1話.秘匿事件特別捜査係
2044年、8月17日水曜日。
十数人の警官が集まる、世田谷町の某商店街。
天気は、やや曇りぎみ。
気温は、34度と例年に比べて低い。
黒地に、黄色い文字で書かれた、規制線が商店街入り口に張られていた。
その奥に、周囲の警官と風貌が違う少女がいた。
日暮レイ、
匿事課に所属する18歳。
鎖骨まで流れるストレートの髪、
色艶のいい焦げ茶色が、日の光でよく映える。
"やつ"が関わっているかも。
そんな、淡い期待を抱いて来たが、空振りに終わった。
『顔がない人がいる』
『怪しい男たち2人組で、片方は顔がなかった』
『男が襲われてる』
この通報をうけて、日暮たちは現場の世田谷町まで出動した。
先日、警事局東京支部の特務部匿事第1課に配属。
――いや、
所属せざるをえなくなった日暮は、今回班のみんなより一足先に現場へきた。
日暮は、現場の状況を一通り見渡した。
2人の男性が、それぞれ現着した警官たちに聴取を受けていた。
1人は、目元に涙の跡を残している。
恐らく被害者であろう。
もう1人は、顔がない『のっぺらぼう』。
近年、本格的にのっぺらぼうの対応策が整備され始めた。
『774特別ダイヤル』
110番とは別で設けられた「のっぺらぼう通報」ダイヤル。昨年度に比べ、今年度の通報数は上昇傾向にある。
導入当初は、110番との区別が難しいと言われていたらしい。
ようやく仕組みが、浸透してきたのだろう。
この通報があるおかげで、日暮たちの業務は、従来に比べ遥かに楽になった。
被害者男性には、特に目立った外傷は見られない。
襲うこと自体が目的ではなかったようだ。
強盗、
強姦、
通り魔、
このいずれかは、必然と衣服が乱れたり、打撲痕が残っていたりする。
だが今回は、衣服の乱れは肩を掴まれたであろうシワのみ――。
男が男を襲う、特殊な強姦では?
卑猥な行為に及ぼうとしたのでは?
そんな疑念が頭をよぎるが、
それにしては、被害者男性の抵抗が少ない。
何があったのだろうか――。
「よう、姉ちゃん。元気か?」
「へぇ~~、
世田谷町の所轄さんたちは、職務中にナンパする余裕があるんですね」
1人の警官が、日暮に近づいた。
日暮は、その脂ぎっている額をみて、口角をひきつらせた。
有事の現場でないにしろ、職務中の『会話』『やりとり』に似つかわしくない。
日暮が、嫌味を込めて言い返すと、所轄の警官は顔をしかめた。
「ほれ、これが被害者男性の聴取内容」
無造作に投げつけられるバインダーを受け止め、上から下まで目を通した。
◇
◇
【事情聴取書:のっぺらぼう被害関連】
氏名:水城ユタカ 35歳
職業:会社員
1.日時
2044年8月17日水曜日(旧昭和118年)
2.場所
東京区画、世田谷町○○商店街。
3.ご意見
気づいたらこの町にいた。
記憶があるのは、顔なしが肩をゆすっている景色。
昨日の記憶はある。
夜から朝にかけて記憶がない。
飲み過ぎたのかな。
この時計、友人から貰ったんだよね。
いいでしょ。
誰かって。
誰か、思い出せないな。
結構前だったからかな。
あと何かない。
のっぺらぼうについて、知っているかだって。
知らないね。
覚えてないよ。
なんか、のっぺらぼうになると周囲の人から忘れられるらしいじゃん。
笑えるよね。
そんな薄っぺらい関係性だったのかよって。
ほんとにさ。
俺だったら忘れないね。
絶対に。
◇
◇
一定期間の記憶の欠如。
認知能力が劣っているようには見えない。
そうなれば、のっぺらぼうによる後遺症の可能性が高い。
日暮は、バインダーを強く閉じ、所轄の警官に手を差し出した。
警官は、日暮の手を見つめて少し考え込む様子をみせた。
くいくいとする手のひらに、何を思ったのか、いきなり顎を乗せてきた。
「キモ、いい年した大人がなにしてんの――」
広がるいらない温もりに、日暮はゾゾゾと悪寒が走った。
寂しさ、
性欲、
ストレスの発散、
なんの慈善事業で、おじさんの欲求を呑むのだろうか。
日暮は、咄嗟に手のひらに転がる生々しい感触を、すぐに手放した。警官は、体勢を崩し地べたへよろけた。
下から睨みつける警官に、日暮は再び手を差し出す。
「次の聴取見せてください」
なかなか本題に移してくれない、
よく学校の先生がやっていたな。
日暮は、懐かしい嫌な思い出に耽った。
「ほらよ」
「ありがとうございます」
日暮は、再び投げつけられるバインダーを受け止めた。
つーんと響く痛みを圧し殺しながら、のっぺらぼうの聴取内容を確認した。
所轄の警官は、日暮から少し距離をとって立っていた。無言で胸ポケットのタバコを指先で探り、取り出そうとはしない。
「面白みがないな――。
これだから、秘特係は嫌いなんだよ」
所轄の警官は、小さく呟くとその場をあとにし、残りの現場検証に向かった。タバコは取らず、先程より深く仕舞われていた。
渡されたバインダーには、先程なかった無駄な書類がいくつも上に重なっていた。
1つで十分だろ。
無駄に許可を取りたがる国民性に呆れる。
目的の聴取書まで、すぐにたどり着けない焦れったさに日暮は眉を細めた。
1枚、
1枚、
はい、1枚――。
ようやく、目にする本命の聴取書類。
砂の中をかき分けて見つけるような、本当に疲れる作業。
ふぅ、
日暮は、一息つき文字に目を移した。
さっそく、被害者男性からの情報と擦り合わせを始めた。
◇
◇
【事情聴取書:のっぺらぼう関連[極秘]】
氏名:寺嶋ヤスフミ(仮) 35歳
※自称の場合であっても、現時点での呼称は上記の通りとする。
職業:会社員
1.日時
2044年8月17日水曜日(旧昭和118年)
2.場所
東京区画、世田谷町○○商店街。
3.ご意見
聞いてください。
僕は、あいつの友達。
いや、親友です。
本当です。
信じてください。
信じられないんですか。
そんな典型で返されても。
分かりましたよ。
僕は、埼玉まで家族旅行してました。
埼玉って知ってますか。
結構いいところでしたよ。
え、埼玉のどこに行ったか。
秩父です。
三峯神社を見に行きました。
あそこで襲われたんです。
観光地なんか関係ない。
あそこで襲われたんです。
そこから、なんとか逃げれて家族の元に帰りました。
そしたら、誰も僕のことを覚えていないんです。
誰も。
誰もですよ。
なにしたんですか。
僕が。
ねぇ、なんか知ってますよね。
警官なら知らないはずないよね。
ねえ。
話してください。
もう大丈夫です。
すみません。
少し取り乱しました。
本当によく分かんないんですよ。
他にいつもと変わったことはないかって。
なんか、うっすらと糸が見えたり、見えなかったり。
僕、目が悪いんで。
何しに彼に会いに来たか。
僕のことを助けてくれると信じて。
少しは覚えていたみたいなんですよね。
ボヤけた感じで。
嬉しかったな。
嬉しかった。
もう、忘れちゃったのかな。
覚えてないのかな。
襲ってませんよ。
肩をつかんで、体をゆすったんです。
覚えていてくれよ。
頼むよ。
お前しかいないんだよ。
そう、言いながら肩を掴んでいたんです。
はたから観れば不審者そのものですよね。
◇
◇
やっぱり――。
日暮の手が、バインダーをみしみしと強く握りしめた。
この証言には、確証がない。
でも、
ここで信じなくて、誰が信じるのか。
根拠のない、この憶測を無性に信じたい。
そう日暮は、強く思った。
バインダーを閉じ、もう一度現場を眺めた。
裏路地も見てみるか。
そう思い立ち、日暮は足を動かした。
少し歩き、ふと目に止まったものがあった。
『2022/8/18、俺たちの基地開設
Y.M、YT』
水城ユタカと、寺嶋ヤスフミ。
黒くかすんだ文字が、路地の片隅に刻まれていた。
何かが置かれていたようなシミ、
壁掛けのフックのようなものが、少し高い位置に取りつけられている。
忘れたくなくて、ここに来たんだ。
そう、言われているような気持ちになる。
忘れられたくないもんな。
路地を吹き抜ける生暖かい風、
日暮は、上を仰ぎ見た。
「絶対、俺がなんとかする」
気持ちの整理をつけた日暮は、胸元から端末を取り出し、上司の上野ヒデトに連絡した。
「ヒデトさん、こっちは聴取が終わりました」
「了解。あと少しで到着するから、のっぺらぼうの身柄を引き渡してもらえ」
「分かりました。商店街入り口の休憩室を借りて待ってます」
そういい終えた日暮は、端末の画面を消し、胸元に戻した。
よし、行くか。
日暮は、のっぺらぼう寺嶋の元へ向かった。
彼は、周囲の警官たちに明るく振る舞っている。
書類上からは、想像できない様子に少し戸惑う。
「寺嶋さん?よろしいですか」
「おう、お姉さん。僕に用?」
「はい、手続きが完了したので、身柄は今から私たちが保護します」
「それはそれは、よろしくお願いします」
寺嶋は、深々と頭を下げた。
日暮は、足を止めた。寺嶋の後ろに誰かの面影を感じる。
深々と下げられた頭、
その真っ直ぐで、律儀な振る舞いに覚えがあった。
記憶の引き出しを出し入れするが、一向に見つからない。
ずっと横にいた者を、忘れているような気がした。
「迎えが来るので、場所を変えますか」
「どこで待つんですか」
「あそこの休憩室です」
「あそこですね。昔、いつも行ってたんですよ」
他愛のない世間話。
数十メートルの移動。
だが、その中は数分よりも長く感じた。
どこかで、続いて欲しいと思っているのかも知れない。
この人に、水城のことを言いたくない。
真実を言いたくない。
そんな身勝手な願望が、表に現れているのだろう。
日暮は、ぎこちなくはにかみながら寺嶋の話に耳を傾ける。
出来るだけ自然に、
出来るだけ明るく、そう、明るく。
「何かあるんでしょ」
2人が休憩室に着き、入り口を閉める際、寺嶋が問いかけた。
「何が」
「お姉さん、言わなきゃいけないことがあるなら言っていいよ」
「本当ですか」
「本当だよ」
「大丈夫なんですか」
「うん」
「でも、私、俺は言いたくない」
「――」
「俺もわかるから」
固まる空気、
了解は得たのに、なかなか線を越えて話せない。
「ねぇ」
寺嶋が静かになるにつれて、顔が浮かびあがってきた。
のっぺりとしていた下地から、年相応の、幼さが抜けおちてすぐの顔が現れた。
目を細くし、
頑張ってはにかみ、
目元が赤く腫れていた。
そんなものを見せられたら、尚更真実は言えない。
日暮は、心で呟く。
「寺嶋さん、辛ければいつでも教えてください」
「――わかりました」
日暮は、口を開き、語り出す。
一連の騒動の概要、
各々が証言した内容、
それに伴う、自身の見解と推論。
途中、口を止め、寺嶋の調子に合わせる。
どれだけ言葉を遠回りさせても必ず正しいニュアンスにする。
日暮は、細心の注意を払い、寺嶋に向かい合った。
どれも、一言一句、伝え忘れはない。
そう日暮は、言いきれる。
「寺嶋さん――」
「――うん、そうだよね。
無理だったよね。
うん、
あいつでもダメか。
アイツでも――」
寺嶋の目線は、不規則に揺れ、日暮の顔すらまともに見ることができていなかった。
握りしめていた拳は、力を失い、空に放たれる。
顔を上へ傾け、まばたきが増えていく。
それは、涙を溢しまいとするかのようだった。
日暮は、寺嶋に1歩踏み出し歩み寄った。
大丈夫、
俺たちがいる。
そんなありきたりで、軽い言葉をかけてやりたい。
「お姉さん、僕――」
寺嶋は、そう言いかけると突然膝から崩れ落ちた。
「寺嶋さん!!」
日暮は、寺嶋のもとにすぐ駆け寄った。
やはり、耐えられるメンタルはなかったのか。
――それとも、耐えた上での拒絶反応なのか。
暴れられると、俺だけじゃ対処が厳しい。
日暮は身構えながら、寺嶋の肩に手を添え、もしもに備えた。
寺嶋の顔を覗き込むと、遠くの1点を見つめていた。
喉を震わせ、下から上に筋肉が動き出し、体内に溜まった澱を出そうとする。
今までの、
不安、
悲しみ、
その全てを吐き出したかったのだろう。
口を抑え、苦しむ寺嶋の姿は、日暮の目にそう映った。
「寺嶋さん、落ち着いて」
「――っ、――っ」
「そうそう、息を少しずつ吸って――吐いて」
日暮の介抱の成果か、寺嶋の様子が落ち着いた。
「ありがとう。助かる」
口をゆっくり動かし、寺嶋は、軽い笑みを日暮にむけた。
ひとまず安心、
心の中で、日暮はそう呟く。
しばらく日暮が、寺嶋の背中を擦っていると、休憩室の入り口が開いた。
仕切りの向こう側に立つ男がいる。
匿事課 警事長、上野ヒデト25歳。
「初めまして、寺嶋ヤスフミさんですね。
匿事課の上野という者です」
上野は、端的な挨拶を済まし、日暮へ目配せした。
「寺嶋さん、
迎えが来たので、車まで移動しますか。
あ、改めまして、私は日暮といいます。
ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「お姉さん――、日暮っていうんですね。素敵ですね――」
軽い挨拶を済ませて日暮たち2人は、上野の元へ足を進めた。
ザッ、ザッ、
ザッ、
床を蹴る足音は、確かに存在した。
寺嶋ヤスフミという存在はいる。
この音を、日暮は確かに噛みしめた。
外へ出ると、所轄の警官たちが、規制線を剥がす作業を始めていた。
数人の警官は、こちらの様子をうかがうように、ちらちらと見ていた。
呆れたのは、
無駄に手を器用に使って「去ね」とジェスチャーしてくるやつがいたことだ。
「くだらない」
日暮は、深くため息を吐く。
その様子に、寺嶋は日暮へ尋ねた。
「日暮さん、匿事課って具体的にどんな所なんですか?
聞いたことあっても、詳しく知らないし」
僅かに間を置き、日暮は、寺嶋の目を見て話した。
「――あなたを助けるところですよ」
その意気軒昂と話す日暮の姿に、寺嶋はなぜか誇らしい気持ちになる。
その直後、寺嶋は足を止めた。
日暮は、不思議に思い、同じく足を止めた。
すると突然、
二っと、日暮が上げた口角を、寺嶋は指でムニっとおす。
「寺嶋さん、なんふぇすか」
「いや――、なんとなく」
ふにゃふにゃと、問う日暮に、寺嶋は曖昧な返答をした。
寺嶋は、指をまだ離さない。
その指は、まだ日暮の頬に触れた感触を忘れたくなかった。
特に理由もないのか。
日暮からすれば、この行為にどんな意図があるのか思いつかない。
歩くこと数分――、
3人は、車の元にたどり着いた。
「着きましたよ。この車に乗車してください」
「わかりました」
「私が隣です」
日暮は、後部座席に寺嶋を乗せ、扉を閉めた。
「ヒデトさん、ノゾミさんは?」
車に乗った日暮は、いつもいる潮田ノゾミのことを尋ねた。
「あいつは、警事局にいるから――心配いらん」
日暮は、何かが引っ掛かったが、気にすることをやめた。
音もなく、ヌルりと走りだす車。
商店街が次第に遠退いていく。
静かだった道が、活気で溢れ始めてきていた。
みんな、何も感じていないのかな。
日暮は、頬を擦りながら、窓から見える景色をみつめた。
さっきの感触が、素肌に残る。
悪寒や、嫌悪感とも違う。
不快でない。
「そういえば、顔触られたの久しぶりだったかも」
日暮は、小さく呟いた。
「何か言いました?」
「いえ、何も――」




