2話.見参、潮田ノゾミ
――同日、夕方。
匿事一課の日暮は、机に突っ伏していた。
寺嶋の移送手続きが完了し、休息を取ることができた。
早朝から目紛しく働き、ようやく訪れた束の間の平穏を噛み締める。深く息をつき、事切れた人形のごとく机に倒れ込んだ。
書面上の手続きのあと、寺嶋はどうなったのだろうか。
疲労による弱音より先に、寺嶋の顔が日暮の脳裏をよぎった。
声で虚勢をはり、
周囲に心配されないよう、明るく振る舞う寺嶋の姿に、数ヶ月前の自分を重ねていた。
日暮は、机に触れる頬を使い、机上に八の字をゆったりと描いた。
冷たさが心地よかった。
「――大丈夫かな」
呆然と本棚へ目を向けると不意に、目の前に影が差した。
「なんの心配してるんですか、日暮さん」
目線をあげると、白髪ショートの少女が顔を覗き込んでいた。
少女の名は、潮田ノゾミ。
日暮と同じく匿事課に所属する14歳。
先程の捜査には加わらなかったが、何か別の用件があったのか。
彼女を目にした日暮の頭を、その事が真っ先によぎった。机から体を起こし、頬杖をついて潮田に語りかける。
「今日、ずっと捜査室にいたんですか?」
「いや、上に呼び出されてた」
何観ていたんですか、
――といつもおちょくられている仕返しをしようとしたが、予想の斜め上をいく返答に拍子抜けする。
いつもみたいに、趣味スペースで動画鑑賞をしていると思っていた。
「――口開けてどうしました?
変なことしてたと思ってたんですか?」
きょとんとした顔で、潮田がこちらを覗き込む。口を動かす前に出鼻をくじかれ、日暮は言葉を失った。
なんて続ければいいんだ。
日暮は、都合のいい言い訳を脳内に羅列し始めた。
『聞いてください。
今日の現場の所轄が、セクハラしてきたんですよね』
いや違う。
『今日も朝から疲れました』
これも、違う。
『具合大丈夫ですか?顔色悪いですよ』
――いや、これもダメな気がした。
次の言葉を探すために、潮田の顔へ目線を合わせた。
恐らく、してやったりとでも言いたげなニヤケ面を浮かべているであろう。目を開けるのが恐ろしい。
だが驚いたことに、潮田も日暮と同様に目を丸くしていた。
「――俺の顔になんかついてますか?」
「いや、なんでもないです。
それより、今回の事件概要の説明と見解を教えてください」
日暮は、目を逸らされたことに違和感を覚えながらも、概要説明と自身の見解を語りだした。
資料をめくる日暮の目の色が変わった。
◇
◇
《資料① 世田谷町のっぺらぼう捜査概要》
1. 日時
2044年8月17日水曜日(旧昭和118年)
2. 場所
東京区画、世田谷町○○商店街
3. 担当
日暮レイ
4. 概要
被害者2人の保護、
水城ユタカ(35歳)。
寺嶋ヤスフミ(35歳※仮)、のっぺらぼう。
5. 所見
・聴取書から、両者は旧知の仲であったと推測される。
・寺嶋の行動(被害者に対する接触)は、加害目的ではなく、自身の存在を確認するための接触であると考えられる。
・水城に、寺嶋の記憶の保持は確認されなかった。
・寺嶋が視覚の違和感(糸状のものが見える)を訴えていることから、身体に何らかの変化が生じていると推察される。
・現時点で、のっぺらぼうの型番は判断困難。
※変化の原因を突き止めることで、型番を判断できると考えられる。
6. 備考
・両者の関係性が、水城の回復の鍵になる可能性がある。
・現時点で回復の見込みは不明。
7. 要望
・聞き取りの担当を日暮に変更するよう提案する。
・上記の要望が受け入れられない場合、取調部特殊サーチ課が現在持つ捜査権の一部を要求する。
◇
◇
「概要はわかりました。
確かに、寺嶋さんの視覚に関する違和感は気になります」
やはり、潮田も引っ掛かったようだ。
のっぺらぼうについての機関内文書、『のっぺらぼう目録』には、"個体ごとに特異な感覚を有している"と記されていた。
だが、単なる飛蚊症の可能性も捨てきれなかった。専門家の診断が出るまでは、断定できない。
「日暮さん、どちらも対応できるように計画を立てましょ」
日暮は頷き、状況整理をした。
◇
◇
《飛蚊症の場合》
・すぐにでも、現場(埼玉区画、秩父市)へ応援に駆けつける。
・伊藤班、もしくは嘉山班に協力要請をする。
《固有の能力を所持していた場合》
・能力分析と、対応策を検討する。
・場合に応じ、各班に協力要請をする。
◇
◇
「大まかにこんな感じですね」
ホワイトボードに走り書きされたメモを見て、潮田は頷いた。
「あと寺嶋さんの血縁、交友関係からも、
のっぺらぼうの型番の特定を急ぎましょう。
――今回関わっている可能性がある"のっぺらぼう"は……」
「ちょっと待って」
積まれた資料をかきわける手を、潮田に押さえられた。
「一旦、コーヒーでも飲んで休憩しよ」
「――いや、でも」
「――日暮さん、冷静に」
真っ直ぐに向けられる、青い眼差しに日暮の心が揺れた。
もう少しだけ、
もう少しだけ進めたかった。
思いが込み上げ、目頭に力を入れながらも、日暮は資料をとる手を止めた。
「――わかりました」
力なく資料を手放し、椅子にもたれ掛かった。
潮田なら、もっと積極的に捜査にのめり込むと思っていた。思いもよらない潮田の行動に、日暮の胸はすっと冷めた。
「はい、どうぞ」
そう言われ、温かいマグカップを手渡された。口に近づけると、果実のような芳醇な香りが鼻腔全体に広がった。
あたたかい。
この飲み慣れているモカが、全身に染み渡るのが伝わった。
日暮は、ふと周りを見渡した。先程より、室内の景色が明るく見える気がした。
「落ち着きましたか?」
潮田に声をかけられ、顔をあげる。笑窪を見せ、母を彷彿とさせる優しい表情をしていた。
その表情を見て、無意識に日暮は頷いた。
「コーヒー、ありがとうございます」
「いいよ」
さて、飲み終わったら進めるかな。
日暮は、マグカップを置き、再び机へ向かった。
「ちょっと、いいですか?」
潮田に呼び止められ、振り向いた。
「どうしましたか」
「いや、もし良かったらね――無理にってわけじゃないけど――」
歯切れの悪い言い方に、日暮は頭を傾げる。
「なんですか?」
「――いや」
「誘いたいことがあるなら、ちゃんと言ってくださいよ」
「……」
「言われなきゃ、俺分かんないですよ」
そう言われた潮田は、何かを安堵したかのように、明るくなった。
「――ちょっとだけ、
一緒に観たかったビデオみて欲しい」
「――ちょっと」
「そう、"ちょっと"」
「何系?」
「○○○系」
「○○○系!?」
「そう、この前聞いた好みの作品を選んできた」
言葉を弾ませながら、潮田は手を動かす。慣れた手つきでPCとモニターを繋ぎ、ビデオを流す準備をしていた。
日暮は、その様子を横から見ていた。思いもよらないことで戸惑いもあったが、気づけば身を乗り出して椅子に座っていた。
「じつは、呼び出し食らう前に見ようとしてたんだよね」
「――やっぱり」




