52結婚式
3月31日。
今日は僕たちの結婚式。
そして、かおりの18才の誕生日だ。
式は夕方。披露宴は夜。父方のお客様は仕事関係者で近場の方だし、母方のお客様は演奏家で夜型だし、夜景がきれいだし、それからかおりが眩しくないように。
朝型のかおりが夜まで起きていられるように、この日に向けて睡眠時間を少しずつ調整していた。かおりの寝顔を見ながら朝食の支度をする日々になった。
僕は先に起きて、夕べ着せてから寝たかおりの衣類のボタンをいくつか外し、首もとや胸の上に赤い跡がついていないか確認した。夜見ても、朝見ても、きれいな肌だった。
僕は、発表会で弾く予定のショパンの『幻想曲』をさらった。
放っておいたら、かおりはお昼過ぎまで寝ていた。夕べ、そんなに疲れさせただろうか。でもこれで、今日は眠くならないだろう。かおりにも、発表会の曲を少し弾かせて、それから出発した。
結婚式を挙げる式場には、かおりのお父さんと僕の父親の会社のお客様が多く、僕たちの式というよりまるで仕事のようだった。披露宴には、母親の関係の演奏家が多く加わった。
かおりのお父さんはお人柄の良さで人望も厚く、それは大勢の人からの態度で充分にわかるほどだった。僕の父親はかおりのお父さんの10才年下で直属の部下でもあり「槇君、槇君」と温かく接してくださっていた。そして、小さい頃から、僕を息子のように大切に接してくれた。公私共にお付き合いできる関係は、僕としても嬉しかった。
一足早く『新郎』の支度ができた僕は、会場のそんな様子を見て安心した。今日は演奏しないし、つまり緊張するようなこともない。
かおりは、髪をセットしてもらい、メイクをしてもらい、ドレスを着せてもらったのに、式の一連の流れの説明を聞いただけで、覚えることがたくさんありすぎる……と言って、とても緊張していた。
「………予習したかった」
と、泣きそうになっていた。
かおりは泣くと目が赤くなる。頼むから、今日は泣かないでほしい。
「大丈夫。僕がいるから。一人にしない。今日は目を赤くしたらダメだ。かおり、綺麗だ。笑って?」
かおりは安心した表情になって、一緒に写真室に行った。
僕たちは背の高いカップルとして、ウェディングドレスのモデルもした。これまでにたくさんのドレスを着て写真を撮ってもらったが、結婚式のこのドレスは僕のために着て、僕のために笑ってくれている。時折、嬉しいとか幸せとか呟くかおりを泣かせないようにするのが想定外に大変で、目が離せなかった。
演奏会でもドレス姿を間近で見ているが、かおりの真っ白いドレス姿は、特別に綺麗で、特別に可愛かった。
結婚式では、指輪の交換や結婚誓約書に署名し、讃美歌を歌うなど、決まった一連の流れがあり、薄いヴェールに覆われたかおりは、一生懸命思い出しつつ、ゆっくり一つ一つ丁寧に淀みなく動いていて、その所作がとても自然で美しかった。
それなのに、指輪の交換や、誓約書に記入する時の手や指や、僕を見上げる際の睫毛が僅かに震えていて、抱きしめたいほどいとおしかった。
披露宴会場には立派なグランドピアノも置いてあり、母親の関係の音大教授や先生方、演奏家が楽器を持ち寄り少しずつ演奏をしてくれて、ちょっとしたコンサートよりも質の良い演奏会のようだった。
僕は今日、弾かなくてもいいから気が楽だったのに、そんなわけにはいかなくなるんじゃないかと気が気ではなくなってきた。
途中で、平山がこっそりと、
「槇先輩、おめでとうございます。槇先輩は何を弾かれますか?一応お伺いしておき、僕が先に弾くと思いますので重ならないようにと思いまして」
と言いに来た時には、僕は観念して、
「ご配慮ありがとう。『献呈』で」
と答えた。
予感は的中し、平山は『ロマンス』を弾き、誰も『献呈』を弾かないまま、僕の番になった。
新郎新婦の席からは、グランドピアノは会場の左手に見える所にあり、演奏する時はコンサートの時と同じく、お客様は右手にいる。そうすると僕が演奏している時に、かおりの姿が見えなくなる。
僕は、会場スタッフにピアノ椅子の左側にもう一つ椅子を準備してもらい、新婦の介添人にかおりをその椅子に案内してもらうように頼んだ。
かおりが介添人に手をひかれてゆっくりとそちらに移動している間、僕は、段を降りて挨拶をした。
「皆様、本日は、ありがとうございます。まだ若い僕たちですが、今後とも御指導御鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます」
緊張のあまり手短になりすぎたが、たくさんの拍手を頂いた。
かおりは、僕が座るピアノ椅子の左に座っていた。
僕は真っ直ぐにそこへ行き、『献呈』を弾いた。
かおりは泣いてしまうだろうかと思ったが、目を潤ませたままで聴いていた。泣かないでずっと見ていてくれたことが嬉しくて、弾き終わると同時にかおりにキスをした。歓声と拍手が鳴りやまなくて、終われないんじゃないかと思ったら、かおりが苦しがった。
「あ、ごめん、大丈夫?つい……」
「……慎一さん、弾く予定じゃなかったのに。次は私ですか?」
「弾いてくれるの?」
「弾いてもいいの?」
「もちろん!」
今度は僕がピアノの椅子の左に座り、かおりがピアノの椅子に座った。
かおりが白い手袋を外そうとしたけれど、ぴったりとしていてなかなか外せなくて、僕は手伝った。
その様子にも散々冷やかされはしたけれど、人前で長いキスをしてしまったので、何とも思わなくなってしまい、むしろ可笑しかった。
手袋を外したかおりの手は、生まれてから18年間見慣れた筈なのに、初めて見るような色っぽさでドキドキした。
かおりは『愛の夢』を弾いた。
子供の頃から背が高くて手が大きくて、小学校5年生の時にコンクールでこの曲を弾き、音色の美しさで審査員特別賞をもらったかおり。あの頃から、本当は誰にも聴かれたくなかったと後で教えてくれた。自分が誰を好きなのか、聴いた人にわかってしまうからと。
今年度のコンクールでもリサイタルでも弾いた『愛の夢』。
リサイタルの前日、
「もう、誰に聴かれてもいいの」
とベッドの中で僕にそうっと教えてくれた。
それは、僕が誰か他の人と愛し合っているとしたら、自分の想いが迷惑になるからだと。そうじゃなかったことがうれしいと言って泣いた。
今日、披露宴でこんなに身近なたくさんの人の前でこれを弾いてくれるなんて。この音色の豊かさ、美しさ……。かおりが綺麗な真っ白いドレス姿で、泣いて目が赤くなるのを心配ばかりしていた僕の方が、頬を伝ってきて、ぽたぽたと落ちた。
まさかかおりも弾くとは思わなかった。演奏後、かおりは僕の唇に優しくキスをしてくれた。
てっきり、頬にされるのかと思った。
僕は、かおりの前で何度か泣いたことがある。その理由は、かおりにはわからなくても、かおりは自分が泣かせたという小さな責任を感じての、仲直りを求めるキスだった。
今は、僕たちがケンカしているわけではないこと、さっき自分がこらえた涙と同じ種類の涙なのだと、きっと理解できたのだろう。
そう思うと、僕はまた堪らなくなって、かおりがしてくれたキスから、僕が主導権を握るキスに切り替えた。
立ち上がって、かおりも立たせて、左手でかおりの腰から背中にまわして支え、右手でかおりの頬から首すじを撫でるように……。
かおりの背中が後ろに反って倒れそうになるほど……のところで、司会者からお言葉を頂戴してしまった。
「御新郎様、熱~いキスをありがとうございます。御新婦様も、素晴らしい音色の演奏をありがとうございます。お時間の関係で、そろそろ進めさせていただきたいと存じますが、よろしいでしょうか」
会場中からダメ~!もっと~!続き~!という声で盛り上がり、お開きとなった。
僕は怖いものがなくなった気分だった。そして、僕は実は父親に似ていて、父親もこうだったんだなと理解した。音楽家を目指す僕は、ビジネスで成功する父親とは違うと思い、あまり話さなかった。きっとかおりとはタイプが違う、僕の母親のことを、5才年上でもかわいくてかわいくてたまらないと思っていたのだろう。
改めて父親ともそんな話をしてみたいと思った。




