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第36章:紅蓮の再臨、あるいは亡霊の沈黙

 森の霧が、意志を持つ生き物のように異常な密度で膨れ上がった。

 滲み出るように現れたのは、漆黒の隠密機『スペクター・ボーン』。その中心で、一際禍々しいマナを放つベルティナ少佐の指揮官機が、冷徹な勝利の宣告を通信回線に叩きつける。

『……データは揃ったわ。物理の死神、そして神童。あなたたちの「理屈」は、すでに私の演算の中にあります』

 包囲網が狭まる。シエラはG-スキフのコンソールを叩き、敵機から放たれるマナの指向性を瞬時に解析した。

「カイ、気をつけて! 奴ら、さっきの戦闘データを元に、カグツチの『重心の偏り』を完全に逆算してる! 次の攻撃は、死角になっている右側から来るわよ!」

 シエラの警告と同時に、スペクターたちが一斉に魔導熱線鎌マギ・プラズマ・サイズを起動させた。

 カイは操縦レバーを引くが、新調された深紅の右腕はリトの演算を拒絶し、ただの「数トンの鉄塊」として機体を右側へ無残に引きずり込もうとする。右脚の K-Link で泥を固めても、上半身の不均等な質量が機動を鈍らせ、魔導の刃がカグツチの装甲を容赦なく削り取っていく。

「くっ……バランスが取れない! 右腕が、重すぎる……っ!」

『カイ、ごめんなさい……! 右腕側のノイズが強すぎて、私の制御が追いつかない……!』

 カグツチが膝をつきかけたその時、ガンドック号の甲板から、場違いに乾いた金属音が響いた。

「――あー。……やっぱり、ここの連中は算数が得意らしいな」

 ズドォォォォォンッ!!

 巨木の幹を垂直に貫通したギリアスの狙撃が、ベルティナの指揮官機の足元を抉り、敵の包囲網を強引にこじ開ける。ギリアスはライフルのボルトを引き、気怠げに、しかし鋭く叫んだ。

「おい、整備士! 副長! 算数がダメなら、物理工学の時間だ。カグツチの右腕の駆動ロックを外せ! あれを『腕』と思うから重いんだ……重力に従わせて『振り子』にしろ!!」

「振り子……!? まさか、あの重量をそのまま遠心力に……!」

 ロキが目を見開き、シエラが即座に同期信号を書き換える。

「ロキ、私が腕のリミッターを強制解除オーバーライドするわ! あなたは物理ロックの爆砕ボルトを起動して!!」

「了解! ……カイ、リト! 振り回されるなよ、振り回すんだ!!」

 ガキンッ!!

 物理的な拘束が外れた瞬間、深紅の右腕が自重によってダラリと垂れ下がった。だが、カイはそれを見逃さなかった。

 右脚の K-Link を支点に、機体全体を左に一気に捻る。

「リト、出力を左旋回に全振りだ!!」

『――了解!! 遠心力に魂を乗せなさい、カイ!!』

 カグツチが左脚を軸に、超高速の回転を開始した。

 数トンの質量を持つ「動かない右腕」が、凄まじい遠心力を伴う破壊の鉄球へと変貌する。物理的な衝突を計算に入れていなかったスペクターの二機が、右腕の質量の一撃を受け、原型を留めぬ鉄屑となって吹き飛んだ。

『な……っ、なんですって!? 重量のミスマッチを、物理的な打撃に転用したというの!?』

 ベルティナが驚愕する中、カイの意識は極限の集中状態「ゾーン」へと突入していた。

 世界がスローモーションに沈み、空気の粒の一つ一つが静止して見える。

「……速く。もっと、速くだ!!」

 カイは回転の勢いを殺さず、逆に右腕の遠心力を「鞘走り」の加速として左腕に転写した。

 左腕の漆黒の太刀レガリア・ゼロを逆手に構え、あえて振り回される右腕の接合部へとその刃を「接触」させた。

 キィィィィィィィィィィィィン!!

 漆黒の太刀が放つ超高速振動波と、右腕の巨大な質量が生む摩擦。二つの物理エネルギーが一点で交差した瞬間、ミクロの単位で鋼と鋼が激突を繰り返し、凄まじい熱エネルギーへと変換される。

 シュゥゥゥ……ッ!!

 カグツチの各部から漏れ出していた作動オイルが、その超高温に触れた瞬間、爆発的な燃焼を起こした。

 ゴォォォォォォォォッ!!

 あの時の「スパナの炎」が、より深く、より禍々しい「紅蓮の業火」となって回廊を焼き尽くす。

 漆黒の太刀は、燃え盛るオイルの炎を纏い、闇を切り裂く「紅蓮のレガリア」へと変貌した。

「もっとだ……もっと速く!!」

 カグツチの駆動歯車が悲鳴を上げ、リトの演算回路が焼き切れんばかりの閃光を放つ。

 振り子の加速、振動の摩擦、そしてオイルの爆発。

 すべてを「剣速」の一点に注ぎ込んだカイの突きは、もはや魔導のセンサーすら捉えられない「光の刺突」へと昇華された。

「――それだ!!」

 ギリアスの宣告と共に、カグツチが炎の尾を引きながら、ベルティナの魔導障壁へと肉薄した。

 障壁が物理の質量と、限界を超えた剣速が生む摩擦熱に耐えかねて、ガラスのように砕け散る。

 紅蓮を纏った漆黒の刃が、スペクターの指揮官機を縦一文字に、その冷徹な計算機ごと焼き斬った。

 爆発は起きない。ただ、そこにあったはずの物体が、物理的な存在意義を失い、微細な塵となって業火の中に消えていく。

 森を包んでいた霧が、物理的な熱波によって一気に蒸発し、青白い月光が戦場を照らし出した。

「……ふん。……あー……。これで、ようやく、休暇が取れる。まあ長期は無理そうか…」

 ギリアスがライフルを担ぎ、清々しそうに紫煙を吐き出した。

 カグツチは右腕をぶら下げたまま、静かにガンドック号へと歩み寄る。

 偽証の終焉。亡霊の沈黙。

 世界から見捨てられた「欠陥品」たちが、かつての炎を再臨させ、新しい未来を切り拓いた瞬間だった。

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