エピローグ
「はぁ、流石にちょっと疲れたわ……」
「当たり前ですよ! 昼からこーんな真夜中まで音を録っていたらそりゃ疲れますっ! もぉ、明日は一番きついダンスのレッスンですよ、大丈夫なんですか?」
「大丈夫、大丈夫。なんとかしてみせるわ。ライゼル様だって今は遠征に行って頑張ってるんだし」
「体調管理も王妃の大切な務めですからねっ!」
真夜中。寝室でそんなことを言い合う二人。のんびりとフラン特製のオレンジティーを飲むソノラ。やはり真夜中のティータイムはこれしかない。
爽やかな柑橘系のにおいを楽しみながら、そろそろ寝ようかと考えていると、ノック音が聞こえた。
真夜中の訪問。思い当たるのは一人だ。
フランが慌ててドアを開けると、そこにいたのは緋色の髪と瞳を持つ精悍な青年。もちろん、ライゼルである。
「ら、ライゼル様!? 帰還は明後日のはずでは!?」
「…………」
ソノラがすぐにライゼルに駆け寄る。ライゼルは何も言わずにソノラを強く抱きしめた。
フランが真っ赤な顔で両頬を抑える。しかし空気を読んで、足早に部屋を出て行ってくれた。
フランがいるというのに、珍しく甘えてきたライゼル。ソノラは彼が限界なのだと悟った。ゆっくりと大きな彼の身体を受け止めて、頭を撫でる。
そうするとガチガチに固まっていた彼の身体が少しずつ解けていくのが分かった。
「ひとまず食事にしますか? それとも湯あみ? それとも……」
「分かっているだろう」
ライゼルの声は掠れていた。彼はソノラの華奢な身体をより強く抱きしめる。
ソノラはライゼルに巻き付かれたまま、とりあえず彼をベッドに連れて行った。ライゼルは依然離れない。
「それで、どうして早めのご帰還を?」
「君に会いたくなった。イヤフォンだけでは物足りなくなった」
「あらあら。また新しい音を録らないとですね。まったく、お早い帰りなのは嬉しいですが、ガイアや騎士団の皆さんに相当無理を言ったんじゃありませんか?」
「……言っていない」
絶対に言ったな。ソノラは明日ガイアや騎士団員達に会ったら絶対にお詫びをせねばと心に決めた。
ぐったりとやつれている愛しい人の両頬を自分の両手で包みながら、ソノラはにっこり微笑む。
「では、ライゼル様。始めますか?」
ライゼルの緋色の瞳に欲望の色が見えた。彼は頬を染め、頷く。
それを確認した瞬間、ソノラは妖艶に微笑んだ。
「う、あ……!!」
数分後、寝室にはライゼルの喘ぎ声が聞こえてくる。
耳にはライゼルの耳の形にピッタリの粘土細工──イヤフォンがあった。
「カタカタカタカタ……トコトコトコトコ……」
ソノラはベッドから少し離れた椅子に座り、テーブルの上のダミーヘッドの耳にオノマトペを囁いている。
オノマトペASMRとは「カタカタ」や「ふわふわ」などの擬声語を囁くだけのものだが、これがなかなか心地いいのだ。
例えば、カタカタ。子音の「k」とか「t」の部分が鼓膜に引っかかるような刺激を与えてくれる。これを高速で囁けば、「k」と「t」の子音の波が絶え間なく脳を刺激してくれるので、ソノラもお気に入りのオノマトペである。
緩急のある吐息の波を表現できる「ふわふわ」というオノマトペもおススメではあるが、ライゼルの耳に吐息なんか吹いてしまえば驚いて飛び跳ねてしまうため、もう少し彼が慣れるまでは封印している。
「う……。き、奇妙な音だが……なぜ、こんなに……心地いいのだ……ッ! くッ!」
悔しそうに眉を顰め、頬を赤らめるライゼルにソノラは心の中で口角を上げる。
快楽に沈むライゼルのその表情こそ、ソノラのASMR技術への最大の賛辞なのだ。ニンマリせずにはいられない。
しかし今日は最初から少し攻めすぎただろうか。ライゼルの耳を休ませるために、ソノラは次のASMRに移る。
「ライゼル様、次はこれはどうでしょうか?」
「これ、は……泡?」
次にソノラは口を軽く膨らませながら、唇をんぱっと開閉させる。これにより、湿った口腔粘膜同士でぶつかった際に「ポワッ」という音が鳴る。
その音は水中で泡が弾けた音と非常に似ているため、マウスサウンドの中でも有名なものである。ポワッ、ポワッとライゼルの頭の中で泡が弾けたような爽やかな快感が駆け巡る。
刺激に弱いライゼルでもこのマウスサウンドならば喘がなくてもよさそうだ。ほぅ、と安らぎに満ちた笑顔を浮かべている。
「これは……とてもいいな。口で鳴らしているのか?」
「はい。口で音を鳴らすマウスサウンドの一種です。この泡が弾けるような音は唇を勢いよく開閉させて鳴らしています」
「そうか。唇を……」
そこでライゼルがむっくり起き上がる。彼は少し離れたところにいるソノラをまじまじと見つめていた。
あまりに熱い視線だったので、ソノラはライゼルの抗議する。
「あ、あの、マウスサウンド中はすごい顔になっているので、こちらを見ないでください」
「すまない。君がその可愛らしい唇で音を鳴らしていると思うと、思わず口づけをしたくなってしまった」
「くっ!?」
ソノラは思わず立ち上がる。ライゼルはそんな彼女に手招きする。彼の優しい緋色の瞳で見つめられてしまえば、断ることなどできない。
装着していたイヤフォンをテーブルの上に置き、ソノラはゆっくりとライゼルが眠るベッドに入った。
ソノラがベッドに入った途端、逞しい彼の腕がソノラを掛け布団と共に包む。ライゼルの身体は体温が高く、抱きしめられるだけで気持ちよかった。
「ソノラ、愛してる。君は余の安らぎだ。……傍にいてくれてありがとう」
ライゼルに耳元でそんなことを囁かれてしまっては。ソノラは己の心臓が異常な速さで昂っているのを感じた。
顎をクイッと持ち上げられたかと思えば、リップ音と共にライゼルの唇がソノラの唇に重なる。
「ソノラ……」
「…………ッ!」
ライゼルの吐息まじりの囁き声にソノラは顔を真っ赤にして震えることしかできなかった。
そんなソノラの様子にライゼルはいいことを思いついたとばかりに口角を上げる。
「いつも君には癒してもらってばかりだからな。たまには余も、こうして君の耳に囁くのも悪くないな。……ふぅ」
「ちょ、ちょっと、耳に息を吹きかけないでください! ひゃあ……!!」
耳に直接息を吹きかけられ、ソノラはゾワッと背中を仰け反らせる。その様子に「いつぞやのお返しだ」とくつくつ笑うライゼル。
ソノラが拗ねたようにそっぽを向いたので、ライゼルは笑みを浮かべたまま、背後から彼女を抱きしめる。
「すまない、つい君が可愛らしくてな」
「そう言えば意地悪を許されると思っていませんか?」
「ふふ、そう言うな。君も明日は大変なのだろう。今日はもうこのまま寝よう。……おやすみ」
ソノラの後頭部にキスをして、そのまま眠るライゼル。あまりの寝つきのよさに彼が相当疲れていたのが分かる。
ソノラはライゼルの腕の中で身体を翻し、ライゼルの寝顔を正面から眺めた。やはり彼の寝顔は子供のようなあどけなさがあった。
自分しか知らないライゼルの一面。ソノラは自然に頬が綻ぶ。そしてそんな彼の頬にキスをして、ソノラも目を閉じた。
私も愛しています、ライゼル様。明日も一緒に頑張りましょうね。
そう心の中で呟きながら、ソノラもすぐに安らかな夢の世界へ沈んでいったのである。
ASMR令嬢、完結しました!
長らくのご愛読ありがとうございました~!
当作品は書籍化&コミカライズ企画進行中の作品ですので、発売されたらぜひよろしくお願いします!!!!!!!
ではまたご縁があることを願って。
私の作品を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました!




