来場者所感・三
ご注意:結構血生臭い描写が入ります。
ああ。僕はもう病にとり憑かれてどうにかなってしまいました。駄目なんです。腐ってるんです、この心・・・。毎日毎日あの人のことばかり考えて、あればかり考えて、日常が浸食されて・・・それ一色になってしまっている。
参っているんです。目の前にちらつく幻影に脅かされ・・・魅入られ、忘れようとするほど苦しくなって。僕はもうどうしようもありません。
それもこれもあの幻燈館のせい・・・あれに惑わされて僕は錯乱している・・・いやもともと自分にそういう素質があったのか・・・兎に角、もう死ぬしかないのです。僕など世間にいられない人間なのです。
僕は死ぬ前に、僕に巣食った病と、僕を襲った幻影とを書き残しておこうと思います。誰か他の人間が僕のような苦しみを舐めないよう・・・僕は僕の正気を判断できないから、誰かにそれを判断してもらえるよう、余人に悩みを知ってもらえる可能性だけは残して置きたいのです・・・。あまりに不埒で、僕の自意識に満ちた記録であるので大変恐縮ですが・・・。出来る限り、綴りたいと思います。
僕の生まれ育った町は狭い町でした。
土地も狭ければ、隣人同士の繋がりも狭い。小さな土地に小さな家が蝟集しているような町でした。
町に住む人には互いに顔の知らぬ者がいない。通りすがると挨拶し、井戸端に二人集まると世間話に花が咲く、夜は自然にいつもの提灯の下にお馴染みの顔ぶれが集まる・・・そんな古き良きにおいの残ったところです。
そんな町なんで、余所者が引っ越してきたり、訪ねてくるとすぐ分かります。誰か来たぞ、貧乏そうだ、金持ちそうだ、年配の一人者だ、子沢山の夫婦だ、やくざ者だ―――余所者が越してくると噂が瞬時に駆け巡りました。仲良く溶け込もうとする人ならよかった。そのまま居心地よく居着ける。ときに家の人の職業や性格を知られるのを嫌う人もいましたが、そういう人はすぐに引っ越していきました。溶け込んでしまえばそんな気配消えるのに・・・目線や噂に耐えきれないのでした。
僕自身は小さな頃からよく知られていましたし、また僕も皆をよく知っていました。小さな頃からそうした近所付き合いを見ていましたし、当たり前だと思っていました。
隣人同士の囁き合っているところを通りすがると、たいがいの会話は、いやだねあそこの奥さん病気だよ、旦那は葬儀で骨の処理をしてるらしい、なんて噂話。どこもかしこも行われて、もしも新参者に怪しげな点があったら、それは逐一共有され、住民の格好な噂の的、娯楽になるのでした。
だから僕が年頃になり、高等師範学校の生徒になった頃に越してきた若い夫婦についても当然人々の口にのぼり、僕の耳にも自然に入ったんです。
今度越してきた軍人さんとそのお嫁さんは、結婚したばかりだそうだ。お嫁さんはたいそう美しい。―――こんな噂話がすぐ僕にも届きました。
一体どんな人たちだろう。僕は憧れの職業に就いている軍人さんと、その若い奥さんの、美しい夫婦に興味を持ちました。噂話を辿っていけば、すぐに家の場所が分かりました。
町の中では大きい方のその家は、玄関がぴたりと閉ざされて、中は窺えませんでした。
好奇心が抑えきれなかった僕は、家の裏に回って、垣根の隙間から家の方を覗いてみました。
家の裏手は庭になっていて、赤い彼岸花の向こうに縁側続きになっている座敷が見えました。
丁度運よく、座敷に軍人さんと奥さんが向かい合って座っていて、僕は二人を覗き見できたのです。
国防色の軍服に身を包んだ軍人さんは奥さんを見下ろし、何事かを話していました。奥さんはずっと俯いていました。どうやら叱られている様子で・・・軍人さんが腕を振り上げ、あっと思った瞬間に、奥さんは頬を叩かれ倒れ伏しました。
僕はびっくりしました。町内の奥さんたちと違って、儚げな感じがする人だのに、旦那さんがあんな暴力をするなんて・・・
軍人さんは奥さんを引っ張って、座敷の奥に連れていってしまいました。
襖がパタンと閉められ二人の姿が見えなくなる。
僕は垣根のそばに固まり、動悸が激しくなりました、見てはならないようなものを見てしまった気がして・・・
庭には黒猫が入り込んで、悠々歩いていました。今起こったことなど意に介さず、黒猫は縁側の下に座り、自分の背の毛を舐めているのでした。
僕は平静ではいられず、やきもきしながらそのまま座り込んで、軍人さんと奥さんが出てくるのを待ちました。
二人はその日、二度と座敷には現れませんでした。
翌日、町内で奥さんとすれ違いましたが、特に変わったところはありませんでした。町の人たちの噂話も、あの人は打ち解けなくて内気な人だ言うばかり、家庭の不和についての噂はありませんでした。
僕は心配で、たびたび軍人さんの家を垣根越しに覗きました。
思えばそれは僕の性癖の発露だったのやも知れません・・・無段の背信行為でしたから・・・でも最初は本当に心配する気持ちがあったんです。僕は儚く美しい奥さんに同情したのです。あんなにか弱い佳人を殴るなんて・・・僕は軍人さんに腹を立てていました。
正義感、横恋慕。この気持ちはなんとでも呼べるでしょう。しかし軍人さんから奥さんを救いだすどころか、奥さんに声さえかけられない意気地のない僕に唯一できるのは、覗き見という監視だけだったのです・・・。
奥さんは大人しい人でした。いつも人とすれ違うのにも顔をそっと伏せ、しずしずと通り過ぎるのです。深窓の令嬢らしい清楚な仕草は大変気品がありました。
やがて僕は寝ても覚めても奥さんのことばかりを考えるようになりました。あの黒い髪を、しとやかな肢体を、浅緑の縞の着物を、授業中に鉛筆をくわえ、帰り道にポケットに手を突っ込んで歩きながら、いつもいつも想起してしまうのです。
他人の妻であるのだから、こんな思いは浅ましいものなのです。あってはならない思いなのです。しかし、僕は日々奥さんを垣間見続けました。みじめで甘美な思いを噛みしめ、奥さんがいつも抱いている黒猫が、そっと胸に寄り添っているのさえ羨ましく思いながら・・・
そんなある日、事件が起きました。奥さんの旦那さんである軍人が出征したのです。
それだけならず、出征してすぐ、その軍人さんは戦死してしまったんです。
悲劇は、瞬く間に噂の弾丸となって町内に駆け巡りました。
僕は雷撃に打たれたような感覚に陥りました。こんなことってあるだろうか?誰かのものであるから諦めていた人が、突如独り身になった。青天の霹靂でした。僕にも奥さんを側に得る可能性がある・・・僕はその事実に興奮しました。
奥さんのことは僕が一番側で見ているのだから、僕が一番知っているのです。暴力的だったとはいえ、きっと夫を失って奥さんは心細いであろう。寂しいであろう。暮らし向きをどうすればよいか途方に暮れているであろう。僕はそう思って、奥さんを籠絡する手段をあれこれ考えるようになり、奥さんに話をする機会を窺いました。
しかし実際は、僕は弱気な学生でしかなく、ただ遠くから奥さんを眺めるだけの日々を過ごしました。所詮あんな綺麗な人が僕に靡くわけがないと思っていたのもありますし、旦那さんを亡くしてからの方が奥さんが生き生きとしているように見えたからです。
奥さんは未亡人になって、明るい色の着物を着るようになりました。明るい紫と白の縞の着物を着て、紅を指して、髪を結うのに赤い珊瑚の玉がついたかんざしを使うようになりました。
いやだよあの人、亭主が死んだっていうのに、色気付いちゃって。
近所でそう噂されているのを聞いて、僕は奥さんの様子が世間一般の尋常ではないと知りました。
きっと男がいるんだよ。
そんな噂上の予測に僕は大変傷つきました。
僕の恋慕は叶いそうもないと接触以前に衝立を立てられたようなものでした。しかし、実際奥さんに男がいるのか、誰も分からないようでした。僕もそれまで、奥さんの家に出入りする男を見たことはありませんでした。
奥さんはもともと静かで、人とあまり顔を見合わせないようにしている人だったし、また噂話や近所の人の目線が気にしないという稀有な人だったので、隣人たちも親しくなれず、とりあえず好き勝手噂の的にできる人間、という了見でいました。
旦那さんが死んでのち、奥さんは大した動きを見せたりもしませんでした。
いつも連れている黒猫を除いて。
旦那さんが亡くなってから、奥さんはエメラルド色の瞳をした黒猫を抱いて歩くようになりました。
それも、大事そうに、愛しそうに。
金の鈴のついた赤い首輪をして、音もなく歩く黒猫は、そもそも奥さんが引っ越してきたときに一緒に連れてきた猫でした。
時折町を巡回し、不気味なのは、町の人たちが噂をしているところを、高い屋根の上からじっと見ていることでした。視線を感じて見上げると、必ずそこに例の黒猫がいて、まるで話を聞いていて分かっているかのように、ふっとどこかへ行ってしまうのです。そんなどことなく居心地の悪さを感じさせる猫で、隣人たちには好かれていませんでした。
いや、実際分かっていたのかもしれません。あの黒猫は、何もかも。
奥さんがそんな不気味な黒猫を抱え、出掛けでもいつでも撫でているので、変に思われるのは自然なことでした。
奥さんにとって黒猫は特別のようでした。
あんなに艶かしい手つきで撫で、口元を毛並みに寄せて・・・奥さんの愛情表現は官能的でさえありました。
奥さんのそんな様子があからさまに見られるようになった頃から、変な噂も立つようになりました。
奥さんが「猫は人になれないのか」と医者に相談していた、とか。薬種屋で「猫が人になる調合をしてくれ」と妙ちきりんな無理を頼んだ、とか。
荒唐無稽な異常の言動の噂と、いつも黒猫を抱いている姿、艶めかしい雰囲気に、隣人たちは段々不気味がるようになっていきました。
丁度そんな頃でした。僕は学友に連れていかれた遊園地で、驚くべき見せ物を見ることになりました。
その幻燈館「地獄の世界」という見せ物は、カラフルな回転木馬や鏡の館で彩られる遊園地に忽然たる趣で地面から盛り上がっている不気味な黒いテントでした。
内容は猟奇とかオカルトとかそんな感じで、人の隠れた奇癖や妄想の怪しいエピソードを幻燈に映しているというようなものでした。
その中に、そう、僕は奥さんの姿を見たのです。
暗いテントにぽつりぽつりと浮かぶ光にそれぞれのエピソードが映され、それを真っ暗な格好をした案内人が説明してくれるのですが・・・僕は自分の目を疑いました。案内人が説明し始めた幻燈に映ったのは、僕がいつも奥さんの家を覗くときの、庭に面した垣根の裏側だったからです。
血の気がサーっと引きました。僕は今まで誰かに見られていたのだろうか・・・自分の後ろめたい行動を見透かされ暴かれたと思ったのです。
しかし、もっと驚くべきことが待っていました。その幻燈の主人公が、あの奥さんだったのです!
紫と白の着物、うっとりするような艶のある黒髪、しなやかな輪郭・・・幻燈の中でも奥さんはやはり美しかった。
今でも思い出します。
その後の強い怒りも・・・!
案内人は解説しました。彼女は未亡人だが、黒猫を愛し、夜な夜な淫靡な想像に耽っているのだと。
そして、妖しき夢を思い描いて、希求して止まぬと・・・。
黒猫を若い美しい男に見立て、絡む奥さん・・・。
それを見て、僕は猛烈に腹を立てました。
まさかあの猫を奥さんが?
そんな馬鹿な!!
僕のことも一切目に入れず、隣人も無視して猫に夢中になるなんぞどうかしてる!
嫉妬と怒りで我を忘れた僕は、奥さんと悪魔の黒猫が淫らに戯れる様に囚われ、あとの幻燈をみるどころじゃありませんでした。
どうにか友人に別れを告げて、僕は何かに急かされるように自分の住む町に帰りました。あの黒猫が奥さんに何をもたらせるというのだ、何を。許すまい・・・絶対に許すまい・・・
どす黒い思いに支配されて、僕は僕の町に帰り、そして一番最初に出会った井戸端会議のおばさんたちに、こう言ったのです。
「あの奥さん、あの黒猫にこう・・・淫らなことをしているみたいなんです」
おばさんたちは驚いた顔をしました。丁度、奥さんのことを話題にしていたところだったようです。
顔を見合わせて、おばさんたちは納得したように目配せし合いました。それもそのはず、奥さんが艶かしい手つきで黒猫を撫でていたのは周知でしたし、どことなく怪しく感じたでしょうから・・・
「そうか、だからあんないつも黒猫を側に置いて」
「あたしゃ怪しいと最初から思っていたよ」
おばさんたちが信じている様子に、僕ははっとしました。あの幻燈館は見せ物、作り物の幻が本当であるわけがないじゃないか・・・僕は一体何をしているのか・・・
しかし僕の口は、動いていました。より残虐さを煽るかのように。
「動物虐待ですよ。しかしあの黒猫にも罪がありますね。奥さんに・・・人間に発情しているのだから」
「本当かい?」
「ええ、僕はこの間、この目ではっきり見たのです」
僕は嘘をついていました。どうなってもいいと思っていたのです。
あの幻燈館で見たものが本当であれ嘘であれ、奥さんが僕のものにならないであろうことは事実だろうと思い、自棄になっていました。
あの垣根の向こう・・・僕は眺めているだけで、中には入れない・・・
それならいっそのこと、奥さんが今の立場から転げ落ちていくならばどんなに面白かろう・・・
にゃあーお。
猫の声が降ってきました。
はっと皆でそちらを見ると、赤い首輪の鈴音を鳴らして黒い猫が屋根の上に青空を背負って佇んでいました。
聞かれてしまったような気がして、こちらが気まずい雰囲気になるのもどこ吹く風で、何か含みを持たせるように、猫は緑の目でちらとこちらを一瞥すると行ってしまいました。「やな猫だよ」町の奥さんも言いました。
井戸端会議での僕の嘘はすぐに噂となって、数日後には真実にすり変わって囁かれました。
噂は町に増殖していきました。一刻、一時経つごとに・・・殊に奥さんの噂は淫猥なものでしたから好奇と悪意を集めて人の口に上りました。
奥さんが傷つけばいい・・・僕のそんな思いは叶えられそうに思いました。それは企みが成就する予感の愉悦と恐怖を伴ってました。
ところが、好奇に満ちた目線を集めているのに関わらず、奥さんは黒い猫を抱いて家から出てきて、相変わらず悪意も噂も興味なさそうに、ただひたすら猫を慈しんで話しかけ、散歩していました。
町の人たちが声をかけ、奥さんの虐待を弾劾しようとすると、むしろ奥さんは心外そうに言ってのけるのです。
「まあ。わたくしにはこの仔こそ最も大切な家族なのですのよ。どうしてそんな酷いことができましょう。こんなに孤独なわたくしを慰めるものは他にはありませんのよ」
その言葉はむしろさまざまな想像を掻き立てる言い方でした。
町内の人にとって、奥さんが黒猫に魅入られ、それでいて淫靡に耽っているということは、噂ではなく紛れもない真実になっていました。それは事件に対する言い様のない、興奮と不安とを内包していました。
正直、僕はこのとき、自分の町の異常性を感じずにはいられませんでした。僕が火種なのですが・・・噂が真実になり、猥雑な事件を娯楽にしている。平和に暮らす場末の人々の卑品が露呈していました。
娯楽に加担せず、いっそのこと一線を画した人間でいようか。
後ろめたさも手伝って、町から離れようかと、そんなことを考えているうちに、ふと、僕はまた魔がさして、ふらりと奥さんの家の垣根から覗きに行ったのでした。
そこで僕は再び奥さんと黒猫の仲睦まじい姿を見てしまいました。
二人は――いや一人と一匹は――縁側に寝そべり、柔らかに日光浴を楽しんでいました。
奥さんは止めどなく黒猫を愛撫し・・・黒猫はそれを当たり前のように受ける・・・
艶やかな微笑みを浮かべて、まるで夫婦のように寄り添っている・・・
僕はこれを見て嫉妬に駆られました。
また、僕の脳裏には前に見た幻燈の淫靡な戯れがかすめて、カッと熱に浮かされ頭の中が弾けたようになりました。
あいつは悪魔なんだ!
不気味に町の人たちに視線を投げかけ、奥さんを誑かす悪魔なのだ!
あの幻燈でも猫の正体をそう言っていたじゃないか・・・
あれをどうにかしなくては。
僕はその考えに囚われ、熱に浮かされたように町の人たちに触れて回りました。
あの黒猫は不吉の塊だ。
淫靡と魔の権化なんだ。
あいつに囚われて奥さんも町の人たちと仲良くできないんだ。
すべてはあの黒猫のせいなんだ・・・
あの黒猫を殺さねばならない。
飄々とした奥さんに、町の隣人たちもじれったい思いがあったのでしょう。
徘徊する黒猫を不気味に思い、いまいましい思いがあったのでしょう。
皆は僕の言葉に呼応して、集まりました。
今こそ不穏分子を排除せねばならないときなのだと・・・
シャベルや鋤や鍬などを手に、町の人たちは集まりました。
奥さんに秘密にして黒猫を排除するため、僕らは黒猫が一匹で徘徊しているところを捕まえて、殴り殺すことにしました。
いつも昼間に垣根を越えて、屋根の上を伝って歩いて行く黒猫を待ち伏せして、いよいよ現れたとき、僕らは黒猫を囲いました。
人間に四方を囲まれ、どうしようもなくなった猫は、首輪の鈴をチリチリと鳴らしてにゃあにゃあと鳴き、毛を逆立ててお得意のエメラルドの瞳で人間たちを睨むのでした。
うまい具合に追い込んだ僕たちは快哉を上げ、猫を囃し立てました。いまいましい猫を追い込んでいい気もちでした。
「この野郎、死んでしまえ」
遂に鍬が振り降ろされる、そのとき―――
甲高い悲鳴と共に、紫と白の縞の着物姿が飛び込んできて、あっというそのときに血飛沫が周囲を染めました。
黒猫は倒れかかるその下からさっと逃げ出しました。僕はそれに気が付いて声を上げましたが、町の人たちは止りませんでした。
まるで何かに取りつかれたかのように、町の人たちは各々手にした得物でその人を殴り続けました。目を爛々とさせて・・・彼らはそう、自分たちにとっての不穏分子を取り除ければそれでよかったのだ・・・
僕はこのとき、初めて慄きました。
鋤や鍬を振り降ろす人たちの輪から外れ、ふらふらと後退り、茫然としました。
一体何でこんなことになってしまったのか・・・
はっと振り返ると、町角に黒猫が佇んでこちらを不気味にじっと眺めていました。
あいつ!!!
怒りに駆られた僕が近寄っていったその間際、黒猫はさっと身を翻し、一目散に駆けていき、そして見えなくなってしまいました。
―――それから、僕はずっとあの猫を追い続け、囚われ続けているのです。
血飛沫を上げて着物を真っ赤にしていたあの人と、異様の渦に巻き込まれていった町の人たち。
遂に犯した犯罪に、町の人たちは一体どうなったのか。何故ああまでして奥さんは黒猫を助けようとしたのか。
あの血が頭の中にこびり付いているかのように・・・離れない。
あの残虐な真相が、あの黒猫のエメラルドの目線にある気がして、僕はならないのです。
その考えに囚われて、僕は僕の覗き癖と執着と後悔に苛まれて苦しくて仕方がなく・・・
それもすべてあの幻燈を見た日から・・・艶めかしい幻想に狂わされて、僕は僕でなくなってしまったかのように、あの悪魔の正体を憂いながら、今日僕は僕を終わらせる次第なのです・・・




