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第2話:商人ギルドと次なる街へ

「それで、おばあちゃん。本当に今日これから、商人ギルドに行ってみるのかい?」

「ええ。元気なうちに、少しでも早くお店の準備を始めたいですから」

小糸がにっこりと微笑むと、マーサは少し心配そうな顔をしながらも、丁寧に道を教えてくれました。

「ギルドはこの宿を出て右に真っ直ぐ、大きな時計台のある広場を抜けた先にある、青い屋根の大きな建物だよ。受付嬢たちはみんな親切だけど、もし困ったことがあったら、すぐに私のところへ戻ってくるんだよ」

「ありがとうございます。マーサさんには、本当に何から何までお世話になりっぱなしで……」

「気にしない気にしない! 困った時はお互い様さ」


朝食を終えた小糸は、革袋をしっかりと鞄の中にしまい、マーサに見送られながら宿を後にしました。


王都の朝は、活気に満ち溢れていました。

石畳の通りには、荷馬車がゴトゴトと音を立てて行き交い、道の両側には色鮮やかな野菜や果物、日用品を並べた露店がズラリと並んでいます。

「さあさあ、朝採れの新鮮な葉物だよ! そこの奥さん、一つどうだい!」

「焼きたての串焼き、熱いうちに食べていきな!」

威勢の良い売り子たちの声が響き渡る光景は、小糸が長年生きてきた日本とは全く違う世界でありながら、どこか懐かしい匂いがしました。


すれ違う人々の中には、背中に大きな剣を背負った屈強な若者や、尖った耳を持つ美しい女性、頭に動物の耳を生やした可愛らしい子供たちもいます。小糸は驚きよりも、純粋な好奇心を持ってその景色を眺めていました。


『おい小糸、市場ってのはな、その街の胃袋であり、心臓だ。歩いてる奴らの顔を見れば、その街がいい街かどうかが一目でわかるもんだぞ』


ふと、買い出しに行くたびに健三が言っていた言葉が脳裏に蘇ります。

「そうだね、お父さん。この街の人たちは、みんなとてもいい顔をして笑ってる。……どこにいても、一生懸命に生きている人間の営みは同じなんだねぇ」


小糸は心の中で健三に語りかけながら、マーサに教えられた通り、大きな時計台の広場を抜けました。すると、目の前にひと際大きく、立派な青い屋根を持つ石造りの建物が現れました。入り口の看板には、天秤を模した紋章が掲げられています。ここが、商人ギルドでした。


重厚な扉を押し開けると、中はまるで銀行のロビーのように広々としていました。多くの商人たちが書類を片手に行き交い、あちこちのテーブルで熱心な話し合いが行われています。

小糸は少しだけ緊張しながら、空いている受付の窓口へと向かいました。


「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」

カウンター越しに声をかけてきたのは、マリーという名札をつけた、眼鏡をかけた真面目そうな若い女性でした。きっちりと結い上げた栗色の髪と、理知的な瞳が印象的です。

「あの、初めて伺うのですが……。私、小さなお店を開きたいと思っていまして、そのご相談に乗っていただけると聞いて参りました」

小糸が丁寧に頭を下げると、マリーは少し驚いたように瞬きをしました。七十歳ほどの老女が、たった一人で新規開店の相談に来るなど、ギルドでも滅多にないことだったからです。しかし、マリーはすぐに営業用の笑顔ではなく、真摯な表情に切り替わりました。


「ご来店ありがとうございます。新規出店のご相談ですね。どのようなお店をご希望でしょうか?」

「『小料理屋』というものなのですが……こちらには、そういったお店はあるでしょうか」

「こりょうりや……ですか? 申し訳ありません、聞いたことのない言葉ですが、どのような形態なのでしょう」

マリーが首を傾げると、小糸は手振りを交えながら、穏やかな声で説明を始めました。


「そうですね……。大きなお店じゃなくていいんです。お客様が十人も座ればいっぱいになってしまうような、小さなカウンターだけの席で。そこへ、お客様がその日のお腹の空き具合や体調に合わせて、私がお見繕いした温かいご飯と、美味しいお酒を少しだけお出しするんです。派手な料理はありませんが、その日の疲れを労いながら、ゆっくりとお話ができるような……そんな場所を作りたいんです」


小糸の言葉を聞いているうちに、マリーの瞳にキラキラとした光が宿りました。

王都にあるのは、大人数で大声で騒ぐような酒場か、貴族が利用するような敷居の高い高級レストランばかりです。小糸が思い描く「静かに心と体を休める、温かい食事の場」というコンセプトは、マリーにとって非常に新鮮で、かつ魅力的に響きました。


「それは……とても素敵なお店ですね! 仕事で疲れた夜に、そんな場所があったら、私も絶対に毎日通ってしまいます」

マリーが身を乗り出して微笑むと、小糸も嬉しそうに目を細めました。

「ええ、ぜひいらしてくださいな。……それで、お店を借りるには、どういった手続きが必要なのでしょうか」


小糸が革袋をそっとカウンターに置き、現在の手持ちの資金を伝えました。

しかし、その額を聞いた瞬間、マリーの顔に少しだけ陰りが落ちました。


「あの……大変申し上げにくいのですが。確かにその金額は、普通に生活するには十分な額です。ですが、この王都の中心部で店舗を借りるとなると、話は別になります。家賃の相場が非常に高騰しておりまして、店舗の契約金と内装の準備、さらに当面の仕入れ代を考えると……お店をオープンする前に、資金が底をついてしまう可能性が高いのです」


マリーは、夢を打ち砕いてしまうことを恐れるように、申し訳なさそうに言葉を紡ぎました。

しかし、小糸に取り乱す様子はありませんでした。長年、健三と共に商売の波を乗り越えてきた小糸にとって、資金繰りの厳しさは百も承知だったからです。


「そうですか。やはり、王都のような大きな街では難しいのですね。……私の手持ちでも、どこか無理なくお店を開けるような、そんな場所はないでしょうか。王都から離れても構いません。治安が良くて、普通の人たちが静かに暮らしている街があれば、そこで一から始めてみたいんです」


小糸のまっすぐで、決して諦めない強い眼差しに、マリーはハッと息を呑みました。

この老女は、ただの夢見がちな人ではない。地に足をつけ、本気で誰かの憩いの場を作ろうとしているのだと、マリーは強く感じ取りました。

「……少々、お待ちください!」


マリーはそう言うと、背後にある巨大な書類棚へ向かい、分厚いファイルを何冊も取り出して、猛烈な勢いでページをめくり始めました。

数分後、マリーは一冊のファイルを手に、興奮した様子で戻ってきました。


「ありました! 王都から乗合馬車で一週間ほど東へ向かった場所に、『アルデバラン伯爵領』という領地があります。実は今朝、現地の商人ギルドから、手頃な空き店舗が出たという情報が届いたばかりなんです!」

「アルデバラン、伯爵領……」

「はい! この領地を治めているレオンハルト・アルデバラン伯爵様は、まだ若い方ですが、非常に領民思いで素晴らしい領主様です。街の治安は王都よりもずっと良く、人々も穏やかで親切だと評判です。家賃も王都の三分の一以下ですし、ここなら、あなたのご資金でも十分に余裕を持ってお店を始められます!」


マリーの熱のこもった説明を聞き、小糸の胸にトクリと小さな高鳴りが生まれました。

見知らぬ土地へ、さらに一週間の旅。不安がないと言えば嘘になりますが、それ以上に「そこが私の新しい居場所になるかもしれない」という直感が、小糸の背中を強く押していました。


「マリーさん。私、そこへ行ってみます。そのアルデバラン伯爵領で、お店を開きます」

「本当ですか! では、すぐに現地の商人ギルドへの紹介状を作成いたしますね。現地にはトーマスという優秀な受付担当がおりますから、物件の契約や改装業者の手配など、すべて彼に任せておけば安心です」


マリーは手早くペンを走らせ、立派な封筒に封蝋を押した紹介状を小糸に手渡してくれました。

「ありがとうございます、マリーさん。親身になって探してくださって、本当に嬉しかったわ」

小糸が深く頭を下げると、マリーも嬉しそうに微笑み返しました。

「どうか、素晴らしいお店を作ってくださいね。私、いつかお休みを取って、必ずあなたの『小料理屋』へご飯を食べに行きますから!」

「ええ、待っていますよ。とびきり美味しいおばんざいを用意しておきますね」


商人ギルドを出た小糸は、見上げるような青空に向かって、大きく深呼吸をしました。

歩むべき道は、はっきりと決まりました。


宿に戻った小糸が旅立ちの報告をすると、マーサは少し寂しそうな顔をしましたが、すぐに「アルデバラン伯爵領なら間違いないよ!」と背中を叩いてくれました。

「あそこは水も空気も美味しくて、食べ物も豊かな土地だからね。おばあちゃんみたいな料理上手には、きっとぴったりの場所さ」

その日の夕食は、マーサが小糸のために、特別に豪華な肉の煮込み料理を振る舞ってくれました。二人は夜遅くまで語り合い、異世界で出会った最初の温かい絆を確かめ合いました。


翌朝。

朝靄がうっすらと残る王都の東門。馬車乗り場には、すでにアルデバラン伯爵領へ向かう大きな乗合馬車が待機していました。

「それじゃあ、気をつけるんだよ。困ったことがあったら、いつでも手紙を出しておくれ!」

見送りに来てくれたマーサが、小糸の手をぎゅっと握りしめます。

「マーサさん、短い間でしたけれど、本当にお世話になりました。あなたのその明るい笑顔に、私、どれほど救われたか分かりません。本当に、ありがとうございました」

小糸もマーサの手を固く握り返し、深々と頭を下げました。


御者の合図と共に、二頭立ての馬車がゆっくりと動き出します。

小糸は窓から身を乗り出し、小さくなっていくマーサの姿が見えなくなるまで、何度も何度も手を振り続けました。


馬車の旅は、決して快適なものとは言えませんでした。

舗装されていない土の道を走るため、車内は常にガタガタと揺れ、時には大きなくぼみにタイヤを取られて体が宙に浮くこともありました。

同乗しているのは、行商人の男性や、幼い子供を連れた夫婦など、合わせて六人。初めは互いに警戒して無口でしたが、長旅の退屈さもあり、次第にぽつぽつと会話が生まれ始めました。


旅の三日目。

激しい揺れが続いたせいで、同乗していた若い母親の顔色が真っ青になり、ハンカチを口元に当ててぐったりとしてしまいました。

「大丈夫ですか? かなり酔ってしまったようですね」

小糸が声をかけると、母親は辛そうに小さく頷きました。


「こういう時はね、手首のツボを押すと、少し楽になりますよ。ちょっと手を貸してくださいな」

小糸は母親の手首の内側、しわから指三本分ほど下がったところにある「内関(ないかん)」というツボを、親指でゆっくりと、優しく揉みほぐし始めました。

「それから、これを少しずつかじりなさい。生姜を蜂蜜に漬けて乾かしたものですよ。胃のムカムカを抑えてくれますから」

小糸が懐から小さな包みを取り出し、手作りの生姜糖を差し出すと、母親はそれを口に含みました。しばらくすると、強張っていた母親の顔色が少しずつ元に戻り、呼吸も穏やかになっていきました。


「……本当だわ。あんなに気持ち悪かったのが、嘘みたいにスッキリしました。おばあちゃん、魔法使いですか?」

驚く母親に、小糸はくすくすと笑いました。

「いいえ、魔法なんて使えませんよ。これはね、ただの『おばあちゃんの知恵』。長く生きていれば、ちょっとした体の整え方くらい、自然と覚えるものなんですよ」

その出来事をきっかけに、馬車の中の空気はすっかり和やかになり、残りの旅路は互いの身の上話や、持ち寄った食事を分け合いながら、温かい雰囲気で進んでいきました。


車窓を流れる景色は、王都の賑やかな街並みから、深い緑の森、そして見渡す限りの広大な平原へと移り変わっていきます。

夜になれば、馬車を停めて野営を行い、満天の星空の下で焚き火を囲みました。日本とは違う、見たこともない星座が瞬く夜空を見上げながら、小糸はそっと胸に手を当てます。


『お父さん。私、今、馬車に揺られて新しい街に向かっているんですよ。マリーさんやマーサさん、本当にいい人たちばかりに出会えました。私、きっとあっちでもうまくやっていける気がします。だから、もう少しだけ、見守っていてくださいね』


そして、王都を出発してからちょうど一週間後。

馬車が緩やかな丘を越えた瞬間、御者の明るい声が響き渡りました。


「さあ、見えてきたぞ! アルデバラン伯爵領だ!」


小糸が窓から顔を覗かせると、眼下には、豊かな川に抱かれるようにして広がる、美しい街並みが飛び込んできました。

レンガ造りの家々が規則正しく立ち並び、遠くには領主の住む瀟洒な館が見えます。王都のようなけたたましい喧騒はありませんが、煙突からは穏やかな生活の息吹を示す煙が立ち上り、どこまでも澄み切った青空と、豊かな緑の香りが、旅の疲れを優しく癒してくれるようでした。


「お父さん、着いたよ。ここが、私たちの新しい舞台になる街だね」


小糸は目を細め、静かに、けれど力強く呟きました。

聖女召喚の巻き添えという数奇な運命から始まった、七十歳の老女の異世界生活。数々の人々の温かい善意に導かれ、小糸はいよいよ、自分自身の足で新しい人生の扉を開こうとしていました。

アルデバラン伯爵領の穏やかな風が、小糸の白髪混じりの髪を、祝福するように優しく揺らしていました。

第2話、お読みいただきありがとうございます!

次回は新しい街での活躍が始まります。

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次回も小糸の活躍をお届けしますので、どうぞお楽しみに!


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