57 魚拓
人から魔力を受け入れると言うのは、心が通い合っていない場合は苦痛でしかない。言わば電気ショックを受けた様にビリっとした衝撃が身体を走る。
セフィアもミレザ革命で初めて裕介の魔力を受け入れた時には、そうであった。
あの時、実際のところセフィア自身は勇者と言う存在には半信半疑だった。それまで魔力が強いと聞いた男達を集めても、セフィアの作った魔道具を一瞬起動出来るかどうか程度で、この世界の一般人の魔力はその程度だった。それなのに、勇者は強力な魔力を無尽蔵に保有していると言うのだから、眉唾物の話しだろうと思っていた。
ところが、ミステイクの勇者達は念のために持って行った魔道具を、事もなげに使いこなすのだ。それを見たセフィアは、彼らの誰かの魔力を受け入れて革命を成功に導こうと考えた。
その勇者が、一番年が近くて素直そうな裕介だったのだ。
裕介の魔力は、最初こそ衝撃的であったものの、セフィアにとってそれは嫌なものでは無かった。魔力のやり取りには、相性と言うものがある。五感よりも直接的に身体が感じ取る相性だ。裕介のそれは、数度繰り返すとセフィアにとって心地の良い物に変化した。そして、それは短時間のうちにセフィアの感受性をその色に染め上げていき、半年も経てば、セフィアは裕介を自分の運命の人だと思う様になっていた。
セフィアは彼を利用しようとして魔力を受け取り、一方的に惚れてしまったのだった。革命の後、寝ても覚めても裕介の面影を追い求める自分がいて、アリサと裕介の仲に嫉妬する自分がいる。セフィアは自分がなんと浅ましい女だと自己嫌悪に陥り、裕介を忘れようと努力していた。
そのアリサと裕介が、自分が思っていたような仲では無かったのだと気づいたのは、裕介が姿を消した後だった。それならば、自分にも権利があると、想い人がいることを父に告げ、裕介を探し始める。
魔力がなく、勉学に明け暮れ、十七歳で黒髪の淫魔女とレッテルを張られた彼女には、そういう恋愛経験が全くなく、二十六歳になった今でもその方面については中学生並みのスキルしか持ち合わせていなかった。これについては、裕介も同じだったと言えよう。
裕介を探し出したセフィアは、なんとかして、そう、彼を陥れてでも結婚しようと、一芝居打つ。裕介もまた、まんまと陥れられてしまうのだが、さて、いざ二人になってみると、お互いどうしていいか分からない。求めあう心だけが、先走っていた。嫌われたくないという不安が、彼女に夫に対して敬語を使うという言動に現れる。
この世界での男女の性の営みは、魔力のやり取りを伴う。
キス一つでも、唇を介して知らずのうちに魔力が行き交うのだが、セフィアには魔力が無いため、一方的に受け取るばかりとなっていた。裕介は、また知らずに行なったのだろうが、昨夜、身体を重ねることで、セフィアは大容量の魔力を身体に受け取り何度も意識が飛んだ。
それを思い出し、その心地良さに溺れていく自分が少し怖いと思いながら、夫をみる。
「セフィア、せっかくだから魚拓を取ろう」
夫は、どこ吹く風でそんなことを言い出した。
「あっ…! 魚拓と言いましたか? それは、何でしょうか?」
「釣った魚の記録だよ」
「それは、いいかも。記念ですね」
「じゃぁ、セフィアは魚を拭いて綺麗にしておいてくれ。俺は石を拾ってくる」
石を拾ってどうするのだろう? とセフィアは思ったが、夫の言うとおり素直に、自分の釣った魚を綺麗にした。戻って来た夫は、バラバラとテーブルの上に小石を並べると、魔法を使って粘土状に変えた。
「あなた、それは土魔法なのですか?」
金属を液状にする土魔法は見たことがあったが、石を粘土状にするような器用な土魔法を見たのは初めてだった。
「そうだよ、俺の能力だ」
「すごい!」
セフィアは改めて、勇者の妻になったのだと思った。
「じゃぁ、セフィア。次はこの粘土板に魚を押し当てて」
「はい」
セフィアが魚を粘土板に押し当てて型を取っている間に、夫は銅貨で作った別の小さな粘土板に文字を掘っている。
『一六六六 ザブル川 釣り人 セフィア』
「うふふ!」
それを見てセフィアは、また嬉しくなった。
魚を外すと、綺麗に魚の形に型が抜けている。それでも夫は、鰭の細かいところなどを修正し、粘土板を石に固めた。
「銅でいいよな?」
「あっ、はい」
石になった粘土板にまた粘土で縁取りをして固め、クリーンナップした銅貨を山になるほど結構な量、粘土板の上に置き今度は銅貨だけを液状化した、そして固化して外すと、セフィアの釣った魚が原寸大の見事なレリーフになった。文字を掘った粘土板を下隅に貼り付け固化して、完成と思いきや、まだ夫は拾ってきた石の中から、黒い石を取り出して、液状化し、文字に流し込んで、表面を布で拭い、固化した。先ほど掘った文字が黒くはっきりとなった。
「うん、これで完成だ!」
「ずいぶんと器用に魔法を使うものですね。羨ましくなります」
「わはは、五年間、土木工事から釣り鍼の作成までみっちりやり込んだからな。もはや職人芸だろ?」
「はい、随分と拘るものだと感心しました」
「そりゃ、妻への初めてのプレゼントだからな」
「えっ! もう一度、言ってください!」
「妻への初めてのプレゼントは、当然、拘るよ」
もうだめだ、セフィアは、その心地良い言葉で夫に抱き付いてしまった。
「大好きです!」
またキスを交わす。
四十五センチの魚の原寸大のレリーフは大きい、きっと実家で飾っても見劣りしないだろう。
セフィアは既に、裕介と二人で世界に釣りの旅に出る夢をみはじめていた。




