12話 難儀な日常
長い道のりの果てに着いた孤児院。帰宅早々、血塗られた服と身体を風呂で洗い水浸しの服を干す場所を探していた所で、彼女はやってきた。
「あ、ソウさん。おはようございます」
「はい、おはようございます」
起きてきたばかりなのか、寝間着姿のメルルが庭先にあった。彼女の浮かべるその柔和な笑顔は、やつれた気分が吹き飛ぶような心地。正に僕にとっては特効薬である。
少しでも帰宅する時間が遅ければ見れなかったであろうその姿に、誰かにという訳もなく感謝の念だけ抱く。それと同時にここまでの経緯が、意図せず脳内で振り返られていった。
魔物を倒した後、僕は己の右腕の惨状に顔をしかめながらも、早く帰宅しなければメルル達に心配を掛けてしまうと街へと急いでいた。普通ならば傷の方が先決だろうが、僕には一つ解決法と成りうる手段を思い付いていた。
それは赤毛の少女を救う際に発現した、奇跡とも呼べる力。
僕が止まれと願った時にその効力を発揮した、時間が止まる、という力。正確には時間が止まるという効力ではないのかもしれない。そもそも僕の切望によるものですらないのかもしれない。だが、偶然にしては些か都合が良すぎるような気もする。彼女が行ったと言われればそれまでだが。
それでも誘発されたかのように感じた頭痛が、その現象は僕の願い故だと証拠付けているように感じた。小さな希望ではあるが、可能性がない訳ではないと信じた僕は、出血を少しでも抑える為に左手で右腕を上げ、小走りで街へ向かうという不格好を晒しながらも、再び願いを心の内に唱えた。
何時ものように目にしていた自身の右腕が、今もそこに健在していると。傷など無く、自由に動かせるそれが存在していると。
ただひたすらに、想像を現実に重ね合わせた。
すると危惧していたように、期待していたように鋭い頭痛が発生し、次第にその痛みは強さを増していった。もしかしたらこれで治るかもしれないと希望を抱いた。
だがその痛みは激痛へと昇華し、足を動かす余力も、右腕を心臓の位置よりも高く保たねばならないという理性に基づく行動を継続させる力さえも、消え失せてしまった。辛うじて倒れ込む事だけは回避できてはいたが、それでも膝を地面に付かなければ意識を持つ事すらままならない程。思考など痛みの前では無意味であった。
体感では決して短くない時間の間、激痛と格闘していた僕。流石に意識が保たないと、力が抜けていく状況に歯噛みしていたその時、今までの事柄が嘘であったかのように突如として痛みは消え去った。
それを知覚すると共に、視界に映る光景に意識を向けると、傷一つ無い肌がそこにはあった。
一応、試みは成功したという状況に不満は残るも納得した僕は、中断させられていた街への歩みを再開した結果が現状である。
随分と気分の優れない経緯だと内心溜め息を吐きながら、それは表には出すまいとメルルに微笑み掛ける。
「えっと……どうしてこんな所に?」
「眠気覚ましに……あ、ごめんなさい。私、こんな格好で」
僕としては彼女が寝間着姿で外に出てくる事が意外で、そう疑問を口にしてしまった。
単なる第一印象から想像した自分勝手な妄想に過ぎないのだから、彼女がどんな姿で眠気覚ましに外に出ようが、僕がいちいち口出しする事ではなかったと反省。孤児院の周囲は他の住居は存在しない上、木々が生えており視界が通りにくいというのだから、それほど気にしないでも良いのだろう。
だが彼女は僕の余計な一言によって、寝間着で人前に出ているという事に気付いたのだろう。自分の体を抱くように、腕で服を隠している。半分ほど顔を出した太陽が、彼女の赤く染まった頬を照らす。
申し訳ない事を言ってしまった事に対しての償いとして、月並みではあるが彼女の姿を褒める。とは言っても、決してその言葉に嘘は無く、本心からの本音である事は言うまでもない。
「いえいえ、とても似合ってますよ」
「あ、ありがとう……ございます」
更に赤く染まった顔を見せたくないのか、俯き気味顔から、か細い声が聞こえる。僕も気恥ずかしさを感じるが、未だに気疲れも感じていた為に相殺された形で恥ずかしさと気疲れは消えた。
「朝食……作ってきますねっ」
メルルも多少気恥ずかしさが治まったらしいが、依然としてほんのりと顔を赤らませる彼女は、朝食の準備という名目で玄関へ向かう。
「僕も手伝いますよ」
「はい! ありがとうございますっ」
遠ざかる彼女の背中はとても華奢だ。そんな彼女に寝起き早々、あまり負担を掛ける訳にはいかないと声を掛ける。それに反応した彼女は、日差しのせいか純白に見える髪をひらめかせると共に、純真無垢そのもののような笑顔を振り撒いた。
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朝食の準備を終え食卓に色彩豊かな料理が並べられたところで、子供達の起床時間を迎えた。
小さな子供達は朝から元気いっぱいに広間を駆け回り、それを寝ぼけ眼で眺めて食卓の席に座る、思春期真っ盛りな少年少女達。中には起床時間前には起きてきて、メルルの手伝いをする子達も居た。
残念ながら、というのは表現が違うような気もするが、メルルの手伝いをする子供達の中にはあの赤髪の少女も居た。
メルルが朝の挨拶をした際に耳にした彼女の名前はラナ。名字の部分までは分からないが言わば同居人である為、その内知る機会もあるだろう。取り敢えず僕はまだ挨拶は済ませていないので少しでも仲を深めようと、手伝う事がなくなった今が好機と、進んで挨拶をする。
「ラナ、さん? おはようございます……」
「……」
無視させるだろう事は予想の範疇に入っているが一応挨拶を試みる。だがやはり僕に対しては澄まし顔で無視された。こうもあからさまに居ないものとして扱われるのは、結構傷付く。
何故嫌われているのか分からず彼女に対する自分の行いを省みるが、そもそも初めからこのような扱いを受けていた事に気付く。だとしたら男嫌いだろうか。それにしてはメルルに対してもあまり良い態度とは言えないものだった。
「────ソウさん?」
「へ?」
「大丈夫です? 何度か呼んでいたんですが……反応しないので心配したんですよ?」
突然、目の前にメルルの顔が現れた事に驚いて我に返る。どうやらメルルの話を聞き流してしまっていたようだ。本当に心配そうな顔で顔を覗き込んでくるものだから、恥ずかしさよりも罪悪感が勝る。
「ご、ごめんなさい。大丈夫です」
「大丈夫なら良かったです。それで昨日はよく眠れましたか?」
「は、はい。おかげさまで」
そう言えば昨日の夜は、セルナの理解しがたい行動があったなと思い出してしまい、頭を振って雑念を振り払う羽目になった。その元凶である彼女はというと、まだ寝ているのか食卓にその姿はない。
出来る事なら昨夜は何事もなかったかのように接して欲しいものであるが、彼女の性格からしてからかわれるのは最早確定と言ってもいいかもしれない。この判断も第一印象からのものであるが故に、早計かもしれないが。
「それなら良かったです……あの……ソウさん。早速で悪いのですが……この後、護衛をお願いしてもよろしいでしょうか?」
弱々しい小動物を彷彿とさせる、赤面の至りのような表情でお願いをしてくる。背筋が震える思いをしたばかりで気が進まないのだが、約束は約束だ。それを違える事は許されない。生きる術でもあるのだから怯えていてはこの先やっていけないのだから、気丈に振る舞い請け負う。
何よりメルルの表情を目の当たりにして、この娘の役に立ちたいと思えた。
「もちろんいいですよ」
出来る限り気概が良く、動揺を見せない返答を心掛ける。効果がどうかは分からないが、満足そうな笑みを見る限り問題なかったのだろう。そう安心したところで。
「あら、私も連れて行って貰おうかしら?」
横から話に入ってきたのは、僕が苦手とする性格の持ち主であるセルナだった。やはりまだ寝ていたらしく、蒼く長い髪は少し乱れている。姿を視認した際、反射的に苦手だなという感情が顔に出そうになるが、意識して笑顔を留めた為に表情として出力される事は避けられた。避けられた筈なのだが。
朗らかに此方へ笑いかけてくる様は、見透かされていると錯覚するには充分だった。
どうやらこの人は、僕にとって苦手な人であるらしい。




