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最弱スキル「腸内鑑定」の腸活令嬢が、呪われた令息のフローラを整えたら——彼は王になりました  作者: 嘉ノ海祈栄


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第五話「庭の奇行と、宮廷薬師の逆襲」

 翌朝、レオナルドが言った。


「また、行きたい」


 エリーゼの盆を置く手が止まった。


「庭に、ですか」

「ああ。昨夜、帰ってからよく眠れた」


 十二年間、まともに眠れていなかったのかもしれない。土に触れて、外の空気を吸って、副交感神経が動き出したようだ。


「よかったです」

「人目がないのは夜だが……」


 レオナルドが窓の外を見た。


「昼の庭も、見てみたいな」


 恐らく、レオナルドは「呪われている」と言われる自分が外に出て人に会うことで、騒がれるのを恐れているのだろう。


 だが、エリーゼにしてみれば感染するようなものではないし、気にする必要はないと思っている。


「行きましょう」

「……いいのか。皆、私に会うのを恐れる」


「堂々と行けばいいんです。別に感染するようなものではないですし。後ろめたいことは何もありません」


 レオナルドが、わずかに目を細めた。


「……お前は、度胸があるな」

「胃腸が丈夫なので」

「それは関係あるのか」

「腸と脳は関連してるんです。腸活が元気だと、心も元気になるんですよ」


 エリーゼがそう言うと、レオナルドは短く息を吐いた。笑ったのかもしれない。



 昼前、エリーゼはレオナルドを連れて庭に出た。


 ゆっくりと、一歩ずつ大地を踏み締めるようにレオナルドが歩く。


 庭に出ると、それを見た使用人たちが一斉に固まった。無理もない。レオナルドが外に出るのを、誰も見たことがないのだ。


「レオナルド様の治療の時間です。邪魔のないよう、お願いします」


 エリーゼはその場を制するように平然と言った。誰も動けなかった。


 レオナルドを庭の中心まで連れて行った。


「まず、土を素手で触ってください。昨夜と同じように」

「……昼は、気恥ずかしいな」

「大丈夫です。腸活です」

「腸活なら仕方ないか」


 レオナルドがしゃがんで、土に手を触れた。


 遠巻きに見ていた使用人たちが、ざわめく。


「レオナルド様が……」

「土を……?」

「呪いは大丈夫なのか」


 (本当に呪いにかかっているのであれば、1番近くにいる私は既にかかっているだろうに……)


 怯えている使用人たちに呆れながらも、エリーゼはレオナルドの歩行をサポートした。


「次です」


 庭の隅に生えていた草を指差した。


「あの葉を、ちぎってください」

「……ちぎる?……こうか?」


 恐る恐る草の葉をちぎったレオナルドに、エリーゼは頷く。


「そうです。そしたら、それを食べてください」

「……は?食べるのか?……雑草を?」

 

「はい、少しだけ。食物繊維を摂取します」

「昨日の夕食でも野菜をたくさん食べたが」


「それは善玉菌のエサです。これはまた別の種類の繊維で——説明は長くなるので、とりあえず食べてください」

「……お前の『とりあえず食べてください』は信用していいのか」


「これまで外れましたか」

「……ない」


「では」


 レオナルドが草をちぎって、口に入れた。


「……苦い」

「はい」


 口をもぐもぐさせながら、レオナルドはエリーゼを見て目を細めた。


「なぜ嬉しそうなんだ」

「嬉しいからです」


 使用人たちのざわめきが、さらに大きくなった。


(一ヶ月後が楽しみだ)



 問題は、午後に起きた。


 ドーレンが来た。いつもより早い時間に。それも複数人の仲間を連れて。


 彼の後ろにいる三人の男を見て、エリーゼに緊張が走る。がっしりとした体格の、見慣れない顔。宮廷薬師の助手にしては、物々しすぎた。


「レオナルド様のご様子を確認に参りました」


 そう言うドーランの顔は、昨日よりずっと滑らかな笑顔だ。


(嫌な予感がする)


「レオナルド様は今、庭でお休みです。後ほど——」

「いえ、今すぐ」


 ドーレンが扉を開けようとする。エリーゼは一歩前に出た。


「レオナルド様のお部屋への立ち入りは、レオナルド様の許可が必要です」

「私は十二年間、毎日この部屋に入っていた」

「公爵様から一ヶ月の猶予をいただいている間は、私の判断で対応します」

「公爵様の許可は、私もいただいた」


 目を細めた。


「……どのような許可を」


「レオナルド様の健康状態が著しく悪化した場合、即座に処方を再開する権限を。昨夜、改めてお話しして」


(何でそこまで……)


 ドーランは一枚上手だった。「著しく悪化した場合」という条件をつけた。悪化したと判断するのは、ドーレン自身だ。


「レオナルド様を呼んでまいります。少々お待ちください」


 庭に走った。


 レオナルドは木陰に座っていた。昼の光の中、目を細めて空を見上げている。昨日より、ずっと自然な姿勢で。


「レオナルド様。ドーレンが来ました。後ろに三人連れています」


 レオナルドの目が、すっと鋭くなった。


「……強制連行か」

「おそらく。『著しく悪化した場合の処方再開権限』を公爵から得たと言っています」


「悪化していない」

「していません。でもドーレンが悪化したと言えば——」

「言わせない」


 立ち上がった。昨日より、足取りがしっかりしている。


「行こう」



 塔の入口で、ドーレンと向き合った。三人の男が後ろに控えている。


「レオナルド様。ご様子をお確かめしたく——」

「悪化していない」


 レオナルドが言った。


「今、私は自分で立っている。庭まで歩けた。夜も眠れるし、腹も空く。これのどこが悪化している」

「しかし医学的な観点から——」


「エリーゼ」

「はい」


「今の私の状態を説明してくれ」


 スキルを発動した。


【腸内鑑定 発動中】

対象:レオナルド・ヴァルディシア(治療5日目)


▼腸内フローラ状態

乳酸菌   □□9%(増加継続)

土壌菌   □□ 4%(新規定着)

日和見病原菌 ◾️◾️◾️69%(減少継続)


▼多様性スコア:61種(治療前47種)

▼睡眠の質:改善

▼食欲:回復

▼総合診断:〝改善進行中〟


「治療五日目の現状です。乳酸菌が三パーセントから九パーセントに増加。昨日の土壌菌との接触で、新たに四パーセントが定着しました。多様性スコアは四十七から六十一に向上。日和見病原菌は七十九から六十九パーセントに減少継続中。睡眠の質が改善し、食欲が回復しています」


 ドーレンを見た。


「どこが悪化していますか」


 ドーレンの笑顔が、わずかに固まった。


「腸内鑑定とやらの数値は、客観的な証拠に——」

「診察は結構です」


 レオナルドが言った。


「私の身体は私が判断する。あなたの診察は、十二年間、一度も私を良くしなかった」

「それは——」


「エリーゼの腸活は、五日で私を庭に連れ出した」


 静かな声だった。でもその静けさの中に、十二年分の何かが含まれていた。


「比較するまでもない」


 ドーレンが後ろの三人に目配せをした。三人が一歩、前に出た。


 エリーゼは動かなかった。レオナルドの前に、半歩だけ出た。


(力で来るつもりか)


「ドーレン様」


 穏やかに言った。


「レオナルド様を無理やり連れていくおつもりなら、私は止めません」

「……ほう」


「ただ、その場合は公爵様にご報告します。レオナルド様ご自身の意思に反して、強制的に処方を再開したと。そしてその記録を、この一週間分の腸内鑑定の数値とともに」


 ドーレンの笑顔が、消えた。


「記録……?」


「毎日の数値を記録しています。治療前と治療後の比較が、数字で出ています。強制再開後にレオナルド様の状態が悪化すれば——原因も、数字で証明できます」


(前世で学んだ。データは武器だ。感情じゃなく、数字で戦う)


 沈黙が降りた。


 ドーレンが、長い間エリーゼを見ていた。その目に、警戒とは違う何かがあった。


(この人、怖いんだ。数字で証明されることが)


(何かを、隠している)


「……今日は引き上げる」


 笑顔は戻らなかった。


「ただし、レオナルド様の状態は引き続き注視する」

「ご自由に」


 頭を下げた。


 ドーレンが踵を返した。三人の男が続いた。足音が遠ざかり、消えた。



 二人になった。


 レオナルドが、エリーゼを見た。


「……前に出た」

「え?」


「私の前に、半歩出た。庇うように」

「……ええ。半ば無意識でしたが」


「なぜ」

「なぜ、とは?」


「なぜ庇う。お前はメイドだ。私の盾になる義務はない」


 その目が、真剣だった。からかっているのではない。本当に、わからないのだ。誰かに庇われることが、この少年には——わからない。


(十二年間、誰も庇ってくれなかったから)


「義務じゃないです」

「じゃあ、なぜ」


「レオナルド様の治療が、まだ途中だからです」


 レオナルドが、少し目を細めた。


「腸活のためか」

「腸活のためでも、なんでも」


 微笑んだ。


「途中で終わらせたくないんです。間に合わなかった後悔は、もうごめんなので」


 沈黙。


 レオナルドが視線を逸らした。庭の木々を見た。


「……エリーゼ」

「はい」


「ドーレンは、何かを隠している」


 驚いた。


「……気づいていましたか」


「あの男は今日、私の状態を確認しに来たのではない。何かを確認しに来た」


(腸内環境が邪魔をしていただけで、もともとこの人は聡明だったんだ)


「私も、そう思います。記録を、もっと詳細につけておきます。何かあったとき、証拠になるように」

「頼む」


 木漏れ日が、地面に模様を作っている。風が吹くたびに、その模様が揺れる。


「エリーゼ」

「はい」


「今日の夕食は、何だ」


 エリーゼは笑いをこらえた。


「発酵野菜のスープと、焼いた魚です。腸壁の修復に——」

「楽しみにしている」


 レオナルドはそれだけ言って、歩き始めた。塔の入口へ向かって。


 その背中を、エリーゼは見ていた。


(楽しみにしている、か)


 胸の奥が、じんわりと温かくなった。


(今日は少し、手をかけよう)



 夕食を作りに厨房へ向かいながら、考えた。


 ドーレンが何かを隠している。


 十二年間の処方。善玉菌を殺し続けた煎じ薬。医療ミスにしては長すぎる。無知にしては、宮廷薬師という肩書きがある。


(意図的だったとしたら)


 その夜、記録をつけながらも、その考えが頭から離れなかった。


(意図的に、レオナルド様の腸を壊し続けた。それは誰の指示で。何のために)


 筆を止めた。


 蝋燭の炎が、揺れた。


 まだわからない。でも記録はつけ続ければ何か見えるはずだ。数字は、嘘をつかない。腸と同じように。


 壁越しに、三階を見上げた。今頃、レオナルドは眠っているだろうか。


(明日も、庭に行こう)


 蝋燭を吹き消した。


 暗闇の中で、壺の発酵音が、かすかに聞こえた。菌たちが、今夜も生きている。


(頼むよ、みんな。あの人を、救ってあげて)

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