戦場に舞う死の影
激戦の最前線、本部へと帰還した蒼真とポンを待っていたのは、塗り替えられた戦場の姿だった。
空を覆う異様な重圧と、断末魔が響く大地。
絶望の断頭台へ向かって、今、運命の歯車が回り始める。
戦場に降り立った蒼真たちの瞳に、凄惨な蹂躙の光景が映る。
すでに副隊長たちが三つの影――精鋭『葉級』と激突し、戦局は最悪の様相を呈していた。
さらに上空からは異質な重圧を纏う華月と華酒が舞い降り、戦場を支配せんとしている。
蒼真は即座に指揮を執る天音の姿を見つけ、訓練生たちと共に駆け寄る。
「天音隊長! 訓練生一同、帰還しました!」
蒼真の報告に、天音は鋭い眼光を戦場の彼方へと向ける。葉級に足止めされ、窮地に立たされつつある副隊長たちの姿を確認すると、即座に命を下した。
「……遅かったわね。だが、よく戻ったわ!」
天音は迷いなく、戦場の各所を見据えて指示を飛ばす。
「各副隊長が孤立している。援護に向かいなさい! 迅、桜宮を。湊、紅谷を。白石、藤咲の援護へ! ――そしてポン、蒼真。二人には特命を任せるわ」
天音が戦場の端を指し示す。そこは他の場所とは明らかに異質だった。世界そのものが歪むような、悍ましいほどの「不気味な気配」が澱のように溜まっている。
「そこから、この戦場には似つかわしくない嫌な気配を感じる。二人で確認後、何もなければ他の隊員達の援護をお願いします。――二人で戦場を繋ぎ止めるのよ、いいわね!」
「「「御意!」」」
天音の号令と共に、彼らは激戦の渦中へと飛び込んでいく。
迅が桜宮のもとへ、湊が紅谷のもとへ、白石が藤咲のもとへ。
そしてポンと蒼真は、戦場の空気を歪めるその不吉な気配へと、覚悟を決めて足を踏み入れた。
硝煙が濃く立ち込めるその場所は、周囲の熱気とは裏腹に、氷のように冷え切った静寂に包まれていた。
地面に咲き誇るはずの花弁は悉く黒ずみ、泥の中に埋もれている。
ポンは副隊長としての鋭い勘を研ぎ澄ませ、気配の源を注視した。蒼真もまた、その背後で腰の刀に手をかけ、臨戦態勢をとる。
「……嫌な予感、当たってしまったな」
ポンの低く静かな呟きが、冷えた空気を震わせた。
爆煙の向こう側、漆黒の澱みが渦巻く場所にいたのは
――華酒だった。
彼女は片手に薬品が満たされたフラスコを模した酒瓶を携え、それをラッパ飲みしながら、どこか愉悦に満ちた表情で二人を眺めていた。
口元を拭い、妖しく目を細める。
「あら、華月が言ってた坊ちゃんかしら? いやん、随分と勢いよく駆け込んでくるじゃない」
華酒は酔ったような足取りでふらりと近づくと、フラスコを小気味よく振った。その中身が怪しく発光する。
「……実験には最高の材料ね。ねえ、そこの副隊長さん、貴方のその魂、ちょっとだけ分解させてもらえないかしら? どんな風に絶望が混ざり合うか、見てみたくてたまらないのよ」
「……蒼真、油断するな」
ポンは一歩前へ出ると、その背中で蒼真を庇いながら、鋭く警告を飛ばす。副隊長としての冷静な判断力が、目の前の女が放つ異常な圧力を弾き出していた。
「こいつは、今までお前たちが相手にしてきた敵とはわけが違う。まともに戦おうなんて考えるな……命がいくつあっても足りないぞ」
ポンは武器を構え、その瞳に静かながらも確かな闘志を宿した。
天音の予感は的中した。副隊長たちの戦いとは別の次元で、ポンと蒼真による新たな「地獄」が、華酒の愉悦と共に音もなく動き出そうとしていた。
*
一方、副隊長たちの戦区。三体の『葉級』に対し、三人の副隊長がそれぞれ個別に戦いを繰り広げていた。
まず動いたのは藤咲撫奈(撫子隊)だった。
「……貴方たち、汚らわしいわね。早く消えて頂戴」
蝶が舞うような軽やかな足取りで間合いを詰めると、撫子隊の真骨頂である華技『撫子乱れ咲き・刹那』を繰り出す。毒を含んだような鋭い斬撃が、逃げ惑う『葉級』の一体を花弁のごとく切り刻み、跡形もなく消し去った。
次に、桜宮静(桜隊)がゆらりと一歩前に出る。
常に半眼で、どこか覇気の欠けた表情だが、その佇まいには底知れぬ凄みが宿っている。彼は懐から無造作に刀を抜くと、敵の動きを完全に見切ったかのような静止を貫いた。
「……そこ、だ」
桜隊の華技『桜花爛漫・零ノ太刀』。抜刀したのかさえ視認できないほどの神速の居合いが、敵の首を正確に両断する。桜の花びらのような残像だけが宙に舞い、敵は崩れ落ちた。
残るは一体。
紅谷玲(薔薇隊)は、返り血が自分の制服に一滴かかったことに眉をひそめ、白いハンカチで執拗に指先と愛刀を拭い続けている。その瞳は冷たく澄んでおり、美しくもどこか狂気を孕んだ微笑を浮かべていた。
「……汚い。本当に、最悪の気分だ。君のような不潔な存在は、この世から速やかに排除されるべきだ」
吐き捨てるように言い放ち、紅谷が薔薇隊の華技『深紅の茨・処刑台』を構える。まさに最後の一体を優雅に蹂躙しようとしたその刹那だった。
音もなく上空から舞い降りた華月が、戦場の中心で冷酷に言い放つ。
「無能な葉級ね。邪魔だ」
華月が放った不可視の凶刃が、紅谷が仕留めようとしていた『葉級』の背を貫通し、そのまま勢いを殺さずに紅谷の胸元へと直進する。敵ごと味方を消し飛ばすという、あまりに無慈悲な攻撃。
「――っ!?」
反応する間もない速さ。紅谷が死を覚悟したその時、白石の華技『撫子の誓い』で全身を薄紅色の闘気に包まれた湊が、紅谷を突き飛ばして割り込んだ。湊は愛用の刀を十字に構え、その身一つで華月の不可視の一撃を受け止める。
「ぐぅッ……!」
凄まじい衝撃に、湊の足元の大地が砕け散る。湊の背後から迅が躍り出る。
「あの時とは違うぞ……ッ!」
彼はあの日の悔しさを糧に研ぎ澄ませた刀を振り上げ、華月の首筋へ渾身の一撃を叩き込んだ。
しかし、華月は視線すら向けない。
ひらりと指先を動かしただけで、迅の刃はまるで鋼鉄の壁に阻まれるかのように、虚空で軽々と弾き飛ばされた。
「……随分と威勢がいいな。だが、吠える犬に用はない」
華月は冷ややかな瞳で、地面に叩きつけられた迅を見下ろす。そして、なおも刀を構えて立ち塞がる湊へと掌を向けた。その掌の先には、先ほど以上の質量を伴った「死」が渦巻いている。
「――っ、ぐぅッ!」
湊が白石の華技『撫子の誓い』を限界まで引き出し、全身を薄紅色の闘気で覆う。
背後では紅谷が「汚らわしい……」と吐き捨てながらも、極限の集中力で愛刀を構え、藤咲と桜宮もまた、再びの死闘に向けて鋭い殺気を研ぎ澄ませていた。
一方その頃、数キロ先――毒の霧が渦巻く極限戦区では、蒼真がポンと共に華酒と対峙していた。
「くっ、ポン、下がれ! こいつの気圧は俺たちが吸っている酸素すらも……っ!」
「蒼真……! でも、逃げ場なんてねぇぞ!」
華酒は面白そうに、その白く細い指先を弄んでいる。
「あら、焦らないで。貴方たちを一番華やかに散らせる舞台を、今用意してあげるわ」
二つの戦場で、同時に時が止まったかのように緊張が張り詰める。
湊は折れかけた刀を構え直し、隣に並ぶ副隊長たちへと鋭い眼光を向けた。
「全員、聴け! 奴の心臓を射抜くまで、誰一人として膝をつくな。行くぞ!」
同じ瞬間、蒼真もまた、体内を駆け巡る未知の熱量を右手に集中させていた。
「ポン、お前と俺で……あいつのその余裕、叩き潰すぞ!」
遠く離れた二つの場所。だが、その殺気は共鳴し、断頭台の幕が上がる。
「「――今だ、突撃くぞッ!!」」
副隊長たちの叫びと、蒼真の咆哮が、同時に夜の戦場を切り裂いた。
戦場の空に漂う鉄と花の匂い――。
紅い月と毒の霧が交錯する今、副隊長たちの誇りと、新たな光を宿した若き力がいま激突する。
華月と華酒、二つの「死」が支配するこの断頭台で、果たして彼らが掴み取るのは勝利か、あるいは更なる深淵か。
刃と命が擦れ合う音が、次の狂宴の幕開けを告げている。




