LV22「ガボガボ」
「おお、こりゃあ誰もいねぇかと思いきやとんだところでとんだ馳走だぜ」
現れたのは四人のオークだった。オークとは豚型の亜人である。種族の特徴としては豚の頭部を持った大兵肥満、性、粗雑にして直情径行で知られていた。
鼻先をぶん殴るような強烈な獣臭を撒き散らすオークの登場に普通の旅人ならば警戒心を露にするのが普通だが、蔵人はこういう輩に慣れっこであった。
「こりゃあ小奇麗なシスターじゃねぇか。けへへ、こいつはツキがあるってもんよ。ちっとばっかりおれらにも火ィ分けてくれねぇか」
蔵人は素知らぬ顔で焚火の燃えさしをかき混ぜながら、アシュレイをこの先どうやってモノにするかを思った。
――オークはどこにでもいる。
あきらかに蔵人のことを無視している。狙いはアシュレイであることは明白だった。このように人気のない山間部で女に見境のない種族で知られるオークと同席など普通の冒険者からすれば言語道断の行為である。
「構いません。クランド、彼らのために場所を空けてください」
「な――!」
それだけにアシュレイの言葉に蔵人は絶句するしかなかった。オークたちも最初から拒否されると思っていたのだろう――。
アシュレイの言葉を聞いて呆気に取られていたが、やがて好色そうな顔つきで涎を垂らしながらそろって哄笑した。
当然だ。オークたちからすればアシュレイから「ひと晩共に楽しみたい」と返答されたのと同義なのである。
勢い、オークたちからは自然と馴れ馴れしさが生まれ蔵人はあからさまにグイと押しのけられて焚火から遠ざけられた。
「おいおいおい、なに考えてんだよ。つーか、もしかしてアシュレイちゃんはそっちのほうはグッと砕けてなんでもいけちゃう系?」
「なんの話をしておられるのでしょうか」
「おい兄ちゃん。シスターはおれらとしっぽり楽しみたいんだとよ。ま、明日の朝になったら解放してやるから、そこいらでひとり虚しく慰めてろや」
オークは座っていたアシュレイの肩に腕を回すと闇の中で鈍く光る牙を揺らめかして勝ち誇ったかのように笑った。
「この手はどういうおつもりでしょうか」
「おつもりもなにも、これからおれたちと仲よくしようや。な?」
「私は共に火にあたり暖を取ることを許可しましたが、このように触れることは許しません」
「なにを抜かしやがる! おれらが優しく言ってる間にとっとと言うとおりにしろや!」
オークが怒鳴った。
次の瞬間、その口から刃が生えた。
「が――は?」
刃が生えたわけではなかった。
正確には――。
オークの後方に立っていた蔵人が長剣を後頭部から口腔までを貫通させていたのだ。
「あんま調子乗ってんじゃねぇぞ焼きブタどもが。俺の苦労を水の泡にしやがって!」
蔵人が素早く長剣を引き抜くとオークの脳天と口元から鮮血がドッと溢れ出た。
「いきなりなにを――」
「俺サマを怒らせた罪で死刑だ」
蔵人は中腰になっていたオークの肩を蹴りつけて体勢を崩すと両手に握った長剣を躊躇なく叩きつけた。
頭蓋を切り割られたオークが絶叫を響かせて横倒しになる。蔵人は、トドメとばかりにオークの背中から心の臓を突き刺した。
「次ィ!」
激情が収まらない蔵人が残りを片づけようと鼻息荒く立ち上がるが、残りのオークは悲鳴を上げながらその場を駆け去っていた。
鼻に強烈なシワを寄せながら憤懣やるかたなく蔵人は舌打ちをした。
「なにを、怒っているのですか?」
不思議そうに問うてくるアシュレイを前に蔵人は脱力した。
「あのなー。アイツらは火を借りるとかこつけてアシュレイを狙ってたんだよ」
「狙う?」
蔵人はアシュレイの耳元に口元を近づけると、それこそ彼女が一生涯想像することはないであろう下劣極まりない行為のあれこれを吹き込んだ。
「な? ヤバいだろ」
微かに呟いて顔を離す。即座に蔵人は身体が宙に浮き上がって後方の巨木に身体を打ちつけた。
「なんということを――! 正気なのですかっ?」
――効いたぜ、いまのは。
アシュレイが甲高い声で怒鳴っている。蔵人はズルズルと落下して頭を地面に打ちつけたときに、ようやく自分が突き飛ばされたことを理解した。
「だからさ、よく知らない人と安易に仲よくしちゃダメってことさ」
倒れたまま蔵人は人差し指を立てて一般的な意見を述べた。
「でしたらクランドにも気を許すことはできませんね」
「俺とはラブラブでしょうよ?」
アシュレイはお姉さん座りをしたままぷいとそっぽを向いている。
――いかぬ。これでは計画がおじゃんだ。
蔵人があたふたしているうちにアシュレイは谷川に水を汲みに行くと言ってその場を離れた。
「考えろ考えるんだマクガイバー。このくらいの窮地はいままでいくらでもあったじゃないか。そのたびに俺は知恵と努力で切り抜けてきた。そうだ! なにか、ないのか。なにか!」
蔵人は背負っていたザックをガサゴソと猛然と焦りだすと、あるものを見つけ激しく呻くと凍りついたように硬直した。
だが、時間が停止したわけではなく、その証拠に焚火はパチパチと音を鳴らして静かに燃え続けている。
ほのかな火に蔵人の浅黒い顔が照らされたとき、彼の丈夫で真っ白な歯がニッと光った。
しばらくして――。
無言で水筒を携えたアシュレイが戻ってきた。蔵人は営業のようなジャパニーズスマイルを顔に張りつけたまま「まぁまぁ」と曖昧な口調でアシュレイを座らせ手にしたカップを勧めた。
「これは?」
「松葉茶だ。スッキリするし身体が温まるぞ」
「はぁ」
「いや、なに。さっきはアシュレイに対して配慮がない物言いをした。悪かったよ、ごめん。詫びと言ってはなんだが、我が故郷に伝わる茶で身体を労わってほしい。旅はまだ続くからな」
蔵人が両膝を地に着けたままぺこりと頭を下げるとアシュレイの目が大きく見開かれ、居心地の悪そうに泳いだ。
「その、さっきの言葉は不埒でしたが、あの亜人たちから私を救ってくれたのはクランドです。少し大人げない態度を取ってしまいました。これで仲直りとしましょう」
「うんうん」
「ん。スーッとしていい気分です。とても美味しいです。ありがとうございます」
「なんのなんの」
「なにか身体がぽかぽかしてきました」
アシュレイは目をとろんとさせて頬に手を添えている。蔵人は生真面目な表情を作りながら胸中で高笑いしていた。
「そうか? 夜は冷えるぞ。もう一杯どうだ」
「では、いただきます。ん、なんというか癖になるような味ですね」
「そーかそーか、遠慮しなくてもいいぞ、いい飲みっぷりだ」
んっんっと喉を鳴らしてアシュレイが茶を飲み干す。
――オラ、ワクワクすっぞ!
「なにか、頭がポーッとします」
「なんだと。それじゃあダメ押しにもう一杯」
アシュレイは握らされたカップに注がれた茶をさらに呷った。
「なにか、おかしな気分です」
――たりめーだ。一服盛ったからな。
まさに外道である。
蔵人が松葉茶に混ぜたのは無味無臭の特殊酒精であった。これは水に混ざると覿面に効力を発揮し、短時間でほろ酔いにさせる錬金術士の作った薬剤である。
もっともアルコール度は低い。栄養ドリンクに含まれる量より若干多いという程度だ。
蔵人はもとよりこれでアシュレイを酔い潰すつもりは毛頭なく、もうちょっとだけ砕けた雰囲気にしてあとは自力でなんとかしようとその程度のことを企んでいた。
「なにか、愉快な気分です」
ほうっとアシュレイが色っぽくため息を吐いた。艶やかな唇が炎に照らされて、いっそう赤く見える。意識がぼんやりしてきたのか、よろりと上体を崩してなんとも妖艶であった。一方、蔵人は渇いた獣のように舌を放り出して激しく喘いでいた。
「すごく、いいきもちです……」
「おうおう、それじゃあちょっと突っ込んだ話をしようや」
「なのでクランド。あなたもこれを飲みなさい」
「は――?」
仮面の奥でギラギラ光るアシュレイの瞳は完全に据わっていた。
「ええ、いや。俺はお茶は別に」
「まあ、いいではないですか。私が作ってあげましょう。さ、お茶のもとを――」
「いや、マジでいいから」
「さ、グッと」
「んじゃ、ま」
蔵人は酒はそれなりに強いので、このような微量な成分で酔うはずもない。さらに言うと、ドンドンと鍋に水を足していくので酒精の成分は薄まっていき、ただの茶になりつつあった。
酒ならばともかくただの茶をガブガブ飲めるはずもない。
アシュレイは蔵人がカパカパ飲んでも一向に態度を変えないので気分を害したのか、次第に声と態度が傍若無人になっていった。
「おかひいですね。このお茶を飲むときもひがよくなるのれすに。のみがたりまひぇん」
「おい、呂律が回らなくなってるぞ。そのくらいにしといたらどうだ」
「それじゃあ、これでゆきまひょう」
「お、おい。鍋一杯に茶を作ってまさかこれを飲み干せっていうんじゃ」
「さあ、わらしのおひゃがのえないとでもいうんれすか!」
「アイアンクローはやめてっ!」
――こいつ酒乱だ。
蔵人が無理やり茶を腹がガボガボになるまで飲まされたのはいうまでもなかった。




