5
*
『君は、強い。だから、きっと一人でも大丈夫だよ』
そんなわけない。一人は怖い。外に、理解してくれる人間などいるわけがない。
『そうか、外に出るのが、怖いのか。僕がいないから?』
そう。
『ごめんね。でも、ついていけないんだ。だから、君はきっと、生き抜いて。君は、死ぬ事が無いから。大丈夫だから。そしていつか、僕を迎えに来てほしい』
いつか…。
『そう。いつか。そしてまた、一緒にクッキーを食べよう。それまで、絶対に…』
『生きて』
*
嗚咽がすぐ傍で聞こえる。ケイナ泣き声だ。
ツキシマは、目を開けると、自分を抱えている細い肩をがしりと掴んだ。
「あ…え、えっ…? つ、ツキシマさん!?」
ケイナが、涙でぐしゃぐしゃになった顔を驚きの表情に変えて、わけもわからずツキシマを見上げた。
ツキシマは、ケイナの肩につかまってなんとか立ち上がる。カラーガラスに血が飛んで、視界が悪い。よろめくのは、右の頭が少しばかり軽いからだ。右目が良く見えない。眼球は無事の様だが、視神経が痛いダメージを受けているようである。
また、地面を這って脳味噌を集めないと。
頭部を撃ち抜かれても、壊れる事のなかった防毒マスクは、ある意味最強の防御力を誇っている気がした。
「あの、あの…ええ…えと…ツキシマさん…だだ、大丈夫なんですか?」
立ち上がり、やぶけたフードを無理矢理目深にかぶろうとするツキシマを見て、ケイナは混乱しながら言った。
大丈夫なわけ無いだろう。頭が吹っ飛んでいるのだ。しかし、動き出したツキシマに、ケイナは嬉しい様な怖い様なわけがわからない様な複雑な気持ちを抱き、気付けば涙も止まっていた。
不安げな面持ちで自分を見上げるケイナに、ツキシマは力強くコクリと頷く。そして、ぽん、とケイナの頭を撫でて、顔を上げた。
カグラが、動き出したトラックを追っている。ここら辺一体は、道が狭くカーブも多い。そうスピードは出せないだろう。
ツキシマは、先程地面に落した二丁のハンドガンを拾った。マガジンは、まだ十分にある。そして、身体も十分に動く。
ツキシマは、手の中でくるりとハンドガンを回転させると、ホルスターからマガジンを取り出して銃身内にリロードした。
あの外道畜生を、このまま逃がしてなるものか。
「チクショウ!」
車庫から飛び出したトラックを見つめながら、カグラは悪態をついた。
車庫の外は、百メートルほどの一本道となっており、その先のティー字路から左右のカーブが多い道路が続いている。百メートルほどの距離ならば、ライフルを使ってトラックのタイヤを撃ち抜く事は可能だが、いかんせん、ライフルを車庫内に置いてきてしまった。今取りに戻っては、遅い。スコープを覗いた時には、既にトラックはライフルの射程距離外に姿を消している事だろう。
苛立ちに唇を噛みしめていると、カグラの背後に、ヌッと巨大な気配が現れた。
「なっ…!? ツ、ツキシマッ!?」
カグラの背後に立ったのは、頭が吹っ飛ばされて血まみれになった、ツキシマの姿だった。
ツキシマは、無言でライフルをカグラに差し出す。車庫内に置いてきた、カグラのレバーアクションライフルだった。
「……」
ライフルを差し出すツキシマは、無言で前方を走るトラックを指差す。
撃て、と言うのか。カグラは、何故ツキシマが、即死レベルの傷を負ってもなお、動いているのかわからない。また、それに対する驚きと、恐怖もあった。当然である。
だが、今は、いい。
そんな事よりも、カグラにはすべき事がある。倒すべき敵がいる。受けるべき報酬がある。
こんな所まで来て、一Eにもなりませんでした、なんて事態は、絶対にごめんだ。
カグラは、表情を引き締めると、ひったくる様にしてツキシマからライフルを奪い取り、一瞬で構えてスコープを覗く。トラックが、ティー字路に差し掛かるまであと三十メートルほどの余裕がある。時間にして、一秒と少し。
「行って来い、化け物」
カグラが言うと同時に、弾丸がライフルの銃口から飛び出した。それと同時にツキシマも走る。トラックが、ティー字路に差し掛かった瞬間。トラックは運良く右に曲がり、コンテナの影から姿を現した前輪に向かって二発撃つ。
弾丸が当たったのか、右折した瞬間、トラックはガタガタと左右に揺れ、スピードが一気に落ち込んだ。
「よし!」
カグラがガッツポーズをする。ツキシマは、トラックがスピードを落とすのを見て更に加速した。
コンクリートの道路を走り抜け、トラックの背後に到達すると、勢い良く踏み込んで跳躍した。コンテナの背面の一部を、集中的に撃ち抜き、アルミ製の箱に穴を開け、そこに手をかける。右半分のタイヤが全滅したトラックは、激しく揺れながら蛇行した。
「クソ!クソ! 捕まってたまるか…!」
トラックを運転するカーンは、血走った眼でハンドルを握っていた。
右足を撃ち抜かれ、力が入らず、うまくアクセルを引けない。先程、銃声がして、車が真っ直ぐに走れなくなった。タイヤをパンクさせられたのだろうと悟る。カーンの苛立ちは、募る一方である。
「チクショウ…! この、この私が…! サースメトロ最大のギャング団のボスであるこの私が…! たかが賞金稼ぎに負けるわけなど…!」
ぼやいて、ギリリと奥歯を噛みしめた時、頭上から発砲音が鳴り響いた。それと同時に、天井が何発もの銃弾の形にへこむ。
「ヒイッ!」
カーンは、悲鳴を上げてハンドルを握りながら肩をすくめる。運良く、弾丸は天井を貫通してはこなかったようである。しかし、だからと言って安心できるものでは無かった。
放たれた弾丸によって脆くなった車の天井から、ゴッ、ゴッ、と何かを叩きつけるような音がした。車体が揺れ、天井の破片がパラパラと落ちてくる。
嫌な予感がした。まさか、まさか、天井を破ろうとしているのか。
ゾクリ、と背筋に悪寒が走った瞬間、その予想は現実のものとなった。
頭上で、グシャッ、と言う破壊音がして、カーンの頭に、顔に、冷たい鉄の破片が零れおちる。
恐ろしくて、上を見る事ができなかった。車体は、相変わらず左右に蛇行を続けながら道を走る。カーンは、ごくりと唾を呑んだ。
「あ…あああ…うわあああああ…」
ガシリ、と。カーンの頭部が掴まれる。冷たく、大きな掌だった。
カーンは、空気が抜けるような悲鳴を上げる。ドクドクと心臓が脈打ち、クチから内臓が飛び出そうな吐き気に襲われる。
カーンの頭部を掴んだ手の指先は、何かを探る様に蠢く。そして、ぴたりと、カーンの両目を探り当てた。
「や、やめろ…」
恐怖で身体が強張る。一ミリも動けなかった。動いたら、この恐ろしい指が…。車は蛇行する。もはやトラックは、道路を道なりに走る事を放棄していた。
「やめ…やめて…」
冷や汗をダラダラと流しながら、カーンは不意に、視線を天井に向けた。
車体の天井に空いた鉄の穴から、腕が生えている。その隙間から、不気味に光る防毒マスクのカラーガラスが覗いていた。耳を澄ませば、フィルター越しの呼吸音が聞こえる。
馬鹿な、そんな、死んだはずでは…。
恐ろしい疑問が浮かぶと同時に、カーンの視界は、鋭い激痛と共に、暗転した。
*
カグラが駆け付けた時には、一面は火の海と化していた。
近隣の廃墟に突っ込んだコンテナ付きのトラックは、オイル漏れを起こし、エンジンに引火して爆発を引き起こしたのである。
煌々とした火に照らされながら、カーキ色のロングコートを靡かせたツキシマが佇んでいるのが見えた。どうやら、彼は無事なようだ。彼は。
「ああああああ!! 私の八〇〇万がああああああ!!」
ガチャン、とライフルを地面に落して、カグラは絶叫を上げて頭を抱えた。がっくりと地面に膝をつき、今にも泣き出しそうな顔で地面をたたく。
「ここまで来たのに…! 無駄足無駄銭だったなんて…! あんまりだ…あんまりだわ!」
カグラの声に気付いたツキシマは、自分の背後で嘆きを叫ぶカグラを見た。彼女のあまりの錯乱ぶりに、ツキシマは慌ててカグラに歩み寄る。
「アンタ! よくも殺したわね! しかも爆発まで起こして…これじゃ死体すら出ないじゃない! しかも下手したら警察沙汰よ! 脳味噌吹っ飛んで、賞金稼ぎの常識すら区別できなくなった!?」
カグラは立ちあがって、近づいて来たツキシマの胸倉を掴んで泣き叫んだ。賞金稼ぎと言えば、対象の生け取りを条件に報酬が支払われる。死亡した場合は、金額の三分の一。だからこそ、賞金稼ぎとして生計を立てるのは非常に難しいのだ。
怒鳴るカグラを見てツキシマは、ああ、と思いだしたように真っ赤な血に染まった人差し指を立てて、自らのポケットを探る。
そして、怪訝そうな顔をするカグラに、ある物を差し出した。
ツキシマがえぐり取った、フィッシャー・カーンの目玉である。
「いるかこんなもん!」
カグラは怒鳴って、どことなく得意げに眼球を見せつけてくるツキシマの手からそれをはたき落とし、ブーツの底でそれを踏みつぶした。
ぐちゃ、と嫌な音がして、眼球の粘膜がカグラのブーツの底にこびりつく。
生け取りは出来なかったが、死体の一部があれば賞金は出るんじゃないか、と考えていたツキシマは、慌ててしゃがみ、眼球の救出に急いだが、カグラは地団太を踏むようにそれを何度も踏みつぶしたので、残念ながら間に合う事は無かった。
「…わかった。よーくわかったわ。アンタはロクでもない化け物だった。その上、対象を平気で殺しにかかる。利益追求なんか二の次の奴なわけだ」
ふう、と大きく深呼吸して、とりあえず落ち着いたカグラに鋭い目つきで蔑まれ、ツキシマはしょんぼりと肩を落とした。気を利かせて持ち帰った目玉も、カグラにとってはどうでもいいものであったらしい。
「だから、うん。私、しばらくはアンタとコンビ組むことにする」
「……。!?」
急展開すぎるカグラの言葉に、ツキシマは驚きのあまり慄いた。
何故そうなる、というか、その話から何故そう繋がる。と言いたげなツキシマに、カグラはにんまりと笑って答える。
「そんなに驚く事無いでしょ。今回は確かに失敗だったけど、アンタのその強さは目を見張るものがあるわ。正直、アンタと私が組めば、賞金稼ぎとして大金持ちを目指すのも難しくない! シティ住民もびっくりの金を稼いで、私はメトロ一の大富豪になってやるのよ!」
カグラは、乾いた砂で荒んだ夜空を高く指差し、声を大にして言った。内に秘めた野望を、ここまで堂々と宣言されては、ツキシマも言う事が無い。端から、反論する気などは無かったし、その手立てもないが。
「だから、アンタがどんな化け物だろうとどうでもいいわ。その化け物染みた体質が金になるならば、寧ろ最高。アンタだって、何か目的があって賞金稼ぎやってるんでしょ? なら、互いの目的の為に。ね?」
カグラが、目を細めて笑う。大きな黒の瞳が、スッと細められるのは、どうも妖艶で恐ろしい。それが、金に目が眩んでいると知っているから、余計に怖い。
そんなツキシマの心中など知る由もなく、カグラは笑みを浮かべて彼の肩をぽん、と叩いた。
「これからよろしくね。相棒」
ゾッと走る悪寒。昼間、カグラに捕まった時と同様の、なんとも形容しがたい寒気をツキシマは感じた。
鼻歌交じりの軽やかな歩調で、ケイナの待つ車庫に向かって歩くカグラを見つめながら、ツキシマは、フィルター越しで長すぎるくらいの溜息をついた。
また、変なのに捕まってしまった。と、軽くなった頭部を支えながら、ツキシマは諦めたように思った。
*
数日後、喫茶店『Arms』
いつもの指定席に、いつもの時間に着席したツキシマは、背後から、彼の頭を不思議そうに見つめるカグラに困惑していた。
ううん、と唸りながら首を傾げ、手のひらで触ったり、叩いたり殴ったりしながら、カグラはツキシマのフードに隠された頭部を見つめる。
「…治ってる。地面に散らばった脳味噌と頭蓋骨の破片を乗せただけなのに。アンタ、そのフードの中でどんな超再生機能が働いてるわけ?」
カグラの問いかけに、ツキシマは無言で首を傾げた。
実際、本当に知らないのだから仕方ない。ツキシマにとってその再生力は、一般の人間の自然治癒力と変わらない機能なのである。
「ふーん。まあ、いいけど。撃たれても平気なら、便利な事はあっても困る事はないしね」
いざという時は、盾にもなるし。と、カグラは思ったが、決してクチには出さなかった。カグラのそんな心の呟きに感づいてか、若干ツキシマが、怪訝そうな視線を送ってきている様な気がする。
「こりゃまた、小うるせぇのが増えたなツキシマ」
カグラが、ツキシマの向かいの席に着いたところで、苦笑交じりのマスターが、片手にホームメイドクッキーが乗った皿を携えて現れた。
今日は、昨日とは異なるオレンジ色の花柄のエプロンがシュールである。
「小うるさいとは何よ。客が増えたのよ? 経営者として、喜ぶべきなんじゃない?」
「客は増えて、バイトは減った。俺はいつにもまして大忙しさ」
マスターは、クッキーの皿をテーブルの上に置いた。アルバイトが辞めても、ツキシマにクッキーを出す習慣は変わらないらしい。
ケイナは、先日付で『Arms』のウェイトレスを辞めていた。理由は、ツキシマやカグラに迷惑をかけたから、などと言うか弱い理由では無い。
メトロを、広く見たいのだそうだ。
今まで彼女は、ずっと壁の向こう、見知らぬシティに憧れを抱き、シティばかりを見て来た。だから、今度は、自分の産まれた場所でもあるメトロを見て、メトロをシティ以上に愛したいのだそうだ。
そうすれば、きっとシティコンプレックスも克服できる。何より、メトロという場所、自分の故郷に誇りを持って生きていきたいのだと言う。
見るからに警戒心の薄いケイナが、一人でメトロを旅するなど無謀だとカグラは言ったが、彼女の決心は固かった。一見、世間知らずの小娘であるが、意外なところで彼女の意志は強く、頑固であったことにカグラは驚き、結局は『気をつけて』と言って送り出したのである。
「でも、良い傾向だと思う。シティに憧れるシティコンプレックスとしては、それを克服する最大の治療法は、メトロを好きになる事だから」
カグラの言葉に、ツキシマはコクコクと頷いた。
ツキシマの膝に居たコルトが、クッキーの香ばしい匂いに釣られてテーブルの上に乗る。白い皿に載った、バニラの香りのそれを、コルトはその小さな舌で舐めた。
「そりゃそうだけどなあ。まーたバイトの求人出さねえといけねえなあ」
マスターは、ぐっと伸びをして肩を回すと、客の待つカウンターに向かった。この喫茶店は、昼時になるとどっと客が増えるらしい。
「アンタさ、もしかして、ケイナがメトロキングスに騙されてるって、本当は知ってたんじゃない?」
「……」
カグラの質問に、ツキシマはやはり無言で返す。カグラは構わず続けた。
「フィッシャー・カーンを標的として提案してきたのもアンタだし、ケイナと仲が良かったアンタなら、彼女がシティコンプレックスを持っていた事も既に知ってたはず」
ツキシマは、無言でカグラの話を聞いている。カグラは、気にせず続けた。
「キングスのアジトに、文句も言わず着いて来たのは、アンタ自身が既にアジトの場所を特定していたから。私は、アンタを利用するつもりで声をかけたけど、アンタもまた、私を利用してたってところかな」
ツキシマは、頷きもしないし否定もしない。きっと、正解なのだろう。
不思議と、カグラは不愉快に感じなかった。それは、お互いさまであったし、ケイナを助けたい、と思ったツキシマの気持ちも、カグラには良くわかったからだ。
彼女とは、一度しかこの喫茶店で顔を合わせなかったカグラだが、ケイナがいなくなった『Arms』は、とても寂しいと感じる。彼女の花の様な笑顔が、どれだけこの店を彩っていたのかよくわかる。
「問題は、なんでアンタがもっと早いうちに、キングスを潰しにかからなかったのか。まあこれは、アンタにも思う事があったんでしょう」
カグラの言葉に、ツキシマはふと思い出す。
毎日、このホームメイドクッキーを差し出しながら、シティへの憧れを語った少女の事を。あんなに嬉しそうな笑顔で笑う彼女がいたのは、シティへの憧れがあってこそだったのだろう。
彼女に、シティに行く事は絶対に不可能だと無理にでも説き伏せていたら、きっと彼女は、シティへの憧れを絶望に変えて、シティを憎むようになっていたかもしれない。
だから、彼女からシティへの憧れを奪いたくはなかったのである。
ぼんやりと考えるツキシマを見つめながら、カグラは苦笑してコルトが舐めているクッキーが乗った皿を引いて、そこから一枚手に取った。鼻孔をくすぐるバニラの香り。齧ってみれば、サックリと跳ねるような音がして、甘い香りが咥内に広がった。
「うん、美味しい」
カグラは、ニッコリと笑って言った。ツキシマも、どこか満足そうにコクリと頷いた。
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