LV21「野営」
ブルトン帝国は広大な大陸に存在するロムレス王国と違い島である。四方を海に囲まれ、わずかな交易船が往来する以外に、ほぼ、外界との通信を遮断されており、その結果ロムレスとは違い小さな覇者により小さな帝国による統一を実現させていた。
帝国の名を冠しているブルトンであるが、その総兵力は二十余万とロムレスでは肥沃な一州を抱える貴族よりも少ない。
この地がロムレスをはじめとする国々から攻められなかったのは、大陸と島を隔てる海峡とブルトンが誇る精鋭ともいえる海軍力のおかげだった。
ブルトンの兵の半数は海兵だ。船を操って戦うことに関していえこの世界で最強である。島国に攻め込むため多数の兵を送ったとしても、伝統的に海戦に秀でたブルトンを破ることは歴史上一度も成功しておらず、そのために島自体を無視することで大陸人は誇りをまっとうした。
一方、この島の可住地は割合的に酷く少なかった。平野は全面積の三十パーセント程度であり、山岳地帯が多い。この割合は日本に酷似していた。
プリニスを出発した蔵人とアシュレイは春迷宮のあるローシュの街に向かったのだが、その途中には連なり合った凸凹の激しい山塊を超えることが、前提条件として存在した。
アシュレイはプリニスからローシュまで徒歩で二日と言ったが、実際は峠を越すために丸一日はかかる行程である。普通ならば山を越す時点で夜になるので、その手前の村で一泊するのが普通であるが、脚の強い蔵人は気にせず通過した。アシュレイはほぼ空荷であるが蔵人は物資の詰まったザックを背負っていた。重さは五十キロ。並の登山家ならばまずまずといった重さであるが、ザックそのものは現代人の使いこなす重さを軽減するシステムがある最新のものではなく、昔ながらのキャンバス地である。
だが、重量物を運ぶことに慣れた蔵人はこのザックを背負ったまま楽々と山の傾斜を超えて行った。プリニスから四十五キロという距離を蔵人は四時間で歩き切った。ほとんど汗もかいていない。平地ではなく半分以上が険しい山道なのである。整地された現代の登山道とはまるで違う。文字通りの獣道だ。驚異的なスピードであった。
「そろそろ暗くなったな。ここで夜明かしするか」
「ええ、そうしましょう」
アシュレイも女性としては頑健な身体をしていた。修道院で鍛えた格闘術と生来の負けん気もあってか疲れをほとんど見せない。
蔵人は山から落ちた枝を手際よく拾うと火を焚き、鉄製の飯盒で食事の用意に取りかかった。
「あ、私に任せてください」
「いや、疲れてるだろ」
「重い荷物はクランドがすべて持ってくださっているのです。食事の用意くらいしないと私も落ち着きません」
「そんじゃあ任せるよ」
手慣れた様子でアシュレイがスープや粥を作ってゆくの蔵人は膝小僧を抱えながらニヤニヤ顔で見つめていた。
「なんだ、お嬢さまって聞いてたからなんもできんかと思ってたんだが、上手いもんじゃないか」
「修道院では自分のことは自分でやりましたから。身の回りのことはひと通りできます」
「そいつはすんばらしい。アシュレイちゃんはこれでいつでも嫁にゆけるな」
「……」
「ど、どしたん?」
「いえ、つい最近婚約破棄されたことを思い出しまして」
(し、しまったあ――!)
「あ、あはは。ま、まあ、アレじゃん。過去のことは忘れてさ! アシュレイは美人だからすぐにいい人が見つかるって。たとえば俺っちとか? だはは」
ズーンと暗くなったアシュレイの陰鬱なオーラに蔵人は焦りながらフォローを入れる。
(い、いかーん。せっかくのふたりきっりなのに、これではヤレる雰囲気作りが……!)
蔵人の考えでは共に志を同じくしたふたりは誰もいない人里離れた山中で寒さを凌ぐために肌を寄せ合い、流れでひとつになるはずであった。
(それがッ、なんでこんなふうにッ、神は死んだッ!)
「どうしたのですか、そのように急に爪を激しく噛みながら」
「いやぁ、なんでもない――」
しばし黙って焚火を見つめ合う。
ふと、ぽそりとアシュレイがひとり言のようにこぼした。
「なぜでしょうか。火を見つめていると心が落ち着きますね」
「んあ? まあ、そうだな。焚火には癒し効果があるんだ。火を眺めていると精神的に安定するのは、こいつにいわゆる『1/f』ゆらぎ、があるからさ」
「ゆらぎ……?」
「人間の心臓の鼓動は機械と違って一拍ごとに速くなったり遅くなったりする。厳格な規則性のあるものよりも、ゆらぎのある火のリズムがヒーリング効果を得ることができる。ゆらぎがなければ、快適性を人間は感じないようにできているんだ。この焚火がよう、ガスコンロみたくずっと一定の火力で燃え続けていたら、とてもじゃないが長時間見続けてはいられないだろうな。規則的な動きは息苦しい。要するに人間には厳格さよりもときにはテキトーさが必要ってことだよ」
沈黙に気づき蔵人が視線を向けた。
だが、アシュレイは感心するような目でジッと蔵人の顔を見つめていた。
「無学な私には難しくてよくは理解できませんでしたが、クランドはずいぶんと博識なのですね。正直、驚きました」
「おっと知的な部分を垣間見せてしまったかな、惚れんなよ?」
「そういうところがなければもっとよいのですが」
「ほっとけ……」
焚火の燃えさしを木切れで蔵人が混ぜっ返そうとした瞬間だった。暗い森の木立の間からガサゴソと音を立ててヌッと大きな四つほどの影が這い出してきた。




