竜を復活させるに足る魔力を手に入れた!」
無数の歓声が上がった。人間たちは拳を振り上げ、歓喜の叫びを上げる。その圧倒的な音の波を女は右手一つで静止させると、再び話を続ける。
「邪竜を発見してより十五年。この島に流れ着いてから十年。賢者の石を生みだし、島の住民を全滅させ莫大な魔力と瘴気を蓄えてなお、封印は打ち破れなかった。しかしその長きにわたった封印も、この女の血によって打ち破られる!」
エルバスが鎖でがんじがらめになった状態のファーストを抱えて現れた。彼は台座に昇ると、ファーストを恭しい様子で地面に横たわらせる。女は空中に円を描き、そこから豪奢な宝石に彩られた長大な剣を取り出した。
「さあ、海竜を屈伏させた魔力を見せてみろ!」
瞬間、剣がファーストの腹へ振り落とされた。剣は鎖の隙間より白い肌を貫き、血の華が咲く。フィーネは思わず目を閉じ、絶叫した。
またたく間に紅が溢れだし、辺りが朱に染まる。流れた血は物理に逆らって空中に上がり、輝石に吸い込まれた。輝石は夥しい量の血を吸い、鼓動するように光る。しかしそれきり、何の反応も起こらない。邪竜が目覚めるどころか、僅かな振動すらない。
「何故だ!? 海竜を従えるほどの魔力があれば、これで目覚めるはず……!」
「はは、揃いもそろって馬鹿の寄せ集めのようだなァ!」
「なんだと……!」
「期待して捕まってやったのに、こんな茶番とは。くだらなさ過ぎて笑えてくるぞ」
女は思わず仰け反った。なぜなら、腹を貫いたはずのファーストがいつの間にか鎖を振りほどき、何事もなかったかのように大笑いしていたのだから――。