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プロローグ「深夜のオフィスと、ぬか床のこと」
深夜二時のオフィスで、菊池凛は死んだ。
享年二十八歳。死因は急性心不全。発見者は翌朝出社した同僚で、彼女はデスクに突っ伏したまま、まるで眠っているように逝っていた。手元には、三度目のボツを食らった企画書。画面には、書きかけのメール。
最後に意識が遠のく瞬間、凛が思ったのは仕事のことでも、家族のことでも、恋人のことでもなかった。
(ぬか床……誰が、かき混ぜてくれるんだろう)
六年間、一日も欠かさず手を入れてきたぬか床。冷蔵庫の一番下の段に鎮座する、年季の入った琺瑯の容器。中には凛が丹精込めて育てた乳酸菌たちが、今この瞬間も静かに生きて、発酵を続けているはずだった。
(ごめん。もう、かき混ぜてあげられない)
暗闇の中で、凛はそう思った。
そして次の瞬間、光の洪水の中に叩き込まれた。




